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どうでもいいこと
どうでもいいことなので、「つぶやき」程度でと思っていたのだが、今後、「スキ」や「フォロー」をしてくれた方のブログを、「フォロー」していこうかと思っている。
「スキ」や「フォロー」の意味を、Z世代(この呼ばれ方も可哀想だな)以上には、真面目に捉えているのだろうが、それ以上に、「フォロー」をしても結局は読まないからというのが、理由としては大きい。
人には、インプット能力とアウトプット能力があるが、自分は圧倒的に後者がでかい。
「アウトプット出来る時点で、インプット出来てるでしょ?」
という軽口も聞こえてきそうだが、自分がインプットを行えているとは思えない。
以前ラジオで、社会派小説を手掛ける小説家が、「取材のコツはメモを取らないこと」だと言っていたが、それは出来る側の人の意見だろう。
ブログ程度ならそれでも書けるかもしれないが、小説まで行くと話は変わってくる――と、自分は思っている。
ノートやメモを取ることは、やはりインプットには欠かせないのではないだろうか?
強いて言えば、政治家の会見を延々とタイピングしている記者がいるが、これについては、もっと全体的な印象で政治家の言動を捉えるべきだと考えているが。
タイピングしているのが、「記者」(記事を書く人)ではなく、「書記」(書き起こし業)に留め置かれているのなら、良いシステムだと思うけど。
話しが逸れたので戻すと、ブログ程度なら現状でも書ける。
しかし、今後、人並みの“日常生活力”を養って行こうと考えるのならば、広い意味でのインプット能力、またはインプット癖が必要で、そのトレーニングの一環として、「読む」をやってみようかと思うのだ。
インプットとアウトプットのバランス矯正。
また、こちらの書いている中身が、まとまりのない出鱈目であるためか、読んでいる人や「スキ」を押してくれている方が、ご近所さんに挨拶するくらいの規模感(あくまで規模的感覚)ということも相俟って、多岐に渡る内容のブロガーから、「スキ」を押してもらっているような印象がある。
どうせ“苦いお薬”を飲むのなら、知った感じの人から渡されたいし、自分の読解力では頭痛もんのジャンルもありそうだけど、そこは一つの縁なので。優先的に。愛着真っ白の文(ブログ)はセカンドオピニオンに回そうか、と。
「フォロー」した以上は「読ま」なければならないし、いや、「読む」から「フォロー」するわけで……宿題。
漫画くらいしか読まない自分だから……「宿題」だなあ(努力)。
漫画も、「デスノート」や「HUNTER×HUNTER」など、文字の多い作品は雰囲気を楽しんでいるだけだし(苦笑)。「デスノート」は、夜神月の顔芸ギャグ漫画として半分読んでいた。
ただ、まあ、政治記者については、文言をカルト的にほじくらずに、雰囲気を捉えるトレーニングを積んだ方がいいと思う。「言葉」の意味を、本末転倒で使用し過ぎ。
「暴力」の対極概念として、“戦争の抑止”として、「政治家とは言葉」という言葉が、その界隈では流布されているみたいだけど、肥大化させちまったってのがいいところっしょ。
蛇足。
「Z世代」を可哀想に思うのは、別に深い意味があってのことではなく、自分より一回り上の世代に「新人類」と呼ばれていた世代があり、それ以降に生まれた自分からすれば、自分より年上の人たちが、何故「新人類」なのかと、しっくりこないことこの上なかったから。
現在の年齢で言うと、50代から、下手すれば還暦の人たちの世代――「新人類」。
言わずもがな、さらにその上の世代からすれば「何だコイツら?!」と感じさせられることしばしばだったからそう呼ばれだしたのだろうが、下の世代からすれば違和感でしかない。
だから、「Z世代」もその下からは、「は?なんでお宅らが『Z世代』!?」と、思われてしまう当たりはすでについているわけで、それが可哀想だなあと、ただそれだけのこと。
ちなみに、バブルの恩恵も受けず、ざっくり言うなら失われた何十年たらで、松坂世代でも黄金世代でもなく、谷間の世代で、就職氷河期とか言われていたみたいなんだよなあ、何か。
ぐが大くて、同情するなら金をくれ!?
いや、金はいい。カレーを作るから、味見をしてくれ。だから、カレーの材料費をくれ。
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追記。
童顔仲間。