レギュレーション
Leo the football氏は、サッカーより野球の方が、人気面で高いとする理由を、日本代表の森保監督の“戦術”に求めている—―「勝ち負け以前に最善を尽くしていない」とする—―嫌いがあるようだが、100%に限りなく近い個人的な意見を言わせてもらうと、年齢も四十を越えてしまうと、サッカーは観ているのが単純にシンドい。
「視力」弱者としては、身体能力的に“0負荷”のままで楽しめない。
ただ、裏を返せば、若かりし頃は圧倒的な“サッカー派”だったわけで、小学生が終わり頃に開幕したJリーグ(プロ)の煽りを受けて、民主党が政権を奪取した時のように、またはその民主党から安倍政権が憲政史上最長期に渡り首相の座を戴くこととなった選挙のように、日本国における大衆というのは、「0から100」「100から0」という反応行動しか出来ないのか?!と感じさせられるほど、当時「野球→サッカー」の風が吹いていた。
ネットもないし、まあ馬鹿(小学生)だったし、今でいう“テレビに洗脳されていた”だけなのかもしれないが、そのように感じた。
思い起こすことが出来る記憶としては、まだプロ誕生1年目のファースト・ステージ終了後に放送されていたJリーグ特集—―当時は1シーズン前期・後期制であり、その間に「オールスターゲーム」を挟むというプロ野球に倣うフォーマットであった辺りで視聴した番組――で、「プロ野球が○十年と築いてきた歴史を、Jリーグは僅か半年で抜き去ろうとしている」との扇情性(意図的な煽り)満点のナレーション(多分、赤坂泰彦さん)をテレビは当てていたりした。
だが、ほどなくして「ドーハの悲劇(1993年)」があり、“Jリーグはブーム(流行り)に過ぎなかった”ことが露顕され、アトランタ五輪(1996年開催)代表のキャプテンだった前園真聖氏(現“どろよい”コメンテーター)など、当時の若手の奮闘(今では考えられないような過剰リベラリズムによる年功序列クソくらえ精神で「ドーハ世代(カズや井原ら)」を煽りまくっていた印象がある)からの、そのような若手の中にあって、さらにトリッキーな存在だった「中田英寿(1977年早生まれ)」の活躍もあり、フランスW杯(1998年・最終予選1997年)でのW杯初出場を果たしたのだが、この時の紙一重の結果(対イラン。延長戦で3-2)がなければ、プロ化からの流れを知る人間からしてみれば、未だに(2024年時においても)、“プロ野球1強とマイナープロ競技(バスケ、サッカー)”の枠組みに収まっていたような気がする。つまり、話を脱線させ続けるなら、「Bリーグ(プロ・バスケ)」が「野球・サッカー」と肩を並べ切れなかったのは、サッカーと同じ後発のプロリーグであったことと、サッカーとは違い、「W杯」という「五輪」とは別の文脈における“世界一決定戦”がなかったことが大きかったと思う。
「五輪」にインテグレートされていない、サッカーという独立競技による、“真の世界一決定戦(ようはアマチュアではなく、プロが率先して参加したいという熱量を誇る世界大会)”からなった、「W杯=ワールドカップ」という響きは、当時思春期だった少年たちにとり、相当深く刺さっていたような気がする。
つまり、そのような流れを持つ人間として、長らく“サッカー派”であったわけだけど、最近は集中して観続けることが前提になっている「サッカー」という競技に対し、必ずしも集中し続けなくてもある程度楽しめる「野球」という競技の方が、観易く感じるのだ。
これを平たく言うなら、まあ“おっさん化”——身体能力が劣化——しているわけだ(認めたくはないが)。
なので、“画角から逸れたところでは、いったい何が行われているのだろう?”という思春期のような想像の羽を、少なくとも「サッカー」という一分野においては、広げるのがかったるくなってきた現状にあって、メジャーリーグがメジャーリーガーの出場を認めていないことからも、“真の世界一決定戦”ではない「プレミア12」(WBSC主催)においても、それなりに楽しめるわけだ。
そして、台湾との決勝戦で日本代表は敗れた。
「TVer」による視聴が出来なかったこともあり、寝袋からむくむくと這い出して、とりあえず画面には写るだろう結果を確認しようとしたところで、ジャイアンツの抑え投手である大勢が“銀メダルを首からすぐ外した”というトピックタイトルが目に飛び込んで、負けたのだと知った。
勝つ時もあれば、負ける時もある—―。
と、過程を1秒も目にしなかった自分は、中身空っぽの感想しか述べられないのだが、今後、日本は台湾にちょこちょこ負けだすようになるかもしれない。
自分が知る限り、(“真の世界一決定戦”ではないとはいえ)トップカテゴリーの試合で、日本が台湾に負けたことはなかったような気がする。おそらく、「ソウル五輪」年代(1988年の五輪)くらいまで遡った上で、“トップアマ対トップアマ”だった時代の敗北が最新なのではないか?――そう考えると、台湾目線で見た時、実力以上の負荷(劣等感や呪縛?)が伸し掛かっていたと想像される。
それこそ、1997年のサッカー日本代表が「W杯」の扉をこじ開けなければ、さすがに未だ“W杯未出場(2002年の自国開催を除く)”ということはなかったとは思うが、W杯出場に向けしのぎを削り合う他の予選出場国(「グループC」豪州、サウジアラビア、インドネシア、中国、バーレーン)のサポーターらから、「日本の強さはアジアを超えているのだから、(よりレベルの高い)欧州予選の方にカテゴリーを転出してくれ」という嘆きのような畏怖のような声が上がるほどの強さには、ならなかっただろうことが予想されるように。
過度な尊敬がなくなったのだとすれば、台湾は今までよりも手強い。
そして、今回の「プレミア12」に対するレギュレーションへの不満——最終的な白黒星。台湾6勝3敗。日本8勝1敗。
が、湧き立ちそうなことを踏まえると、またまた騒動化せんとしている「兵庫県知事選挙」に顕されるような、“負けてからごちゃごちゃ言い出すのはダサい”という野球評論家兼ごりごりのYouTuberである里崎智也さんの主張が、鼓膜でコールされるかのよう。
ひろゆきさんは、「やる気のある無能な味方は殺せ」という誰かの格言を、「兵庫県知事選挙」に当て嵌め論評しているけど、“無能とはいえやる気のある人間なのだから、まあまあまあ……”が捨て切れない自分にとっては、プロ野球のプレーオフ制度からの日本シリーズへの流れ、兵庫県知事選、プレミア12という一連からの「負けてから文句を言うのであれば、勝っている時から言え」の方がしっくりくる。
しかし、と、言いながらも、現状を見ていると、8勝1敗の日本が準優勝で、6勝3敗の台湾が優勝したという最終成績(公式結果)に対し、特別大きな不満が渦巻いているわけではなさそうだ。
この辺り、「台湾」(という事実上の国家)に対しての好感度が、日本国の大衆にとっては高いのだろう。
またそれに、この公式結果を否定し出したら、“真の世界一決定戦”として立ち上げられた2006年の第1回「WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」における本当の優勝国が、韓国ということになりかねない—―日本5勝3敗、優勝。韓国6勝1敗、ベスト4。
従って、今回の「プレミア12」の結果に対し、抑制的であるというのは、近現代的な過去を知っている人間が、ある程度いるからだろうという推測が、成り立っていると言えるのかもしれない。
ついでに。
1998年までの勝負なら、Leo the football氏(現社会人リーグ2部監督)より、自分の方が優秀なサッカーコーチであったと思う。
ちなみに。
最近は、一時期——「社会人リーグ2部監督」就任前——より、Leo the football氏のYouTubeを観なくなった。
その理由は、脇に置き、だから、レオ監督のYouTubeをしっかりと視聴している人たちからすれば、自分が冒頭に触れた“サッカーより野球の方が、人気面で高いとする理由を、(Leo氏は)森保監督の戦術に求めている”とする意見に対し、反論したくなっていると思う。
「お前のその考え方は間違っている」
「見てもいないのに、適当なことを言うな」
――と。
わかる。それも、わかる。
おそらく、この一文ではまとめられないほど、“微に入り細を穿つ”ような説明を、レオ監督はしているのだと思う。
しかし、その一方で、熱心に視聴したいYouTubeだとは思っていない、ある意味で一般目線(非マニア目線)からの見立てとしては、的外れとは呼べない範疇に収まっているだろうとも思っている。
個人的には、「戦術<選手個人のやる気(モチベーション)」というレオ監督の持論は同意出来る。
また、このまま脱線を続けるのなら、レオ監督がお笑い芸人(元々よしもとのお笑い養成所「NSC」出身の芸人)として、大成しなかった理由も動画を観ていると何となくわかる。
上がっている動画によっては、「(レオ監督は)芸人としても優秀だった」というようなコメントも見掛けるけど、個人的な見方は逆で、YouTuberとしての活躍を見るにつけ、“「芸人」として売れなかったことは自然なことであった”と思ってしまう。
さらに、これを続けるならば、真空ジェシカが「Mー1」で優勝出来ない理由と、同根であると感じる(もちろん芸人として見た時、「Leo氏」と「真空ジェシカ」は違うレベルにある)。
また、この見立てに関しては、松本人志さんの見解とも違うし、それ以外のM-1審査員たちの見解とも違うだろう。
だが、その見解がどのようなものなのかは言わない。
「記者会見」の要請を煽られたとしても固辞する。
何のかの言ったとしても、Leo the football氏は自分の100倍は凄い。
芸人としては失敗したが、人生の勝ち負けからは逃げていない。
その意味において、自分と比較考慮すべき対象ではない(実際、直接的に真面目に比較はしていないと思う)。
だから、Leo the football氏が芸人として成功しなかった理由であり、真空ジェシカが3年続けて「Mー1」の決勝戦で敗退し続けている理由——持論——は、言わない。
肩を並べることを前提にしたならば、近未来における現代史として、最低限「Mー1」で優勝(微に入り細を穿つ説明をするのなら、“最低限Mー1の決勝戦に出場し、決勝戦では自分のやりたい漫才をやる”)という現象を起こす必要があると考えている。
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