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一昨日の酒がようやく抜け、だから……

2日前に飲んだ酒が、2日後に抜ける。
べろんべろんというわけではない。
身体——外側の筋力ではなくその中身、または精密部分——が貧弱なので、元々酔いやすい。べろんべろんの前に不備を感じる。だからべろんべろんではない。なかったと思う——つい先日も。
だが、それとは別に、朝方「酔っぱらっちゃいましたか?」と、寝惚け眼(まなこ)からは、なかなか紳士然とした装いに見えたおじさんから声を掛けられた。

“あるある”である。
「公園」等々で寝ているわけだから。

ましてや、前夜に関しては、寝る前に自転車を倒していた。「やってらんないよ」と起こすこともなく、そのままベンチに自身が倒れてしまったから、おじさんには尚のことそう見えただろう。
最終的には、自分より小さなベンチから、遠ざかるようにして寝ていた。
寝床はアスファルトがいい。

土だと汚れる。
草むらでも夜露で濡れる。
蟻が湧いて来るか来ないかも大きいし、蟻は蚊と違い、“痒み”を置いていくことはないが“痛い”。チクチクする。
ホームレスを再開してほどなくは遠慮していたが、最近は思い出すようにそれをしている。
這いずりたくなる何かが分泌されているのだろうが、この悪食が。
自分が、躊躇なく殺す唯一の虫だ。

また、田舎の方だと、「ホームレスを見ること自体ないだろうから……」という発想も頭をもたげてくる。
アスファルトというのは、基本的に「公道」であるか、個人はもちろん企業なども含めた「私有地」、「公有地」になる。
真実相当性という言葉を借りるなら、違反相当には当たるはずで、「公園のベンチ」を探すのがかったるい時、そもそも「公園のベンチ」より「アスファルト」の方が寝心地が良かったりすることからも、違反相当なんじゃらほいで寝ている。

「アスファルト」も「布団」も地続きである。
寝る所は毎日変わる。
「明日、布団で寝ていいよ」という状況が訪れたとしても「やったー!!」とは思わない。
「毎日、この布団で寝てください」と言われたら、内心どんよりとした気持ちが何処かにある。

だから、「ホームレスを見ること自体ないだろうから……」という発想は、“ホームレスを見させられる住民が可哀想だ”などという卑下などではなくて、単なる「110番」対策だ。面倒くさいことを、自身が嫌っているだけだ。
法律はあくまで法律。
安寧秩序。最大公約数としての平穏が保てるだろうという規約。また、その規約も現在進行形――更新中。

けれど、前夜はあえて「公園」を探すという正規ルートを辿った。
グーグルマップに従い右往左往。国道から脇道に逸れ、街灯のない方へ。
だけど、公園に着いたら着いたで、公園を囲うようにして聞こえてくるヒソヒソとした声。こちらを照らしているのだろう明かり。ライト。面倒くさくなりそうな予感。
だが、そんな予感は幸いにして外れ、昇る朝日に、「酔っぱらっちゃいましたか?」――。

単純なもので、心配という体(てい)で話し掛けられると、「これだから田舎は……」的な感情はなくなる。
ただ、一方で、おそらくは老紳士の内心も、「公園に不審者がいる」というものだったのではないかと、正直思う。
こちら側からの「ホームレスを見ること自体ないだろうから……」と同様。表と裏。その裏の気持ち。斥力。

けれど、内心(セルフコントロールする俺)も接触(コンタクトパーソンに向かう老紳士)も、“裏の気持ち”を剥き出しにしていては角が立つ。いがみ合うことが目的ではない。
そう考えると、「民家に囲まれた公園」より「開店までの大きめのスーパーの自販機の横ら辺」の方が、お互いにとり平穏なのではないか——?と、なってくる。

「地元民」から遠く、「不審者」からも遠い。“仕事だから来た”を隠そうとしない公務員もいる彼らも、意味のない「急行」をしなくて良い。
法律はあくまで法律。
安寧秩序。最大公約数としての平穏が保てるだろうという規約。また、その規約も現在進行形――だから、知ったことじゃない。
人を殺さなきゃ文句ねえだろ。

分相応。周りが何と言おうとも、もし仮にゴシップ誌がみだりにみだらに書き立てることがあったとしようとも、蟻を殺すくらいのことしか出来ないことを、誰よりも自分が知っている。
またそれに、距離を取ってみることで、わかることもある。

「田舎」か「都会」か、という一つの軸で考えていたが、昨晩の公園は、国道に繋がる道しかなかった。公園や民家を間にし、それを突き抜けていくような道がなかった。
つまり、本来は、そこに暮らす人たち以外が立ち寄ることのないコロニーだったわけだ。
「田舎」だったから不審者扱いされたが、全てではない。縦に横にと座標軸で考えた方が正しい。

苦手な頭も使わなければ――「法律は法律」なんて絵に描いた餅。お題目の為のお題目。賢(か)しこ風戯言。
融和もしないと。
「お金」も減ってきたので、オブラートに包むような面倒くささも駆使しながら、再度「社会」に近付いてみようか。社会の歯車。
隙間を通す努力。

ハローワークへ行く毎に、「もっと人の多い所の方が……」と忠言されるので、ここではない何処かへと、現状以上の「都会」へ向かおう。
老後に備えて「200万円」。
社会復帰を念頭に山越えだ。
一山抜けるのに2日掛かり――約明後日。
だから、いい加減フワちゃんも、復帰すればいいんじゃないだろうか。

女性は女性に厳しいのか?
野郎的感覚からしてみれば、「選択的夫婦別姓」などどうでもいいことに注力していないで――自分が相手方の姓になることも含めてどうでもいい――同性の誼(よし)みとして、助けてやりゃあいいんじゃねえのかな、と思うのだけど。

フワちゃんは「芸能界へ」でいいよ。

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