見出し画像

帝国世界における奇跡術と葉巻 El imperio del tabaco

 帝国の奇跡術はあらゆる傷病を癒やし、すべての水や食料を浄化するばかりか、品質や量はともかく水や食料そのものも「無から創出」し、さらには天候を制御したり乾いた大地に泉を湧かしたり、はたまた手紙などを転送する通信の役割をも担っており、文字通りの意味で人びとの生活に欠かせない存在です。つまり、帝国とは奇跡術という土台の上にそびえ立つ世界とも言えます。
 その奇跡術において極めて重要な存在だったのが葉巻です。
 奇跡をもたらす儀式において、術師は葉巻をふかして祭壇や奇跡の対象者、転送する物品へ吹きかけるほか、ほとんどすべての奇跡術は「葉巻の灰を落とす」ことで発動します。つまり、葉巻がなければ奇跡術の儀式は成立しないと言ってもよいほどに、両者は深く密接に結びついているのです。
 そのうえ、葉巻は老若男女を問わず帝国の人々が愛好する嗜好品としても暮らしに深く浸透していて、あまりに野放図な喫煙ぶりは、しばしば地球人を困惑、あるいは驚愕させてもいました。

奇跡術と葉巻

 ところが、このように葉巻は奇跡術と深く結びついているものの、実のところ「絶対に必要不可欠」というものではなかったのです。例えば、小説においても葉巻を用いずに奇跡術を行う描写があります。

 しかし、すぐ気を取り直して、せいいっぱいの笑顔をつくり「お気遣いありがとうございます。とはいえ、私は確かに聖女なのですよ。ほら」と、手のひらに細い葉巻を出現させた。
 非神子であるメルガールは、この程度の奇跡術なら願訴人なしでも行使できる。
 礼拝堂を出る間際、メルガールは『聖女』がちびた葉巻を投げ捨て、掌中に火のついた新しい葉巻をぽんと出現させるところを目の当たりにする。
 なるほど、確かに『聖女』だ。それもあの程度なら願訴人を必要としないほどの能力、疑う余地がないほど紛れもない聖女だった。

 これらはいずれもごく初歩的な転送の奇跡ですが、葉巻をふかしていないことは明らかです。
 また、旧帝国においてはしばしば奇跡術師が生贄の血を口に含んで血煙を噴いたり、血液や体液(特に精液)を滴らせて奇跡を発動させていたとされています。そう、あたかも新帝国の奇跡術師が葉巻の煙を吹き、灰を落とすかのごとくにです。
 つまり葉巻は生贄の代替え、正確には生き血の代替えとして用いられているのです。
 旧帝国時代の記録は大半が失われてしまい、わずかに残されたものもすべて黄印の兄弟団が厳重に管理しているので、その実態については推測することも困難でしょう。しかし、兄弟団が作成した「奇跡術に葉巻を用いることの有用性を説く」小冊子によると、旧帝国においても葉巻が用いられてはいたそうです。ただ、あくまでも補助的な存在に過ぎなかったと書かれています。
 なぜなら、製法が未熟で燃焼時間が短く、燃え方も不安定だったため、大規模な奇跡術どころか、日常的な奇跡においても用いられることはなかったようで、もっぱら嗜好品として消費されていたとのことです。
 とは言え、これはあくまでも黄印の兄弟団による説明なので、当然ながらそのまま受け入れることはできません。ただ、注目すべき要素がないわけでもなく、特に燃焼の継続時間と安定性が奇跡術において重要であることは間違いないので、あながちデタラメとも言い切れないところはあります。実際、奇跡術に用いられるのは葉巻、それもプーロあるいはエル・シガロ デ プーロと呼ばれるタバコ葉のみを使った純粋(プーロ)なもので、地球人が持ち込むだけの紙巻きはもちろん、パイプ(ラ・ピパ)も使われることはありません。その理由が、燃焼時間と安定性なのです。

紙巻きとパイプと葉巻

 まず、紙巻き(シガリージョ)は地球人が持ち込むだけなので、そもそも供給はほとんどないのですが、それ以前に燃焼時間があまりにも短く、兄弟団における実験でも使い物にならないとの評価でした。
 次にパイプですが、後述するように黄印の兄弟団が厳しく弾圧したため、現在では滅多にお目にかかれません。
 ただ、旧帝国ではトウモロコシの芯を使ったコーンパイプ(ラ・ピパ デ マイス)や石火皿、骨のパイプが使われていた他、地球から持ち込まれた木製あるいは金属製のパイプも存在していたようです。そして、パイプは回し飲みできるほどの燃焼時間があるものの、灰を落とす動作に問題があると「黄印の兄弟団」は主張しています。具体的には、葉巻がいったん灰を落としても着火すればすぐ煙が出るのに対し、パイプは火皿の灰を一度に落としにくく、さらに落としたあとは火皿を掃除しないと次のタバコを詰められません。そのため、連続的に奇跡を起こすことができないというのが、兄弟団の主張でした。
 とは言え、そもそも奇跡術の儀式は術師のみならず願訴人や助訴人も気力や体力をひどく消耗するので、連続的に行うこと自体が極めて困難です。実際、旧帝国においては奇跡術にパイプタバコが広く用いられていましたし、生贄と並ぶほど一般的な存在だったと考えられているのです。さらに、奇跡術用に様々な工夫や仕掛けが盛り込まれたと思われるパイプも存在しており、兄弟団が主張するような問題は発生しなかったのではないでしょうか?
 事実、異端者や辺境の聖女が奇跡術にパイプを用いているとの報告もありますから、単なる難癖と言ってもよいでしょう。
 ただし、帝国においてはパイプを奇跡術に用いるどころか、所持しているだけで異端審問にかけられるほどの重罪ですから、あえて試そうとするものはいません。そのため、嗜好品としてもパイプはまず見かけられませんが、辺境では葉巻を買えない貧困者がパイプを自作することが多々あり、時として大きな騒動へ発展することもありました。
 黄印の兄弟団がこれほどまでにパイプを敵視する背景には、兄弟団が葉巻の製造から販売までを独占しているという利権構造があります。また、品質を度外視すればパイプタバコは奇跡術による創出が可能で複製も容易なのに対して、葉巻は創出が基本的に不可能で複製も困難という要因もあったのです。つまり、葉巻は流通統制が可能なのに対し、パイプタバコは事実上不可能なのです。
 これには構造の複雑さと大きさで創出や複製の難易度が決まるという、奇跡術の特性が絡んでいます。つまり、単純な構造で小さいものは難易度が低く、反対に複雑な構造の大きなものは難易度が高いということです。
 旧帝国においては多数の葉を重ねて圧着し、それを箱状に切り出したものや、あるいは荒く刻んだ葉を箱などに押し込んで潰し固めたものがパイプタバコとして流通していました。それらを喫する際はナイフで削ったり指でほぐすなどしてパイプへ詰めていたのですが、すき間なくみっしりと固められているので、奇跡術で創出あるいは複製する際にひとつの塊として扱うことができました。つまり、構造が単純で小さいため創出や複製が容易で、品質さえ度外視すれば一服でひとつかふたつ、能力の高い奇跡術師ならみっつの塊を創出できたとされ、複製に至っては数個かそれ以上が可能だったと言うのです。しかも、パイプタバコの塊はひとつで数回の儀式をまかなえるとされていたので、効率も非常に良いのです。もちろん、奇跡術師の消耗や品質という問題は存在していましたが、練達の奇跡術師ならパイプタバコを創出、自活することさえ不可能ではなかったと考えられています。
 対して葉巻は中心部から填充葉(てんじゅうは:トリパ)、中巻葉(なかまきば:カポーテ)、上巻葉(うわまきば:カパ)の三層構造となっているうえ、細長く切ったタバコの葉をしごいて束ね、巻葉で包んだ内部には空気を通す隙間があるという、非常に複雑な構造となっています。そのうえ奇跡術に用いられる葉巻は嗜好品のそれよりもはるかに太くて長く、先述のように創出は基本的に不可能で、また複製も非常に困難でした。なにしろ、帝都の奇跡術学院で日夜研究に勤しんでいる最高レベルの術師たちですら、創出には成功したことがなく、複製にしても儀式に葉巻を1本使って1~2本がせいぜいだったため、労力を考えずとも実用的とは言いがたいありさまだったのです。
 それに対して、葉巻職人(トルセドール)なら数分で1本は仕上げられますし、熟練の職人ならさらに多くなります。もちろん、奇跡術と違って願訴人も不要です。確かに材料のタバコ葉や作業台、タバコ包丁などは必要ですが、それを含めても比較にならないのは明らかでした。
 そればかりか、奇跡術で複製される葉巻はなぜか元より品質が落ちるので(とはいえ、基本的に複製術で複製元の品質を保つことは至難とされているのですが)、最近では奇跡術師が自らの能力を誇示したり、あるいは研究目的でしか試みられないのです。
 こういった背景から、帝国における葉巻は地球から持ち込まれたものを除き、すべてが「帝国で人の手により作られて」います。そして、葉巻の製造と販売を独占しているのが、黄印の兄弟団でした。
 最後に葉巻ですが、その構造は地球のそれとほぼ同じで中心部から填充葉、中巻葉、上巻葉の三層となっています。大きさもほとんど同じなのですが、地球のように太さと長さ、形状で数十種に分かれるようなことはなくて、また単位もインチ法とは無関係の帝国独自規格でした。ただし、帝国人は規格化という概念を「地球あるいはユゴス星よりもたらされた胡散臭いなにか」と受け止めているので、葉巻についても巻葉の広さや質に応じて作れる大きさを決め、あるいは奇跡術の儀式で求められる性質によって大小様々なものを好き勝手に作っていました。そのため、いちおうの規格は存在するものの、さほどまもられていなかったのです。
 葉巻の種別についてですが、帝国では手巻きのみが生産され、機械巻きは地球産のもののみとなっています。そして、黄印の兄弟団における葉巻の製造方法も地球のそれとほぼ同じなので、なんらかの方法で地球から技術を習得したか、あるいは地球の葉巻職人を連れてきたのであろうと考えられています。
 帝国産葉巻の味や香りについても、いちおう嗜好品なら大きな差はないとされています。ただし、地球人にしてみれば大きさや葉の詰まり具合などばらつきが激しく、味と香りが全く安定しないという問題を抱えていました。
 他方、奇跡術用の葉巻は地球産の葉巻よりもはるかに大きいほか、味と香りも非常に独特と言うか、全く異なっているものが少なくありません。それは、奇跡術の効果や成功率を高めることを優先して味や香りを度外視するためで、特に奇跡術よけの葉巻は大変な悪臭と刺激的な紫煙をまき散らすことで知られています。

黄印の兄弟団による葉巻の専売

 最初にも述べたように帝国の基礎は奇跡術で、葉巻はその奇跡術に欠かせない存在とされていました。その製造と販売を一手に独占していたのが黄印の兄弟団なので、葉巻はその権力を支える背骨ともいえました。
 ともあれ、黄印の兄弟団は新帝国の成立前から積極的に葉巻を奇跡術へ用いていまた関係からか、名づけられざるものの妻を崇める旧帝国の奇跡術師たちと戦ううえでも、先述したような葉巻の優越は決定的な効果を及ぼしたとも主張していたのです。葉巻の優位と言っても真偽の程は定かでなく、多分に神話めいた物語でした。だが、兄弟団の奇跡術師なら誰もが信じているといってもよいほどで、また内戦期には旧帝国の奇跡術師も葉巻へ鞍替えするものが現れたとされています。
 このような背景のもと、黄印の兄弟団は新帝国の成立直後から葉巻の生産と販売を独占していったのです。また、黄印の兄弟団が葉巻の専売権を得たのは新帝国成立後なのですが、その以前より製造技術を確立していたのは間違いありません。
 兄弟団は帝都に巨大な葉巻工場を設立し、各地の寺院では葉巻を販売しました。同時に異端審問を通じて葉巻の密造や横流し、パイプの製造や使用などを厳しく取り締まったのです。例外は地球人が持ち込む葉巻やパイプでしたが、どちらも量は微々たるものだったため、たいていは黙認されていました。
 もちろん、これは地球人、それも黄印の兄弟団が招いたり、あるいは連れてくるような重要人物であればこその特例です。当然ながら帝国人は話が別でして、なんらかの方法で地球から持ち込むことはもちろん、地球人から「兄弟団を通さず葉巻を買う、あるいは譲渡される」ことも異端審問の対象となっていました。それは、地球人から葉巻をプレゼントされた帝国人のメイドが拷問にかけられたこともあるほどです。
 その他、工場では出退勤の際に男女の労働者を全裸にして司祭が検査するのですが、それでも葉巻の製造時に出る屑葉を工場から持ち出した労働者が処刑されることが多々あります。このように、兄弟団による統制は厳格を極め、辺境の聖女信仰などの取締よりもはるかに人びとの反感を買っていました。ですが、実質的な兄弟団のトップで異端審問長官のヒメネス枢機卿は帝都葉巻工場の管理棟へ本部を移すなど、より統制を強める姿勢を明らかにして、反発を力で抑え込もうとしたのです。

葉巻の構造(西語)

葉たばこを収穫して葉巻用に処理、保管するまで(西語)

葉たばこの処理

葉巻職人の作業

葉巻づくりのインフォグラフィック

葉巻ブランドを立ち上げた双子姉妹のインタビュー(吸いっぷりに注目)

名称など表記一覧

葉巻
プーロ
エル・シガロ デ プーロ
El cigarro puro

純粋
プーロ
Puro

パイプ
ラ・ピパ
La pipa

コーンパイプ
ラ・ピパ デ マイス
La pipa de maíz

紙巻き
シガリージョ
cigarrillo

填充葉
てんじゅうは:トリパ
tripa

中巻葉
なかまきば:capote
カポーテ

上巻葉
うわまきば:capa
カパ

葉巻職人
トルセドール
torcedor

¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!