見出し画像

『暗殺のオペラ』ベルトルッチ

過去と現在が夢幻的に交錯し多面的な真実を描き出す映像の妙。父の死の真相を追う息子もまた真相に飲み込まれてゆく。


主人公アトスと反ファシズムの闘士であった父アトスを同一人物が演じている。かつて父アトスとともに暗殺計画を企てた同志3人、彼らと敵対するベカッチア、父アトスの愛人であったドライファを中心に物語は進む。
同志3人の回想から過去のシーンへ誘われると、過去の人物を現在と同じ俳優が演じている。20年以上の時の隔たりが意図的に消され、マジックリアリズム的で面白い。過去シーンでは女性や子供が多いが、恐らくドライファを際立たせる為に、現在の町では殆ど女性が登場しない。

ドライファは時折マグリットの描く女性のように冷ややかで超然とした佇まいを見せる。彼女は劇中で二度倒れた。一度目は父アトス暗殺の真相を探ってほしいと息子アトスに頼み、断られた時。二度目はアトスとの散歩中。これは父アトスとの過去を息子アトスに告げた際、彼が窓の外に気を取られて彼女の話を聞いていなかったことの想起から。彼女はずっと「アトス」から無下に扱われ続けている。「アトス」に対する不満や不信などの想念が発作を誘発しているようだ。同志たちは父アトスを英雄として扱い続けているが、愛人ドライファにとっては卑怯者でもあった。しかし彼女には英雄アトスしかなく、息子アトスは彼の代用品としてしか映らない。彼女は現在に生きる事を放棄し、非現実を遊行する。

過去と現在、彼方と此方は一層綯い交ぜになっていく。アトスが気を取られていた窓の外には劇場的空間が広がっており、そこで今展開しているかのような事も過去の出来事であった。狩られる獅子は英雄の暗示。

ドライファはアトスを手放そうとせず、彼に一つの真実を見せようとした。彼女の家のテラスでアトスがうたた寝から覚めると、同志3人ともう一人、ベカッチアが卓を囲んでいる。英雄の死に言及するシーンで、息子アトスは彼らのすぐ近くまで迫る。しかし、ベカッチアたちと同じ時間に存在しているにも拘わらず、アトスは現場が見えていないかのように引き返す。攪乱されて眩暈を覚えるような場面だ。

同志3人とドライファ双方が息子アトスを篭絡しようと目論む。アトスは混乱し不信感を募らせた末、決意を以て父が暗殺された劇場へ向かう。

牢獄のような町の住人たちが洗脳されたようにスピーカーから流れるオペラのアリアに聴き入っている中、アトスだけが背を向けて足早に歩いていく。劇場前の牛車に乗った人々が彼に英雄アトスの話を語りかける。「牛」の含意が読み取れないのだが、盲信、浅慮などを意味しているのだろうか。英雄のある行為が明らかになった場面は牛舎であり、同志の一人であるハムの味ききは歌を牛から学んだと言っていた。

死の真相は二転三転する。当地においてアトスの名は反逆と勇気の象徴、民衆は英雄物語に酔い痴れた。だがその実態は。英雄の劇的な死によって反ファシズムの火は絶えなかった。その反面、現在の住人たちは演出家の指示を待つ生き人形のよう。ただ、熱狂の残滓は単に虚しいものではなかった。


土地の狂気というものに惹かれる。深く染み付いた情念の集積が時とともに得体の知れぬ魔力を有し、人々を狂気へ誘うような異界として立ち現れる。アトスが足を踏み入れたタラの町もそうであった。

ハムの味ききは、父上曰く真実なんて何の意味もない、大事なのは結果と言った。会えば口論か幼稚な自慢話をする老いた男ばかりの寂れたタラの町。宿屋の主は「みんな友達」と狂ったように繰り返す。冒頭から醸されるこの不気味な毒は、終盤になってアトスにも作用する。真実が暴かれた時、アトスは既に彼らの共犯者、タラの町という劇場の演者の一人として取り込まれていた。

町の広場で個人は全体の中の一部に過ぎぬと演説するアトス。紛れもないかの「英雄」の息子。
彼をこの町から去らせる電車は遅れに遅れ、線路は草に覆われている。アトスの帰路は見えない。この忘れ去られた町は彼を永久に手放さないのだろう。思い返せば、町に降り立ったばかりのアトスは角を直線的に曲がるなど異様な動きをしていた。既に町が演者としての彼の素質を見出し、食指を伸ばしていたのか。


本作における映像の美しさは見事と言うしかない。まるで夢幻から射す光と翳、それらが現存の巧妙なずらしを引き立てる。

冒頭の広場のショット、黄色味の強い堅牢な建物に囲まれた空間の寂寞とした感じはキリコを思わせる。そしてつい今しがたまで客がいた居酒屋は、不在の雄弁さが不安を掻き立てる。流れるような撮影方法からも時間の感覚を巧妙に操作している印象を受けた。


ただ一つだけ、子供がウサギの耳を掴むシーンが多くて胸が痛んだ。これがなければ本当に快い鑑賞体験だったのだが。当時は虐待としての意識はなかったのかもしれないが、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の件もあり、作品の美しさを手放しで絶賛できない。

いいなと思ったら応援しよう!