本当にありがたい?
自分自身の癖として、起こった出来事や、人との関わりなど
何かにつけて「ありがたい」と言っていることに気づいた。
心から感謝をしていることももちろんあれば
自分の心にモヤモヤを抱えたまま、ありがたいと言っていることもある。
何がきっかけで、このようになったのかはわからないけれど
自分で勝手に「何事にも感謝ができる人が立派」で、人間力を高めるためには何事にも感謝をしないといけない、と思い込んで気づいたら習慣になっていた。
確かに、物事や起こることに対して感謝ができる人は素敵だと思うし、相手に対して感謝を伝えられることで、円滑なコミュニケーションや信頼にも繋がると思う。
ただ、私の場合は、ありがたいと思うことで、思考停止をして無理をしていることが多いと気づいた。
正直、今の自分にとってありがたくないと感じることも、折角自分に対してアドバイスをしてくれているのだから、、、とモヤモヤとした気持ちを無視して、ありがたいと表現をしていた。
これに関して最近思うことは、「自分で決める」ことをとことん避けるような行動をとっていたということ。
自分で決めたことが間違っていたらいやだ、失敗したくないという気持ちから、人からのアドバイスばかりを聞いて、こうしたらいいんじゃない?と言われたら、自分の心のモヤモヤを無視して行動してきた。
自分の考えに自信がないこと、間違えない方法や失敗しない方法ばかりを探し続けた結果が「ありがたい」の癖に繋がっていたのだと思う。
最近は時間に余裕があるから、心のモヤモヤについて細分化して考えることも増えた。
過去を振り返るとあの経験があってありがたかったなと思うこともあるけれど、嫌なことや、不快だと感じることは、積極的に避けていきたい。
若いうちに苦労をするべきだという言葉に時折迷ってしまうこともあるけれど、やらなくても良い苦労や嫌なことはとことん避けて、自分が心地いいと感じることや、やりたいと思うことをして楽しく生きていきたい。
「ありがたい」で思考を停止させずに、間違っていてもいいから、ちゃんと自分の心に従って選択ができるようになりたい。
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