『ピクニック at ハンギング・ロック』ピーター・ウィアー
レースの服を纏いあえかに舞う少女たち、運命や死への憧れ、この世ならぬ美の顕現といったフラジャイルな感性とオーストラリア土着の信仰とが融合し、新鮮だった。
天使のような少女たちを統率する校長アップルヤード、この名には含意があるだろう。創世記における禁断の果実は林檎であったか定かでないが、ギリシア神話のヘスペリデスの園やケルト神話の死者の国マグ・メルに見られるように、林檎は楽園と結び付く。
校長の部屋には『燃え上がる6月』が飾られている。右上には猛毒を含む夾竹桃、死と接近した甘やかで気怠い眠り。硬いコルセットや靴からの解放。同じフレデリック・レイトンによる『ヘスペリデスの園』は、ハンギング・ロックでの午睡のシーンに大いに影響を与えたものと思われる。ヘスペリデスは主に3人おり、失踪した少女の数と一致する。もう一人の教師は、ヘスペリデスを監視する竜か、はたまた。
虎の絵は寡聞にして知らなかったが、ハーバート・ディックシーの『The Watcher on the Hill』らしい。校長を拒んだ聖地の番人といったところか。
失踪者を探すためにマイケルが岩山を訪れた際、野生動物や自然のショットが差し込まれる。これは『ヘスペリデスの園』に描かれる竜(蛇)や鳥に繋がり、さらにアボリジナルなトーテム要素であると思われる。
アボリジニはドリーム・タイムという天地創造の神話を重んじているという。
ここでのドリームは通常の「夢」という意味ではなく「旅をする、生活する」という意味を持ち、人間が旅をすれば足跡が残るように、エネルギーやスピリットも残ると考えられている。残す行為をドリーミングと呼び、ドリーミングが行なわれた時間をドリーム・タイムと呼んでいる。
ドリーム・タイムには暗黒の「始まりの時代」、天地創世の「創造の時代」、そして現在にいたる「伝承の時代」の3つの時代がある。暗黒の世界に大地で眠っていた祖先が現れ、太陽や生物を創造し、世界を人間に託して再び大地へと戻っていった。アボリジナルにとって時間は永続的なもので、「創造の時代」は過去ではなく、今も継続しているものととらえられている。
オーストラリア先住民アボリジナルについて知ろう!神話とアートの世界 https://www.mapple.net/global/article/29319/
マイケルが発見したレースの端切れがドリーミングか。失踪前のミランダたちの言葉はドリーム・タイムを示唆していた。「私たちをずっと待っていた」「運命」と。
街では強姦され殺されたのではとの噂が立つが、描かれ方としては山岳信仰的であり、純白の衣装で岩山へ赴いた少女たちとただ一人生還したアーマの深紅の衣装、この色の対比は示唆的だ。
街の人々からは、先住民族の社会を蹂躙した疚しさや畏れが感じられる。
少女たちがコルセットや手袋、靴下を脱ぎ捨てた先を思う。
人間の時間とは異なる精霊たちの時間の中で、彼女たちは永遠を獲得したのだろうか。
・ミランダとセーラについて
夢幻的な前半からトーンが変わり、後半は失踪事件の顛末と非情な現実に手折られるセーラに焦点が当たる。
映画の冒頭、身支度をする少女たちは可憐な鈴蘭のよう。その中で、一際美しいミランダが自分宛の恋文を読み上げる。
ミランダの美しさを讃え、恋しているのは私でなくミランダだと詠い上げる詩、あの送り主は恐らくセーラだ。
ピクニックに取り残されたセーラは自身を詩人だとし、境遇によると思われる不遜さを見せる。そんな彼女を翻弄するミランダの残酷さ。
セーラの生は美しく残酷な神の傍らにしかなかったのだろう。