フォロワーと、価値の話
当たり前のようにfacebookやInstagramを使うようになってから、自分はどれくらいの人とつながっているのか、自分がpostしたものがどれくらいの人に届くのか、ということがどんどん見える世の中になってきた。
何か投稿すれば「いいね」の数でリアルに数値化されて可視化されてしまうし、自分がどんな人たちとつながって、コミュニケーションを取っているのかとかが一目瞭然になる、なんとも人間関係の透明度が増したまま広がり続けている。そしていよいよ1億総クリエイター時代ということで、各々の頭の中や思考がだいぶ生煮えでも発展途上でも出していくことが推奨される時代がやってきた。Instagram、youtube、note、あとはtik tokやはてなブログなどの各種ブログサービスなど、文章も写真も動画もすべて場は整っている。誰もファンがいなくても、投稿数が一桁に満たなくても1人は見てくれるような時代になっている。同時に、何かしらを出していかないといよいよ通用しない世の中であるようにも感じる。
そんな中で、だいぶ前から「フォロワーが多い人がホテルに無料で泊まれる」とか、「レストランに招待してもらえる」、とか、「最新のコスメが無料で使える」とか、シェアする前提で、その広告単価と自分の飲食費をペイするサービスも目につくようになってきた。
例えばブロガーの人がDaniel Wellingtonの時計をもらったという類の投稿(賛否両論あった)とか、流行りのコスメが発信力のある人を審査して、無料で使えるサービスHowTwo(ハウトゥー)など、フォロワーがいるから得をする(または、そのように見える)サービスが少なからずとも生まれている。
じゃあフォロワーをたくさんつくってどんどん数を稼いでいけばいいんだ!っていうことが、たぶんSNSがスタートした時期にはきっとあったような気がして。
例えばinstagram広告を回したり、場合によってはフォロワーを買えるサービスもたくさん出てきていた。しかも広告だけじゃなくて、「いいね!」を自動でつけまくってくれるインスタの活性化ツールすらあった。(改めて考えるとすごい時代だ)
それでも、それらを継続するには、最終的にはやっぱり真実しか勝てない、そんな気がしている。
・ 自分が商品やサービスを紹介する。
・ フォロワーが自分の提供したサービスや商品を買ってくれる。
→ここでちゃんと「満足」が生まれてくる。
・ またその人の紹介するものを知りたいと思う。
この循環が何回回せるかどうか、ということにかかっているはずなのだ。
例え一時しのぎでフォロワーを増やし、そこに対して告知をできますよと企業案件を取ったとしても、実際にアクティブじゃないフォロワーばかりなら仕方がないし、耳触りの良い言葉でフォロワーにものの購入を斡旋したって、それらに本当に満足しなければもうその人から買いたい!や、その人の情報を取ろう!とは思わないだろうし、継続的にお金を得られるかどうかは、やっぱりその人の発信するものに「毎回価値がある」と認識してもらえることにかかってる。
そう、たぶん、
正しく言えば、「フォロワーがお金になる」のではなく、「フォロワーが、自分をフォローすることで何かしらの価値を感じるようになった時にやっと、自分も継続的にお金(や何か他の価値)を得ることができる」なのかな、と思う。そこには多少のテクニックや最短距離の手法がありながらも、実はその根幹って、極めて泥臭いものな気がしている。
そのためには、やっぱり自分の提供出来る価値を発信し続けることや、愚直に淡々と自分が好きで続けられてかつ誰かに役に立つことをやってみる。それが創作活動じゃなくてもいい、誰かに料理を提供したり、人と人とをつなげる、でも、楽しませる天才になるのもいい。
小さなアウトプットからはじめながらも、誰にどんな気持ちやメリットを提供できるのかを考え続けてやり抜くしかないという、当たり前の結論に至るのだ。それは自分オリジナルのフィールドを、ただひたすら追求している作業なのかもしれない。
「フォロワーがお金を払ってでもフォローしたい」と思えるか、もっと抽象的に直せば、「フォロワーが価値を感じてくれるかどうか」。
目先の娯楽や誰かの言うことや周りの目に左右されず、ただ自分の提供できる価値の量を増やして、積み重ねていく。
そんな愚直なことこそが、一番の価値を生み出す方法だと思ってやみません。
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