室越龍之介さんの「会津でLe Tonneau」ふたたび参加してきました!その①
こんにちは。
身辺がバタバタしていたため執筆が遅れてしまいました。申し訳ありません。
書いてるうちに文字数がとんでもないことになり、引くに引けなくなってますが、頑張ります。
さて、さる11月2日と3日、「会津でLe Tonneau」の第2回目が再び会津 下郷町で開催され、今回も2日間参加してきました!
奇しくもポッドキャストウィークエンドと日程が被っていたにも関わらず、たくさんの参加者が下郷町の「体験の森mikan」に結集し、再び知的で楽しい時間を共有できて、感無量でした!ほんっとうに楽しかった〜!
企画・調整してくださったあいりさん、本当に本当にありがとうございます!それから室越さんも、会津までお越しいただきありがとうございました!
前回、第1回目の「会津でLe Tonneau」の内容は、以下の2つの記事で紹介しています。
改めて、偶然ポッドキャストを検索していてコテンラジオを見つけ、室越さんを知り、「どうせ死ぬ3人」や「のらじお」を聴いていた私としては、まさか住まいの近くでこんなイベントが開催され、室越さんと直接お会いすることが出来たなんて、なんだか未だに信じられない気持ちです。
しかも今回は、1日目の夜に懇親会が催され、下郷の居酒屋で室越さん・あいりさん・参加者の皆さんと盃を交わすことができました。何回も乾杯して楽しかった〜!未だにあれは夢だったのかな?と思うことがあります。
というわけで、今回も2日にわたって行われた室越さんの講義内容や私自身が感じたことなどをツラツラと書いていきたいと思います。
※これはLe Tonneau室越龍之介さんの講義録です。この記事で何か得られた知識や知見があるとすれば、それはひとえに室越さん自身の知識と講義の巧みさによるものです。
※実際に室越さんが作成された資料を参考にしつつ、あくまで講義中に自分で取った簡単なメモを頼りに講義を振り返っていますので、間違いや思い違いが多々あるかもしれません。
また、講義内容の順番が入れ替わっていたり、飛ばしていたり、私独自の解釈が入ってしまっていることもあると思います。
「それは間違ってる」と思われた場合、その原因は執筆者の私にありますので、ご承知おきください。
※講義録というのは鮮度があるので、すぐに文字化して記録に残さなければならないものなのですが、いろいろあってこのタイミングになってしまいました。これにより、前回記事よりも講義の内容が曖昧だったり抜けていたりすることがあるかもしれません。申し訳ありませんが、ご容赦ください。
1日目 戦争史
昨今、ネット空間に様々なフェイクやバッシングが飛び交い、
視線を外に転じてみれば、ウクライナとパレスチナで今この時も侵略戦争によって人権が蹂躙されている。
人類は過去の過ちから学び、世界はもう少し平和になると思っていたのに、なぜだか歴史を逆行しているようにも感じます。
こういう時だからこそ、いま一度「人権」について考えたい、というのが室越さんの、講義にかける思いだそうです。
どうして現在こうなってしまっているのか?それを考えるには、まず歴史をつぶさに見ていくしかない。
そういうわけで、1日目は「戦争史」をテーマに、なんと「大航海時代」から「9.11」までの歴史を、順を追って、およそ2時間かけて一気にインプットしました。
前回も相当な情報量でしたが、今回も凄かった……。
(一応)高校の得意科目が世界史だった私M.K.が、へっぽこなりに講義を振り返ってみたいと思います!
領土の拡大合戦(15〜19世紀)
大航海時代・植民地政策(15世紀~)
講義の始まりは大航海時代から。
コロンブスが西回りでアメリカ大陸に(正確にはカリブ海エスパニョーラ島だそう)に到達し、”新大陸を発見”。
ヨーロッパの人々の視野が一気に世界に広がり、スペインやポルトガルといった海洋国家が台頭し、資源と入植先の土地を得るための侵略が始まります。
さらに聖書に載っていない新大陸が”発見”されたこと、地球が丸いことが物理的に証明されたことで、カトリックへの不信感が強まり、宗教改革を激化させていきます。
(余談ですが、地動説をテーマにした漫画『チ。』に最近ハマってて、これがまた面白いんですよね……)
ローマ・カトリック教会は昔から批判に晒されるたびに異端審問会議・公会議という形で議論し、負けた方を破門するかたちで一応の体面は保ってきたわけですが、新大陸のインパクトは大きすぎた……。
加えて、新世界から大量の銀は持ち込まれ、社会が裕福になっていたことも、宗教改革の引き金になったそうです。
ちなみに、先日ご紹介したローラン・ビネの『文明交錯』はちょうどこのあたりのお話ですので、読めば背景事情がより良く分かるかもしれません。
ウェストファリア体制(1648年~)
神聖ローマ帝国で宗教戦争のひとつでもある三十年戦争が勃発し、この余波で、今度はフランスが台頭してきます。入れ替わりが激しい……
三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約は史上初の国際条約であり、これ以降、ヨーロッパ諸国は互いを”主権を持った対等な国家”として認め合い、国際法をとり結び、一方が恣意的に他方を侵略できないよう取り決めます(ただしヨーロッパ限定)。
国際法のおかげで西洋社会に大きな戦争が起きづらくなり、やれやれ平和になったのかな?と思いきや、
今度は経済競争が激化。植民地経営で国力を高め合い、利権と利権をぶつけあう水面下の戦いが始まりました。
ここで登場してくるものとして、
①初のグローバル経済としての、三角貿易
②奴隷
③保険
が挙げられていました。
私はこのあたりから現代政治や戦争の萌芽のようなものを感じました。
①たとえば覇権国家フランスの三角貿易は、
まず西アフリカへ「武器」を輸出し、
その代金としての「奴隷」を新大陸に輸出し、
新大陸から「銀」をヨーロッパに放出させる
……というものでした。
つまり、侵略戦争のような直接的なアクションではなく、貿易という一見ニュートラルで分かりにくい方法によって、アジア・アメリカ・アフリカからゴリゴリ富を収奪していくやり方が、ここで確立されたというわけです。
②当時高価だった砂糖をつくるサトウキビ・プランテーションは、刈り入れ後すぐにエキスを抽出して加工しなければならない、非常に手間も人手もかかるものだそうです。
これを行うために「奴隷」が売買されるようになったそうです。
つまり、産業構造そのものが奴隷を必要とするものであり、逆に言うと奴隷なしには成立しないものが産業として確立してしまったということです。
また、何百人もの奴隷を支配下において統制する技術も発達していきます。
③航海技術が未発達だった当時、新大陸からの収奪品が満載された船が難破・沈没するリスクが非常に大きかった。
これを補填するため「保険」が登場しました。
室越さんは、これは人類が未来を確率論的にとらえ、コントロールしようとすることのはじまりだと仰っていて、ナルホドとなりました。
未来が予測可能である、予測し、対処しなければならない、という錯覚に人類が突き動かされていく、最初のきっかけがここにあったのですね。
こうしてみていくと、現代の戦争や、戦争の引き金になっている様々な要因の原型のようなものが、この時代に誕生したと思えてきます。
現代の戦争を考えるために、まずは歴史を紐解くという行為がとても有意義であることを、この辺りから実感してきました。
革命の時代(18世紀後半~)
いよいよ、激動の時代に突入!
産業革命・フランス革命がはじまる根底にあるものは、室越さんの解釈によれば、植民地経営によって蓄積された「富」と「技術」だそう。
「富」とは、いわずもがな南米の金銀や、植民地から収奪した物や労働力のこと。
「技術」とは、奴隷や労働者を統制し、リスクをコントロールする技術のこと。
これらが蓄積され、まず大英帝国で産業革命が始まります。
さらに、産業革命によって大英帝国の生産力が増大すると、英仏間で貿易摩擦が発生し、フランスの国力が衰退。
国内では貧富の格差が増大し、今度はフランス革命が起こりました。
さて近世から近代へ突入です!
室越さんは、これらの革命によってもたらされたものを以下の3点に整理していました。
①民主主義 (国民の誕生)
②自由市場 (世界経済の誕生)
③市民社会 (世論の誕生)
ところで、③市民社会に関しては、大学でハーバーマスの『公共性の構造転換』を読まされたことを覚えています。うろ覚えですが、
新大陸からコーヒーが持ち込まれる → コーヒーハウスが大流行! → コーヒー飲むとなんだか頭が冴えるぞ!? → コーヒーハウスで政治や経済談義に花が咲く → 世論形成!
みたいなことが書かれていたような気がします(まちがってたらごめんなさい)。
つまりこれも新大陸発見の余波から生まれたということ。すさまじいインパクトだったんですね。
さて、革命の揺り戻しでナポレオンが登場し、一連の戦争によりヨーロッパ世界がめちゃくちゃになりました。
余談ばっかりで大変申し訳ないのですが、わたし教育実習の世界史の授業でちょうどナポレオン戦争をやったんですが、ほんと漫画のヒーローみたいに強敵をバッタバッタ倒すから、生徒のウケもすっごく良かったんですよね。
戦いの名前も、「アウステルリッツ三帝会戦」(フランス・プロイセン・ロシアの3人の皇帝が参加した戦いだから"三帝")とか、なんかいちいちかっこいい。
フランス人がいまもナポレオンの栄光を忘れられないの、分かる気がします。
でも、そもそもなぜナポレオン軍がこんなに強かったのかというと、それがシステマチックに駆動する軍隊であり、指揮命令系統が合理化されていたから、だそうです。
これまでの軍隊は、国王直属の軍隊の他に、諸侯・領主もそれぞれ自前の軍隊を持っていて、共通する敵に立ち向かうときも、兵士は国王の命令を聞かず領主の命令を聞いちゃったりしていて、指揮系統がぐちゃぐちゃでした。
(ウチの会社みたい……)
しかし、ナポレオン軍の兵士は全員が国民です。彼らは領主ではなく祖国フランスのために立ち上がった人々なので、指揮系統が1本に合理化され、システマチックな軍隊を組織することができたのです。そりゃ強いですよね。
ウィーン体制・ビスマルク体制(1815年〜)
ヨーロッパをめちゃくちゃにしたナポレオン戦争のあと、各国は世界を「ナポレオン戦争以前」に戻すことで、勢力均衡をはかろうとしました。
しかし、世界は相変わらず殺伐としていて、まわりは敵だらけ……。
独 vs 仏 → 植民地・政治体制・領土・宗教……とにかく仲悪い
墺 vs 露 → オスマン帝国領の取り合いで対立
伊 vs 墺 → チロル地方の取り合いで対立
英 → ”栄光ある孤立”
この世界観のなかで、宰相ビスマルクが登場します。
この天才宰相は、憎き相手国フランスを孤立化させる外交戦略にうってでます。
独 vs 仏 → ずっと仲悪い、孤立させたろ
独 vs 露 → 再保証条約で国交正常化
墺 vs 露 → 味方の味方は味方、ということで国交正常化
仏 vs 露 → 露が独と条約を結んでしまったので、対立
英 → ”栄光ある孤立”
仏「……あれ?私いつのまにか孤立している……?」
そういえば「エムス電報改竄事件」というフランスのネガキャン事件もありましたね。しかもこれが普仏戦争の引き金になり、孤立したフランスはしっかり負けて存在感を失ってしまいました。
全部ビスマルクの思惑通り!
勢力均衡の終焉
ついに世界のほとんどの地域が誰かの植民地になってしまと、列強諸国は最後のフロンティアである中国に殺到しました。
「眠れる獅子」と恐れられていた中国が、アヘンでズタボロにされて、列強の食い物にされていったわけです。
遅れて近代化した日本は、とにかく北の大国ロシアが恐ろしあ。
ロシア南下を食い止める前衛基地として、そして最後に残された植民地にできそうな地域として、なんとしても中国欲しい!と思ったんですね。
やがて朝鮮をめぐって日清戦争・日露戦争が勃発します。
特に日露戦争は、史上初めての塹壕戦であり、初めてガトリング砲が主兵器として持ち込まれた戦争だったそうです。
余談ですが(ほんとすみません)、日本におけるガトリング砲の実戦配備は戊辰戦争における長岡戦争が(記録の上では)最初と言われています。
長岡藩家老 河井継之助 が、長岡藩江戸藩邸を売り払った金を使って2台ほど購入したそうです。先見の明すごすぎません?
ですが結局あんまり活躍しないまま、新政府軍に敗れてしまいました。
長岡藩は敗戦後、会津藩を頼って山中を「八十里」も北上する過酷な逃避行をおこない、河井も道中の只見町で亡くなり、今は資料館が建っています。
いまでも会津まつりには、毎年長岡から藩公行列に参加してくださっているんですよ。
話を戻して……
今度はバルカン半島でも墺露の代理戦争が勃発します。
こうして少しずつ軛がゆるんできたところで、ビスマルクが逝去。
それまで抑圧されていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、ビスマルクの政治方針と真逆の方針を取り始めます。
たとえばロシアとの再保障条約を、「これ、他の条約と矛盾してない?」という理由で破棄。
急に条約破棄されたロシアは、当然フランスと結びつきます。
またモロッコ事件をめぐりフランスとも直接対立。
ビスマルクが築き上げた絶妙な勢力均衡が、ついに瓦解するときがきました。
第一次世界大戦(1914年~)
はじまっちゃった。
開戦のきっかけはオーストリア皇太子の暗殺で、オーストリアセルビアに宣戦布告したことから始まるのですが、ここまで戦火が大きくなった原因の一つは……
露「もしドイツ攻撃して戦争になったら、フランス私のこと助けてくれるっよね?」
仏「えーー・・?んーー、戦争にならない方がいいんだけど・・・」
露「それって、いざ戦争なったら助けてくれるってことだよね?よっしゃ言質!」
みたいな感じのディスコミュニケーションだそうですよ(かなりデフォルメしていると思いますが!)。
なんだか、会社でもこういうことよくありますよね……ってその場の雰囲気が一瞬疲労感に包まれたのが面白かったです。
勢力図としては
【三国同盟】
オーストリア
ドイツ(積極的に支援)
オスマン帝国
vs
【三国協商】
セルビア
ロシア(積極的に支援)
フランス(巻き込まれた)
イギリス(巻き込まれた)
日本(日英同盟)
アメリカ(ドイツに船沈められたので報復)
結果、【三国協商】側が勝ちました。
この人類史上初の世界大戦がもたらしたものは、以下の3点だそう。
・兵器の近代化 → 塹壕を突破できる戦車、毒ガス → めっちゃ人死ぬ
・総力戦 → 負けそうでも逃げられなくなった → めっちゃ人死ぬ
・植民地兵の登場 → 植民地独立の機運
近世以前の戦争というのは、兵士は自分の軍勢が負けそうになったら構わず逃げたりしていたし、どちらかが壊滅するまで戦うなんてことは滅多になかったそうです。
だけど近代戦争においては、自分の民族意識と国家が直接つながっている。
逃げ出すってことは、国家を裏切ることだし、自分自身を裏切ることにもなりかねない。そんな簡単には逃げられないですよね……。
そういうわけで、全世界が戦争に巻き込まれ、史上最大の戦死者数となったのでした。
加えて、植民地からも徴兵したので、戦後「あんなに協力してやったんだから自治権くらい認めろ!」と、植民地の独立機運が高まっていくきっかけにもなりました。
あとここで絶対に触れておかなくてはならないのは、イギリスの中東政策について。
戦前にオスマン帝国領だった部分に、どのように国境線を引いていくかを決めたのはヨーロッパ列強諸国でした。
特にイギリスは、「バルフォア宣言」「サイクス=ピコ協定」「フサイン=マクマホン協定」という相矛盾する条約をむすび(三枚舌外交)、戦後に大きな禍根を残します。これが現在のパレスチナ問題に繋がっているのです。
ヴェルサイユ体制(1919年~)
戦後は、ドイツに対する懲罰的な内容の国際条約が結ばれました。
ドイツは全ての植民地を放棄し、アルザス・ロレーヌ地方をフランスに割譲、また国境のラインラント地方を非武装化し、天文学的数字といわれる賠償金を課せられました。
さらにこの条約に前後してロシア帝国では社会主義革命が勃発(1917年)。
共産主義という新たな脅威にさらされた西洋は、その防衛ラインとして東欧の独立を次々に認めていきました。一方でアフリカは引き続き植民地のまま。
全世界で甚大な被害を出したことの反省として、国際連盟を結成して軍縮を進めるという動きもありました。
常に均衡を求めるが、一旦均衡すると今度は水面下で対立する、ということの繰り返しなんですね、と室越さん。
単なる勢力均衡では戦争を無くすことはできないことの証左であると、私も感じました。
ようやく平和が訪れるかと思いきや、世界恐慌が勃発。
列強諸国は植民地と自国との貿易を強力に保護するブロック経済を実施して布教を乗り切ろうとしますが、植民地を持たない日本とドイツは一刻もはやく植民地を獲得しなくてはならなくなります。
日本は連盟を脱退し、日中戦争に突入。
ドイツではナチスが台頭し、拡大政策を取り始めます。
複雑に絡まり合った利害関係の網の目に絡めとられる形で、他の国々も参戦し、半ば自動的に第二次世界大戦がはじまりました。
第二次世界大戦(1939年~)
またはじまってしまった……。
ここで特筆すべきは、ナチス・ドイツによるホロコーストが起こったこと。
室越さんの言葉を借りると、「イデオロギーによって効率的に何万人もの人間を殺した初めての出来事」でした。
また、日本は東南アジアで確定しつつあった列強諸国の勢力図を塗り替えるべく、侵攻をしていきます。
陣取り合戦の余地がなくなったから、もう一回陣取りし直そう、というのが日本のやり方でした。
このあたりにはイギリス領(ビルマなど)・オランダ領(インドネシアなど)・アメリカ領(フィリピンなど)・フランス領(ベトナムなど)……と、複雑な勢力図になっていたため、複数の列強を相手にすることになります。
そして1941年、真珠湾攻撃によって太平洋戦争がはじまると、次第に日本は物量で押され始めます。
余談ですが、この時ハワイには日系移民が多く住んでいて、人口比率では白人に次ぐマジョリティとなっていました。それまで穏やかに暮らしていた彼らは、真珠湾攻撃の日から敵国人扱いされ、外を出歩くのも難しくなったそうです。
そして、この汚名を注ぐために多くの日系2世が米国陸軍に志願し、ヨーロッパ戦線で大活躍することになりました。
戦争は国と国との戦いだけど、実際には民族は入り乱れていて、敵味方の明確な線引きなど不可能だということが良く分かります。
ミッドウェー海戦を皮切りに、日本はどんどん占領地を失っていき、45年3月には沖縄戦、8月には2度の原爆投下、さらにソ連参戦の報せをうけて、8月15日に無条件降伏しました。
また、45年5月にはドイツも無条件降伏。かくして第二次世界大戦は終わったのでした。
第一次世界大戦における戦死者はおよそ1,000万人。対して第二次世界大戦はおよそ5,000万人にのぼりました。
冷戦――イデオロギーの戦争の激化
終戦後、世界的にようやく植民地政策 = 領土の陣取り合戦をやめようとなった一方で、
シオニズムが表面化し、パレスチナ問題が炎上。
イスラエルによる局地的な植民地政策が加速します。
そもそもこの問題の発端は列強諸国が中東の旧オスマン領に恣意的に国境線を引いたこと、そしてイギリスによる三枚舌外交が原因であり、「パレスチナ問題が宗教問題として勝手に立ち現れてきたのではない」ということが重要です。
古くからヨーロッパでユダヤ人が迫害され続け、近代になるとポグロムやホロコーストといった形で直接的な危害を加えました。
さらに戦後になって亡命ユダヤ人達がヨーロッパに帰還しても、それを受け入れなかった。
結果、イスラエルの人口が増え、加速度的な植民地政策に繋がっていきました。
室越さんの言葉を借りると、”ヨーロッパの問題をパレスチナに押し付け、パレスチナが代償を血で払っている”ということ。
自分なりに一つ象徴的なことを付け加えるなら、イスラエルによるパレスチナ人の迫害を、パレスチナ側からは「ナクバ」というのですが、
私たちは「ホロコースト」という言葉はよく知っていても、「ナクバ」という言葉はあまり知らない。
それはナクバ関連書籍がホロコーストに比べて圧倒的に少ないからであり、世界的な出版業界を担う西洋諸国がナクバをあくまで「中東の問題」と思い込んでいることの現れであると思っています。
また一方で、資本主義陣営と共産主義陣営との対立が先鋭化し、冷戦に突入。
直接戦火を交えなかったから「冷たい戦争」→「冷戦」というわけですが、実際は多くの代理戦争が勃発しました。
朝鮮戦争・ベトナム戦争・キューバ危機・中国の内戦・ソ連のアフガン侵攻……ちなみにベトナム戦争ひとつとっても、ベトナム人戦死者は太平洋戦争の日本の戦死者数に匹敵すると言われています。
こうした激しいイデオロギー戦争は、1991年ソ連崩壊によって一旦収束します。
ベルリンの壁が崩壊し、旧共産主義国は次々と革命によって民主化していきました。
パレスチナ問題においても、イスラエルのラビン首相とPLOアラファト議長が歴史的な和平協定を結び、2人揃ってノーベル平和賞を受賞しました。
ほんの数年前まで、私たちは「このまま世界は平和の道を歩んでいく」と確信にも似た気持ちでいたと思います。私もそうでした。
じゃ、実際どうなったんでしょう?
21世紀を考える
2001年の同時多発テロで、アメリカはイラク、ついでアフガニスタンに侵攻しました。
武装組織「タリバン」は、かつてソ連のアフガン侵攻の際に、アメリカが内部工作によって仕立てた抵抗勢力だったそうです。
なんという皮肉でしょうか。
そしてロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナ侵略。
結局世界からは戦争が消えず、まるで歴史を何度も繰り返しているかのように見えます。
室越さんが作った最後のスライドの文字が、メモ帳にしっかりメモされていました。
なぜ戦争は無くならないか?それは、
「植民地を作ったから。」
そして
「植民地を存続しようとするから。」
つまり、陣取り合戦をまだやりたいと思ってるからだ、という事でした。
非常にシンプルですが、ここまで講義を聞いた身からすると、もうそれ以上の説明はいらん!となりました。
人間って不完全
質疑応答が個人的にかなり面白かったです。
ルソーは人類は原初状態においては平等で平和だった、と規定しています。
だけど室越さんはそうではなく、人は大なり小なり序列を作りたがるのだ、といいます。
ただし、古代社会においてはたとえ戦いになったとしても、その激化を防ぐ機能が備わっていた。
それは集団間の婚姻関係や贈与関係であり、たとえば妻となるべき女性をある特定の集団からしか調達しないことによって、集団間の対立を防いできた。
現代においても、(もちろん婚姻制限を設けるべきというわけでは決してなく)このような対立を防ぐ機能を模索してもいいんじゃないか、というようなことを仰っていて、新しい視点を得た気持ちになりました。
また、人間が不完全であるということを、私たちはきちんと自覚できていなかった、ということも仰っていました。
これって、啓蒙主義が批判されてから哲学の世界ではずっと言われてきたことだと思うのですが、やっぱりどこかで「人間はこれほど愚かなはずない」って思ってた。常に理性的であることが可能だと思ってた。
だから歴史を繰り返してしまった。
実際には、我々はフェイクニュースに簡単に騙されるし、情報の氾濫に思ったより対処できていないし、ディープステートとかに絡め取られたりしている。
で、いまだに戦争している。
常に自分が騙されやすく、流されやすい不完全な存在であることを認識することは難しいけれど、それをしないと実際に情報に流されてしまう人たちを不当に軽蔑し、敵対してしまうなと思いました。
1日目の感想
世界史をザーーーッと俯瞰し、戦争の根源を順番に見つけていく作業が、1日目の講義の真意だったと思います。
記事の中で太字で書いた部分が、私にとって「戦争の根源の一つはこれでしょ」というものです。
今回は現在起こっている戦争の共通項を見るために、世界史の大枠を俯瞰したということだと思いますが、
個別具体的な戦争においても(例えばロシアによるウクライナ侵攻など)、同じようなやり方で歴史を遡って根源を探す作業が必要だなと感じました。
また同時に、大枠を俯瞰することも重要だけど、その現場にいて、生活し、逃げ惑い、あるいは戦っている市井の人々のミクロの経験も重要であり、
マクロの事実関係をある程度把握した上で、ミクロの個人的経験に視野を深めていかなくてはならないなと思いました。
でないと、戦争というものを抽象的な歴史的事象として、なんだか距離を置いて見ちゃいそうだからです。
文学用語では「ミクロコスモス」というそうですが、自分の中での価値判断体系を人生を通じて構築していくことが大事で、
このミクロコスモスは、私の中では東京タワーみたいな構造物のイメージなんですが、
土台がガッシリしていなければ、より上部の具体的な情報に接したときに、グラグラ揺れてしまう。ときには崩れてしまう。
今回の講義は、この土台の部分を強固にしてくれた感じがします。
いや〜〜面白かったです。
2日目も鋭意執筆中ですので、もう少しお待ちいただければと思います。