ブロ解されて胸がチクッとした
そういえば、最近ツイート見かけないな〜なんて思って、ふらっとプロフィール覗きに行ったらブロ解されていた。まじか〜なんて思いながら、まあSNSではよくあることだし仕方ないか、とそんなに気にも止めなかった。
こういったことに慣れてしまってはいるものの、ネット世界じゃないリアルな現実でも学校や職場という場所で同じようなことが起きる。よく話をしたり、移動教室を一緒にしたり、休憩時間に一緒にタバコ吸いに行ったりしていたはずなのに、突然と距離を置かれることが過去にあった。なんで、どうして?って疑問だけが残って、それは解決しないままその人たちとの関係は終わる。きっとどこかで、その人にとっての地雷な部分を自分が踏んでしまったんだろうな〜なんて思いながら自己完結してしまう。
本当に相手のことが好きで、本気で仲良くなりたかったら「なんで?」って直接その人に聞きにいったりする人もいるだろう。でも自分はそうしなかったのは、そこまで自分にとっても本気じゃなかったということなのかもしれない。
リアルな世界でこれをやられると、物理的な距離がその人と離れるまでどこかぎこちない感情を抱かずにはいられない。昔からその空気感がとても苦手だった。だけどSNSで仲良くしていたと思っていたのにブロ解されたときは少し胸が痛むけど、最初から物理的な距離が無いだけマシだ。なんとも都合の良い距離感で気楽ですらある。
それでも心に残るのは、「自分の何が地雷だったのかな?」なんて思いが存在するからだ。これだけは相手に直接聞かないと答えがでない。思い当たる節は存在してもそれが正解だとは限らない。嫌になって切るという行為は相手主導であり、また自分が相手を切るときも同じで、相手はなぜ切られたのか正解がわからないままで関係が終わる。
ふと思ったのが、SNSって電車みたいなもので相互フォロワーになると同じ電車に乗っているイメージ。電車だから誰がどこでいつ降りてもいい。相互じゃない片方だけフォローしているのはホームから相手が乗っている電車を眺めている感じ。ブロ解は相手が違う電車に乗り換えした感じに似ている。さらにいえばミュートは同じ電車に乗っているけども車両は違う、みたいな。
なんだこれ。え!どういう意味!?って感じではある。
まあ、なんだ。久しぶりに胸がチクッとしただけだよってこと。
リアルな出会いじゃないんだから、そこまで気を負わなくていいよってこと。電車からはいつか終点が来て、誰もがいつかは降りなきゃいけない。折り返し電車とかもあるけど。乗る電車を間違えてしまうことくらい誰にでもあるし、車両に変なやつがいたら電車変えたり、車両変えたりするもんね。そんなことを日曜日の早朝につらつらと書いている。
たかがSNS、されどSNS。現代社会で生きるには必要不可欠くらいになってしまった電車みたいなツールに振り回されないように、楽しんで時には悲しんで使っていこう。
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