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音楽に絡めて

最近、「どうやって文章を書いていたかなあ」と、しばしば思う。

作家や作曲家は、帳が下りた後の暗い状態でなければ、それが書けない――最近、竹内まりやさんもラジオでそう言っていた――という人が一定の割合でいるようだけど、自分の場合はそうではない。
漫才のネタを書いていたりしたこともあったが、昼とか夜とか関係がなかった。現状よろしく、ホームレスでふらふらしながら、それをやっていたような時期もあったのだが、時間的な自由を元に、金銭的な不自由はあったけど、隙あらば「場所?どこだってよくね?!」の無知(非常識)振りで、書いていた記憶がある。

一言も喋らなかったが、内職で生計を立てているようだった、自分とさして歳が変わらなかったろう女性ホームレスは、今も同じことをやっているのだろうか?
自分は、元々なかった集中力が、益々なくなったと思う。
――俺は、いったい何になりたかったんだろう?

無軌道に言葉を並べることは出来る――「今もできるんだなあ」。
ただ、本来は、もっと焦点を絞った文章を書きたい――のだ。多分。いや、おそらく。

焦点。まとまり。ジャンル。商品。
――徒然に書いた「日記」など商品ではない。

他方、話は変わるのだが、台風の影響もあり、長らく使っていた安物のポータブルオーディオプレーヤーが、乾いて以降も調子が悪い。
事実上、壊れかけのRadioではすでにないようなのだが、明確な意思をもってリカバリーしようともしていない。
元々、TVやラジオからの音源を、コードを繋ぐことで、直接録音出来てしまうという、違法性が疑われていた商品だったため、現在はリニューアルの元、録音機能を取り除いた上で商品化しており、再購入不可だというのもある。

正規にダウンロード(?)するのが、本来なのだろうけど、SNSをやってみようかと考えだしてから、1年以上経っている人間からすると、何となくよくわからないが、果てしなく面倒くさいとして処理されてしまうのだ。

ダウンロード。アップロード。インストール。アンインストール。アプリ。ディスク。カセット。ファミリーコンピュータ。
何となくしかわかっていない――果てしなくよくわからない。
62歳。元関西テレビ・山本浩之アナの声を「ヤマヒロのぴかッとモーニング」で久々に聴いたけど、SNSをやっていない理由が「何となく怖いから」で、それと全く変わりがない。
40代で62歳と変わらないというのは、精神的老化が激しい。「何となく面倒くさい」……「何となく怖い」――変わらん。

しかし、だからと言ってはなんだが、久し振りにスピッツの「冷たい頬」を聴いた。
とてつもなくいい曲。

小石にぶつかっても修正しようとする力が働かないがため、おそらく、ポータブルオーディオプレーヤーが壊れたことが一つのきっかけになり、ブランクが空いたのだろうが、久方ぶりに聴いてみたら、脳が少し刺激された。
意思をもった。集約したくなった。集約出来なくても「とりあえずいいか」――とも思った。

もし、もしも、自分が今、芸人になったなら、20代や30代で芸人になっていた仮の自分よりも、スベりまくる。
たくさん面白くないことを言う。
面白いことだけを選んで口にする機能が絶賛故障中――集約出来ない。
無軌道に面白くないことを吐き散らかし、たまに、偶然、面白いことを言う。やる。「面白い」に当たる。

チャリンコで、1000m以上あるトンネルを潜り抜けている最中に考えていた。が、何をきっかけに、この仮の話を頭の中で転がし始めたのかが思い出せない。
きっと、ピークは62歳で来るのだろう。凡打、凡打、凡打、凡打で――照準が合って。

ちなみに、「冷たい頬」とフジファブリックの「クロニクル」は、自分の中で同じカテゴリーにジャンル分けされている歌。
果たして、どのようなラベルであるかと言えば、「人生で一曲しか聴けないとしたら、この一曲」――。

つまり、音楽におけるBest of Best。
この歌さえあれば昂揚感も物悲しさもどちらも味わえる――不思議な曲。
音楽への精通はまるでないため、どうしてそうなるのか理論的に説明出来ないが、矛盾した心の高まりを興(おこ)す曲。
ポエチックに言うのなら、“走馬灯のような歌”なのだと思う。さらに言えば、にもかかわらずベタベタと感傷的過ぎない。お涙頂戴くさくない。

いつか、「クロニクル」の素晴らしさをブログで書いてみたいと思っていた。
しかし、だからと言ってはなんだが、「呪術廻戦」はバッドエンドで終わると思う。

YouTube上に、堂々と違法アップロードされている早バレ――つまり次週回――の「呪術廻戦」をすでに見たが(軽くネタばれします)、ハッピーエンド感満載。
――で、あるならば、最終回まで残り2話(本当は3話)、フジファブリックのリアルタイム世代でお笑い大好きというのは、ダウンタウンの影響があることを皮膚感覚で自覚出来ている、その下の世代辺りのお笑いに嵌っていたのだろうから、ハッピーエンド、ハッピーエンド、ハッピーエンド、ハッピーエンド(最終回)で終わるなどということはあり得ない。
芥見下々先生のバックボーン、及び精神構造からして、「裏切り(オチ)」を入れてくるだろう。

「明確な不幸」で終わるか、「不穏な未来」という匂わせで終わるかの二択でしかないと思う。
♪キミに会えた事は キミのいない今日も
人生でかけがえの無いものでありつづけます

♪キミに会えた事は キミのいない今日も 人生で変えられぬ 才能でありつづけます♪ だと思って聴いてたなあ

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