「M-1」までに間に合わせて来たことを踏まえると、かつての「松本人志」ではないのかなという気はする。元々他人に気を遣いながら生きてきた人だろうから、それそのままと言えばそうなのだろうが。
「喜多川」となぞらえることに執着してきた人がこれで収まるのかという懸念もある。
改めて書く。
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