「まゆちゃんのファンです」
友達が亡くなった事を知った日の夜から、しばらく暗闇とか黒いものとかそういうのが恐いと思ってしまうようになった事を思い出した。
私が何者でもなかった、いまみたいに音楽もなにもしていなかった、ただのクラスメイトだった頃に「まゆちゃんのファンです」って書いてくれた手紙がいまでも手元にある。
その子は事故で亡くなってしまったので、新聞に名前が書いてあってそれで知った。家族が私と同じ学校の人の名前があると言うので見てみると、その子の名前だった。
亡くなってしまった事を知ってすぐに封筒の中のその手紙を探した。「まゆちゃんのファンです」あの子が書いてくれた文字がある、文字という質量が筆跡という質量がここにはあるのに、どうして。どうして。
そのあと電車を乗り継いでクラスメイトたちとその子のご実家にお別れをしに行った。夕方に学校を出て、ご実家に着いたのは夜で、電灯のない道は真っ暗だった。絵に描いたような田舎というところだった。こんなところで育っていたんだ。その子の事を少し辿った。
最後に顔を見る事は出来たけれど、ひどい事故だったみたいで、顎より下の首も見えない状態になっていて、歯は欠けていた。お化粧してもらっていたけど、あれこんな顔だったっけなと思った。違う、と思った。別の友達は“そのままのあの子がいた”と言っていた。それでも私は違うと思った。ぼたぼたと涙が床に落ちていってしまったのを覚えている。
当時10代、亡くなった人の顔を見るというのが、私は初めてで、それは身内でなく、友だちで。
なによりも心が突き動かされるときは死生観が付き纏う。このとき形成されたものをいまでも、いまでもずっと思い出している。
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