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そりゃないよ、おやっさん

先週の話です。

もう終わりが近いゴーヤに、久しぶりに大きな実がなった。

いつ収穫しよう…

毎日毎日眺めて、

もう少し

もう少し

最高の状態で収穫しようと、
その鋏入れの日を心待ちにしていた。

ところが…

おそらくこれを読んでいる皆さんは、
もうお察しのことと思いますが

ある日帰宅すると

ゴーヤがない‼️

嘘だろっ

なんとゴーヤはビニール袋に入って、冷蔵庫の中にあった。

そ…ん…な…😭😭😭😭

誰がって?
一人しかいない。

おやっさん、そりゃないよ

これまで一度も、ゴーヤを取ったことなかったのに、なぜ急に???

とはいえ、まあ
なくなったわけではない。

こんな立派に育ったゴーヤ

美味しくいただかなくっちゃ‼️

そういえば、いただいたこんなものがあった💕

せっかくだから、これでいただこう!

切ってみたら、やはりもう少し収穫遅くてもよかった。
でもまあ、十分美味しく食べられる状態でした。

こうして、ゴーヤを切って、専用タレをあえて、トッピングをかけて…

うまし うまし うまし…

当日も美味しかったけど、翌日はもっと美味しくなりました。

まだベランダにゴーヤはなっているけれど、みんな小さめです。

でも、まだまだ食べられます。
もうしばらくは、食べ頃のゴーヤを毎日見定めながら、収穫していける♪

にしても…
父と生活していると

そりゃないよ、おやっさん

とか

勘弁してよ、おやっさん

と思うことが、よくあります。

親子だから、なんでもいえるかと思いきや、
意外と言えない。
25年以上離れていたのもあるけど、
やはり高齢の父には、
言わない方がいい
言ったところで…
言うべきではない

みたいなことがある。

異性であるということもあるし、
いろんな考え方の違いもある。

お互いが若い頃とは、やっぱり色々変わってくるし…

でも、いずれ自分も歳をとる。
あと、30年後、40年後
生きていればの話だけれど、

絶対にできないこと
知らずにやってしまうこと
忘れてしまうこと
気付かずにやってしまうこと
やりたくてもできないこと
そうせざるを得ないこと

いっぱいいっぱい出てくると思うのです。

すでに今も、
若い頃は当たり前にできたことが、大変に感じたり、
疲れやすくなったり、
見えにくくなったり、

まあ、色々ある。

そして、それは10年20年前に想像していたものとは、違っていた。

だからきっと、実際に自分が高齢者になったら、周りが思う以上に、想像する以上に、自分が一番不便さ、もどかしさを感じると思う。

高齢者じゃなくたって

皆が同じ感覚ではない
皆が同じ考え方ではない
皆が同じ価値観ではない
皆が同じ体力ではない
皆が同じ環境ではない

だから、父にあれこれ言わないように、
努力している
(時々言っちゃう)

私がゴーヤをどんなに大事にして
可愛がって
楽しみにしているか

父に言ったことはあるけれど
おそらく気にしていない
なんならもう忘れてる
父にとっては、家に植わっているただの野菜
私が収穫し忘れていると思ったのかも知らない。
早く取らないと黄色くなっちゃうって思ったのかもしれない
当然悪意はない。
わかっているんです。

それに父には、感謝してもしけれないほどの恩がある。
そして、今現在も、本当に助けられている。

何より、一人で動けて、ご飯も食べれて、買い物にも行けて、頭もしっかりしていると言う状態でいてくれることがありがたい。

いつだって感謝してる。

でも時々、やっぱり言いたくなっちゃうの

そりゃないよ、おやっさん😣

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