裾野たち
一介のブログ書き風情が、どこまで背負い込むのが適正なのかと言えば、諸所に意見があるだろうが、吐いた唾とて拭い取った方が善きとされる昨今において、しかし、果たしてインフルエンサーというわけでもなく――「インフルエンサー」ってそもそも何なんだ?職業?肩書?乃木坂46?——、もっと本来は真面目に、シコシコと自分に合った仕事を探せばいいのだろうけど、「自分に合った仕事って、なんか生意気だなあ」と自己バイアスが掛かり、ある意味で無責任な逃避として「Mー1グランプリ2024」の1回戦に登場したコンビについて触れたい。
個人的には、ダウンタウンはいずれ復活すると思っているが、「teruo haruo」はダウンタウンではなかったか~。
このタイミングで復帰しなければならないと思っていたわけでもないので、ダウンタウンでなかったことに対しては特に何もないのだが、普通に考えればダウンタウンであるわけがないからこそあるかなと思っていた—―55%(五分五分+5%)。
松本さんに関しては、裁判も再開されるということなので、正々堂々凱旋されることを待とう(にしても、「和解」を巡り、「文春」を除くゴシップ誌らの立ち回りは面白かった。まさに「笑わせ」るではなく「笑われ」る。一体いつまで「松本人志」の世話になり続けるつもりなのだろう。仮にこのまま引退するようなことにでもなったら、真っ当な社会人として、「松本さん、今まで弄ばせて頂き大変有難う御座いました」と、お中元とお歳暮を毎年贈り続けなよ。このくらいのことは、如何に生活水準が低かろうと出来るだろう?)。
ゴシップ誌の寸評をし始めると、本旨から逸れてしまうので、真正面から無責任な話を続ける。
ネタは見ていないが、「teruo haruo」は2回戦に進めなかった。
記事からその理由を察するなら、純粋に舞台上の完成度で、審査員たちは評価を下したのだろう。
「ダウンタウン出場はマジだと思う 1回戦なのにチケット売り切れてるし」
「これ関係ない素人だったら人生終了するだろ たぶん今頃震えてる」
などと、自ら切り出し、世間を巻き込むことを利したネタを披露したようだが、2回戦に進出させるほど、審査員たちは良しとしなかったわけだ。
想起させるのは、2004年のMー1グランプリだ。
アンタッチャブルが頭一つ抜けていたこの年(最終決戦「6対1対0」)は、南海キャンディーズが初めて決勝戦に進出した年でもあり、結果も2位と大健闘。そのままテレビスターへと駆け上がっていった。
もう少しこれを詳しく言うと、笑い飯、麒麟、千鳥(ほかダイアン)を置き去りにし、全国的に売れたこの世代の最初の関西芸人が、南海キャンディーズだった。
また、この年の「M-1」は、島田紳助さんが暴行騒動を起こし、謹慎期間中に行われた大会でもあり、松本さんは審査員を控えた。
当時、耳にしていた理由は、大会の発起人であり審査委員長であった紳助さんがいなくなってしまうと、自身の影響力が強くなり過ぎてしまう—―あくまで、一審査員という立場を保つためには、いっそのこと関わらない方がいいというものだった。一方で、比較的最近語られたこととして、相方である浜田さんが裏番組に出演していたことが辞退の理由だったとも仰っていた。ただ、これに関しては、2004年以外に2015年も辞退しているので、2015年のことなのかもしれない(興味のある方は、当時のテレビ欄を調べることで判ると思います)。
ちなみに、紳助さんが引退し、2015年から再開した「Mー1」の中で、審査委員長という立場は存在しない。持ち点は全審査員、等しく100点である(審査委員長であった紳助さんも、これは同様)。
だが、前言不一致とでもいうか、どうしても言いたくなってしまうところはあるようで—―というか当時ラジオもやられていたこともあるし、口を噤んでいなければならないというものでもないので――大会後、南海キャンディーズに対し、松本さんは批判的に批評。
覚えている文言としては、「素人みたいな漫才しやがって」……(苦笑)。
具体的にこれが何を指しているのかと言えば、今田耕司さんといっしょに、当時司会を務めていた井上和香さんに対し、しずちゃんがライバル心を剥き出しにして絡んでいくというもの。
コンテストである「Mー1」という場において、所謂“客いじり”と言える、その変則パターンである。松本さんは、自分たちの外側にある司会者を利用(フリに)する形で笑いを取りに行った手法を、安っぽいとして斬って捨てたのだ。
個人的にはそれなりに面白かったし、アンタッチャブルが図抜けて面白かったとも思っていなかったので、2位という評価に不満を感じていたわけではなかったが、若かりし松本さん(と言っても、すでに40代はいっており、古参ファンからすれば「最近優しくなったよなあ」という時期だった)は、まあまあ怒っていた。
素人であった自分は(現在も素人のままだけど)、その場の環境を上手に活かし笑いを取っていく姿こそ、“プロっぽい”と感じていたりもし、軽い違和感もあったが、なるほどなとも思った(だが、自分がネタを書いている山里さんの立場だったなら言い返していたかもしれない。改めてになるが、この頃の松本さんはすでに“素の優しさ”が浸透し始めて、言い返そうと思えば言い返せるだろう空気があった)。
松本さん(プロ)の立場に立って論じるなら、怒っている—―つまりは感情的になっている—―というよりは「駄目なものは駄目だ」ということなのだろう。
誰よりも「お笑い(職業・芸人)」を深掘りしていた松本さんにとり、裏で談合のようにしてではなく、オープンに顔を晒して採点によって優劣を決するということは、“漫才といえど「Mー1」は「競技」である”という認識——フェアネス――が、同じ審査員たちと比較しても、当時の時点ですでにあり、明文化こそされてはいないが、「芸人(職業お笑い)」として守るべき一線があると考えているようだった。
漫才が、「漫才という競技」としてある以上、小道具は使わずに、自分たちだけで完結させたお笑いであれ――。
やや固い表現になるが、「お笑い風紀委員」みたいなところがあった。
自分の顔色を窺うようなお笑いをさせないために、「最低限これは守らなくてはいけないのではないか?」というルール作り――普遍性――への腐心。
生来の真面目な顔を覗かせていた。
しかし、だからといって松本さんが南海キャンディーズ――とりわけよりバラエティーに軸足を置いていた山里さん――に対し、冷や飯を食らわせていたということはなく、「ダウンタウンDX」で山里さんが面白いワードを残した際に「今のボケいいね」などと言ったり、女優の蒼井優さんと結婚する時には、“蒼井優と結婚できる山里亮太は果報者だ”とせず“山里亮太と結婚できる蒼井優は果報者だ”という言い回しをしたりしていた。
全芸人に対して松本さんは気を遣ってきたと思うが、今にして思うと、山里さんに対しては特にそうだったかもしれない。
だから、話を「teruo haruo」に戻すと、1回戦敗退も仕方がないのだろう。
漫才中の写真を見たならば一目瞭然だが、二人は「フリップ(スケッチブック)」も使っている。
これについては古参ファンではなくても知れるであろう、昨年2023年「THE SECOND ~漫才トーナメント~」において準優勝したマシンガンズが、漫才中にメモ紙を取り出して漫才を続けたことに対し、アンバサダーを務めていた松本さんが問題提起をしていた。それと重なるだろう(だから思い出すとしたら2004年のM-1でなく、こちらだった人がほとんどだったか?)。
「teruo haruo」に対し、当初は冷やかしや愉快犯だというような意見も、ネット上では当てられていたが、「松っちゃん、いつか帰ってきてね。お待ちしております!」という言葉で漫才を締め括ったことからも、ダウンタウンのファンだったのだろう。
個人的には、それ以上の裏読みは必要がないと思う。
元々、どのようなネタをするつもりでエントリーしたのかは不明だが、ネットの声を拾うことで、自虐笑いへと方針を変更したのだろうから、それを前夜急ごしらえで仕上げたのだと考えると、「ごくろうさん」という気持ちはある。
その上で、ダウンタウンのファンが1回戦で落ちたことに対し、松本さんを否定したい人たちはニヤリとしているのかもしれない(否定したい人ほど、否定材料を探さなきゃならないから、ファン以上に松本さんの記事を見ている節がある)が、普通に考えたならこれは逆。
松本さんの精神—―とはいえ「お笑い好き(一般のファン)」から見ても常識的なことなのだけど――に、寄り添ったから「teruo haruo」は1回戦で落ちている。
前夜に急遽ネタを変えたことは労われることなのかもしれないが、それはそれこれはこれとして、ネットに書かれた言葉を暗記として頭の中に収め切れない技術の拙さを当たり前として重視させたことに、「松っちゃん、いつか帰ってきてね」と呼び掛けられた松本さんもニッコリである。
「頑張ったで賞」を競っているわけではなく、「実力」を競っているのだ。
そして、これに関しては実際に漫才を観ていない以上限りなく想像になってしまうのだが、「teruo haruo」自身も解っていたと思う。ネットの意見をフリに、フリップを使った漫才をしていながら2回戦へ……「無理だろう」と。しかし、それでも、「松っちゃん、いつか帰ってきてね」と言いたかった。
ネットニュースにもなったことだし、その情は本人にも届いたかもしれない。
少し話を逸らすが、「文春」サイドに対し毅然とした対応を取るか、多少泥水を啜ってでも和解(双方による歩み寄り)に応じるか――松本さんに“揺れ”があるのだとしたらその動機は、ファンを中心としたこのような声に対して、情にほだされるか否かという部分一択だろう。
「『teruo haruo』を勝ち上げたらコンプライアンス上問題になるから、そもそも落ちることなんて目に見えてたでしょ?」と穿った物の見方をしているつもりでいる人たちは、物の見方が浅い。「お笑い界」はそのような浅瀬を推移してはいない。
「teruo haruo」が落ちたのは、「実力」を尊(たっと)ぶ“お笑い力学”が正常に働いたからだ。これは、その証拠だ。
松本さんは、表面上でしかめっ面をしていたとしても、心の中では「ありがとな」と思っている(かもしれない)。
これを理解出来ない人たちに「お笑い」を否定されたとしても—―
「お笑い舐めんな」
松本さんの「お笑い愛」は、脈々と息づいている。
自分も死ぬまでに一度は「Mー1」に出るつもりだ。
一撃で「優勝」しようと思っている。
9月27日。東京、シダックスカルチャーホールで行われた1回戦で、ナイスアマチュア賞に選ばれた「お気に召せて」のネタです。
【お気に召せて】
「やんなきゃ」――「やんなきゃ」「やんなきゃ」と、わちゃわちゃしたところは面白かった。
ただ、そのあと丁寧なネタ運びをしなくてはならなかったはずなのに、テンポを走らせ過ぎた。
本人たちもわかっていると思う。
ここをじっくり聴かせられていれば――お客さんと並走出来ていれば――2回戦へ進められていたのかもしれない。
42点
本当は、「55点(仮)」として置いておいたのだが、比較考慮として観たTOP3のネタが――
【オシミーフランク】
90点
【ハイトーン兄弟】
93点
【ゑびせん】
84点
こんなにレベルが高いのか。
ヤバイなあ。マジでヤバイなあ。
このレベルを目にしたあとで、55点は付けられないわ。
これを観て「一撃で優勝する」とか言っている奴がいるのかー?
痛みの極みだな。
ファンも気になる。アンチも気になる。
ゴシップ誌も気になる。医大生も気になる。
この曲をチョイスするほどなのだから、1回戦で落ちることはわかっていたはず。わかっていたろう……。わかって、いた……よね??
奥田民生バージョンです。