自信の所在地
自信がないわけではない。でも、見られるのが怖い。30歳過ぎまで、ずっともっていた感覚だった。
自信はあるか、ないか。そう聞かれたら、「あるし、ない」と答えていると思う。…変な回答。我ながらそう思うが、そうとしか表現できないのが、私の自信に対する認識だった。
30歳過ぎ、ファッションセンスの良い後輩たちと話す時が、特に怖かった。鮮やかなイエローの品よく輝くアイシャドウ、無造作にまとめられたようで計算されたお団子ヘア、シンプルなのに質感ですぐ"いいもの"だとわかる洋服に負けない品と自信をもつ佇まいをもつ彼女たちと話すことが、好きだったのに、怖かった。どうしても直視できなくて目を逸らしたり、可能な時は、足早にその場を後にした。
「こんなセンスのない先輩の話なんて聞きたくない」「偉そうに」という声が、私にだけ聞こえていた。言葉にすると呆れ返るほどネガティブな響き。誰にも何も言われたことがないのに、彼女たち(のような誰か)が言う嘲笑がはっきりと頭の中で響いた。
センスと輝きで満ちた職場は、私にとって、果てしない希望と、私にしか見えない絶望が共存する場所だった。
あの時の声は、彼女たちからではない。
自分自身の過去から来るものだった。そう気づいたのは、その場所を卒業して数ヶ月経ってからだった。
人は、過去の経験や親、どこかで作ってしまった、ダークサイドにいるもう一つの自分と共に生きている場合がある。
その"もう一人の自分"は、いつも自分に声を投げかけてくる。あまりにも自然に伝えてくるから、人の声と判別できない。そこに私は、惑っていた。しかも、そこに気づくのに、時間がかかった。でも、今は気づいたのだ。
誰もが自分の"好き“を大切にしていて、ひとと熱狂を作り上げることに情熱をかける。「可愛くて」「すてきで」「いいもの」を見抜く洗練された目線を持ち、それぞれの審美眼で自分のライフスタイルに組み込む。そして、ミーハーで、どこかちょっぴり周りにも流されやすい。そんな、魅力的な人がたくさんいた。
あの場所は、私にとって、とてつもなく眩しい場所だった。
眩しかったからこそ、闇もまた、冴えていた。
もうきっと、わたしがあの場所に戻ることはないだろう。けれど、いつでも輝きの原点の場所。きっとそこで感じた闇の深さがまた、自分の光を強くするための一要素だったのではないか、と思う。
もし今、あの眩しい場所に足を運んだら、私は自信をもって、堂々と見つめ返せるだろうか。まだ、わからない。でも、いつか。そうあることができたのなら、どこにいたってきっと、ぶれないものになるのだろう。
押し花を閉じ込めたイヤリング。軽やかに舞う青いまつ毛。手元に踊る構築的なリングの数々。私の憧れであり、"らしさ"の象徴。ぱっと見を引く、毎日できる自己表現。
いまも「それ」は、ファッションのなかに、散りばめられている。
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