『エレニの帰郷』

テオ・アンゲロプロスの遺作で『エレニの旅』に続く第二部。ギリシア悲劇や叙事詩を素地に動乱の20世紀を生きた女性の人生を描く。
前作に続き、壮大かつ流麗なカメラワークに息を飲む。特に、シベリア抑留時、スターリンの胸像が打ち捨てられた廃墟にオルガンが鳴り響くシーンは胸に響いた。

エレニはスピロスと別々にシベリアへ送られ、彼との間に出来た息子Aとも離れ離れになる。孤独な彼女を支えたのは友人ヤコブだった。Aは長じて映画監督となるが、妻と離婚している。2人の間に生まれた少女の名もまたエレニといい、精神的に不安定で家出をしてしまう。彼らの物語は時間軸を前後し、重層的に語られる。

エレニとヤコブがシベリア抑留から解放され、オーストリアの国境を超えるシーンが印象深い。人為的に引かれた線によって家族と引き裂かれ、アイデンティティが揺らぐという苦しみに耐え、線路の先には強制収容所ではなく素晴らしい自由が待っているという希望が新年の喜びと共に描き出されている。

ここで重要なのは、ドイツ系ユダヤ人ヤコブがエレニと別れてイスラエルへ赴かなかったことだ。エレニはその後、スピロスやAとの再会を果たし、紆余曲折の末、スピロスと共に暮らすようになる。エレニを支え続けたヤコブの愛は真に届かない。ヤコブは両親が殺されたポーランドの収容所を訪れた後、「古きよき日々に」と杯を傾けるが、帰郷すべき国も心の拠り所もない彼の苦しみは如何ばかりだったろうか。

2000年末は単なる1年の終わりではない。「僕らの世紀が終わる」とヤコブ。スピロスは何処か能天気な様子だが、それは生きていく為の柔軟さ、ヤコブとは異なり生を肯定できる強さとも言える。駅の踊り場で楽団の演奏に合わせてヤコブとエレニが躍る。1974年に国境を越えた時のように。ヤコブの所作全てに哀愁があり素晴らしいシーンだった。

行方不明だった少女エレニが見付かり、エレニとスピロスはAと合流して現場へ向かう。少女は建物から今にも飛び降りそうだった。身勝手でたじろぐばかりの父親Aに代わり、エレニが孫娘エレニを救う。その後エレニは倒れ、「眠らなくては」という言葉を繰り返す。役目を果たしたという意味の深い言葉だ。ここに男性を排して女性に物語が受け継がれる予感がある。

ヤコブは眠るエレニに「行き場がないと言ったね 今は僕がそうなんだよ 嘆きの壁には行かない」と語り掛ける。彼の祈りは最後までエレニに向けられていた。

受難の象徴のような雨が止み、ヤコブは傘を置いて腕を広げる。光を受けて船から入水する。ヤコブは新たな世紀に生きることは出来ず、自分から全てを奪った激動の20世紀と心中した。

エレニが目を覚まし、ラジオから新たな年を祝う第九が流れる。歓喜の歌声に反し、ヤコブの不在は大きな闇のように確かに感じられる。エレニの指先から水が滴る。Aが制作した映画に用いる曲のテーマだ。メランコリックなピアノの旋律と水と死。

ジム・モリソンやルー・リードらのポスターに埋め尽くされた少女エレニの部屋でエレニは眠っている。スピロスが名を呼び、手を取ったエレニは妻でなく孫娘だった。全ての生者に、死者に雪が降る。時の埃に埋もれていく者と朗らかに駆け出す者の姿の余韻を残し、本作は終わる。この壮麗な叙事詩を理解したとはとても言い切れないが、良き未来を夢み前進せんとする意思を感じる作品だった。

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