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鼻曲がりへにょ

いきなりだが――

いや、大谷翔平は「ブス」の方がいいだろう。
「デブ」はボケとして弱い。

3年くらい前の「ワイドナショー」で、松本人志さんが、“野球の実力も凄い上に顔もハンサム――”と言っていたが、当時から違和感があった。

顔はハンサムではない。
普通。
さや香の新山さん以下。

しかし、野球の成績といっしょくたになって、顔もイケているという風潮が、世紀の大活躍以降そこはかとなく生まれ出したように思う。

自分が大谷を見て、どこにデブ性を感じるかと言えば、元々の丸顔が、さらに最近アンパンマン化してきたことでわかるよう顔であり、その肉付きをシンプルに評価するならば―― 
「ブス」でいい。
勝算は十分ある。

そもそも、「お笑い」をあえて野球的にたとえるなら、「打率」ではなく「本塁打」を競い合うものだと思う。「本塁打」でないのであれば「打点」。
ようは、基本的に加点――「面白かった〜」――でお笑いは考えるべきであり、「面白くなかった」はただの0点(低得点)。マイナスでない。“面白い・面白くない”を無理に確率で考える必要はないような気がする。

もしこれが、「M-1」や「R‐1」など、競技として行われているネタだったならば、話は変わってくるが(そもそもネタそのものにそういった性格があるが)、「バラエティー」として総合されるお笑い番組やコンテンツであるのなら、「面白くなかった」ことをマイナスにして当てていくことは、どちらかと言うと不自然なことに思える。
そもそも、前提として“人を笑わせよう”とすることは、そこに善意があると考えられるわけで、たとえ実行されたそれが面白くなかったとしても、「面白くなかった=0点」でいいのではないか。
それは、人気作品にはならなかったとしても、全セクシー女優が、男性にとり「女神」であり「天使」であるのと同じ構図だ。

つまりは、肩肘を張り臨まなければいけない場面以外では、強いスイングを伸び伸びとを基本に、理想は本塁打、出来る限りで長打を放つことを目指して欲しい。
「打率」よりも「本塁打」――強い打球を打つこと――こそが自分の仕事だと思っているだろうドジャースの“ブス谷デブ平”もわかってくれるはずだ。

もしそこがテレビで、眼前に大谷がいたなら
「よく見りゃあブスだよねえ」
で、トークが出来ないはずがない。
「デブ」か「ブス」か、どちらで始めるかと言えば「ブス」。
“しいて言えば”とかも必要ない。

大谷レベルをハンサム扱いすることは、北京五輪前に、世界中から集まる5大美女アスリート的な特集で、卓球日本代表だった福原愛さんをそこに加えていた中国メディアくらい違和感がある。

ついでに。
世間の速度に比べ、相変わらず自分の筆記速度は遅く、気が付けば粗品さんが個人でやられているYouTubeの中の「1人賛否」も、次の週へ。本来ならこちらを取り上げるべきだろう――と、いうことで、端的に触れます。

もしも自分だったならば
「何で尾行なんかしたの?」

――で、入ります。
事実上の第一声は、これで行きます。
この入り方で何の問題もありません。
お笑いの可能性を自ら狭める必要もないし、勝算しかないでしょう。
イメージした場所としては、「酒のツマミになる話」になります。

あと、同い年のよしみとして川﨑宗則(今も現役)に対し言いたくなってしまうのだが、「翔平さん、翔平さん」とは言わなくていいだろう。 
色々と勘違いしてしまう人間が増えることはよくないことだし、何より「川﨑と大谷って愛人なのか?!」と、思われかねぬぜ。
川﨑が「翔平さん」を通すのなら、自分は「ブス谷」か「デブ平」を貫いて、世界の均衡を保たん。

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