過去の出来事をプラスに(精神疾患編)①
こんばんは。
最近読んだ漫画。
泣けた〜〜!!
たまたま見つけて読んだんだけど、
きっかけは「仕事柄、病院や病気の事も知っておいた方がいいかな。」
程度で読み始めたんだけど、これは一度読んだ方がいい。
精神疾患かぁ〜・・・。
最近17LIVEでも配信する際に自分のヒストリーを話すことが多くて、
かく言う自分も昔、精神疾患だったんだよなぁ〜・・・。
MLCでも「ネガティブはプレゼント」っていう話があるし。
ちょうど、良い機会なのでヒストリーがてら当時のことを書いてみたいと思います。
自信→絶望
22歳、大学を卒業して自分は静岡県で社会人生活を始めることとなった。
大学時代は大きなプロジェクトのリーダーを任されたり、
内定数も学年では5本の指に入るくらいもらえてたので、
「社会でも絶対にやっていける!!」
そう信じていた。
そんな自分が選んだ会社が県内でもTOP5に入る東証一部上場企業、
ホンダ系部品メーカーの会社だった。
入ってすぐにこの自信は絶望へと変わっていった。
周りを見たら国公立大学出身者に海外からの帰国子女、
とにかくすごい人だらけ。
実際、最初に工場に配属された時も全然仕事ができず、
「あいつは大卒なのに使えない」
と厄介者扱い。
こうなってくると運も悪くなり、なぜか自分が入る製造ラインはトラブルが毎回起きるようになってくる。
上司からラジオペンチで頭を殴られることもあった。
自分の自信は入社一年目、早くも絶望に変わった。
置いてけぼりからの異動
そんな中、大卒入社のメンバーは基本的には工場勤務は1年のみで、
その後は管轄部署からオファーを頂く形で異動となる。
本社、生産技術、品質管理、営業、などなど。
ほとんどの大卒は一年で異動となっていた。
だが、自分は二年目も工場現場にいた。
仕事はだいぶ出来るようになっていた。
辛いこともあったが、周りに理解ある先輩がいたおかげでなんとかこなせるようになっていたのだ。
ただ、焦りはあった。
周りから置いていかれてる感じがしたし、管轄部署に異動した同期には
「お前、まだ工場なのかよ笑」
と、嫌味を言ってくる人もいて、それがすごく嫌だった。
部署長から夜勤前に呼び出しを食らった。
「お前、いつまで工場にいる気だ!」
「普通、二年も現場にいないぞ!」
「しっかりやれ!」
自分は一生懸命やっていた。
だが、評価はされなかった。
「なんで、こんなこと言われなきゃいけないんだ・・・。」
そんな悔しさを噛み締めながら数ヶ月が経った時に日本全土をある出来事が襲った。
”2011年3月11日 東日本大震災”
テレビ中継で目にした地元関東の見覚えのある施設から火が立ち上がっていた。
そんな出来事があった中で、ホンダの生産が止まったことを機に、
会社内の人事異動が活性化したことで自分も異動となった。
異動先は、現場の先輩たちから
「絶対にここに行ったら潰れる・・・。」
「下手したら死ぬぞ・・・。」
そう言われていた・・・
"技術研究所 製品開発2ブロック"
だった・・・・。
開発現場での地獄、そして・・・
この道は茨の道とわかっていたものの、当時の自分はまだメンタルヘルスの
への字も知らない状態で、「部署長に小言言われるなら異動しの方がマシ」
と、半ばヤケクソで移動を受理した。
入って一ヶ月、聞いていた印象と全然違くて、
むしろ新しいことを知れて楽しかった。
元々、技術に関する仕事をしたいとは思っていたから
ある意味では念願が叶った感じ。
「異動して良かったかも。」
「工場の先輩たちの噂話は見当違いだったみたい。」
と、思えていたのは、GW前までだけだった。
GW後に待っていたのは、圧倒的な業務量・・・
そして、仕事も教えてもらえず、相談相手もいない環境。
資料を作ったら、技師と技師補の間を承認のハンコをもらえず、
ずっと行ったり来たり。
そして、あちらこちらから聞こえるヒソヒソ声、暴言、雑音。
全てが自分の精神の破壊を始めてきていた。
ある日、帰り道途中のコンビニの駐車場で耐えかねて、
祖父母に連絡をした。
元々、技術者だった祖父なら気持ちが分かってもらえると思ったのだ。
そこから、叔父と叔母も電話に変わるがわる出てくれて、
話を聞いてくれた。
特に叔母は職場でメンタルヘルスに関することをしている方だったので、
理解が早かった印象だった。
辛いけど、なんとかやっていこう・・・。
そんなある日・・・ロッカーのトイレで倒れてしまい、ついに立てなくなったのだった・・・。
次回へ続く
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