とうとう入れた!寶䑓院 (静岡市)
先日、と言っても少し前、健康診断の日、静岡市にある寶䑓院(宝台院)に行ってきました。
開館時間が9時から、最終入場15時40分まで、ということで、なかなか行けるタイミングがありませんでした。
宝台院については、過去に何度か記事にしています。
徳川家康の2番目の正妻。二代将軍秀忠の母、お愛の方さまの菩提寺です。
そして徳川慶喜が蟄居していたところでもあります。
以前紹介したように、入ってすぐ左に、お愛の方のお墓が、でーんとあります。
何度も載せてますが、一応
こちらも
この建物、四角い建物で、正直情緒に欠ける…
しかし、実は昭和15年の静岡大火までは、とっても立派で素敵なお寺だったんです。
今回初めて中に入ることができて、当時の写真とかを見て、消失してしまったのは本当に勿体無かったな…と思いました。
では、入ってみます。
まずは2階から
見覚えのある言葉。
どうする家康でも、何度も目にしました。
徳川家康の旗印です。
これ、大樹寺五十八世が書いたとのこと。
家康が、大樹寺でこの文字の意味を聞き、切腹をやめて、この文字の示す世の中を作ろうと心に決めた。
そんな文字。
そして2階には本尊 白木尊
本尊は白本尊は、芝増上寺の黒本尊と共に家康公の守り本尊となった阿弥陀如来立像で、国・重要文化財になっています。
戦の際は、輿にのせて行ったそうで、左耳に鉄砲傷があるそうです。
そのため、家康公の身代わりになったとして、さらに大事にされました。
白本尊と呼ばれる由来は、金箔の下に白い胡粉が使われていたからと言われているそうです。
このフロアには、家康公や、お愛の方、秀頼の位牌も安置されています。
お愛の方の位牌の横には、ちいさな…
百済観音?
なんの説明もありません。
他にも、徳川慶喜の立派な書
まあ、慶喜の書は、あっちこっちで見ますね…
山岡鉄舟の書
書の下の、まばゆい金色の屏風に目が行ってしまいます。
それから、ありし日の宝台院の絵図
すごい立派なお寺だったのですね。
3階の宝物館は、撮影禁止でしたが、昔の宝台院の写真を何枚か見ることができました。
(ホームページで数枚見ることができます)
冒頭に少し述べましたが、かつての本堂は、それは美しく豪華なお寺だったようです。
京都の二条城と同じ材料を使って同じ棟梁によって建てられだそうです。
二条城を思わせるこの本堂は、御霊屋の内陣も鮮やかで金襴華麗な装飾で埋め尽くされ、秀忠公の母への思いと権力の象徴だった。
数枚の白黒写真でも、その豪華さが伝わりました。
見てみたかったなあ…
徳川家康の自画像も、良かったです。
これと、生前家康を見て描いた人の絵が、とても似てるとのことで、一番実物に近いのでは?と思われます。
その他、家康公が父広忠公から譲られた太刀があったり、
家康公が実際に鎧の下に着用していた下着があったり
下着といえど、金の刺繍の立派なものでした。
秀忠が、本田正純に宛てた書状では、鯛の天ぷらを食べてお腹を壊した家康が、一度回復したと書かれていて、鯛の天ぷらが死因ではない証拠になるものとされています。
家康公の書、秀忠、家光の書や、家光が描いた絵もありました。
これらの宝物は、静岡大火のおり、僧侶たちが必死で持ち出したのだろう…と思いました。
宝物の写真は撮れませんでしたが、外の看板にちらっと
また、今回は名号展として、家康が戦の時などに書いていた、南無阿弥陀仏の書が見られるとのこと。
こちらは1階にありました。
大河ドラマの中でも、これを書いている場面がありましたね。
さて、こちらで御朱印をいただきました。
これがまた、思わず、わあ😍
と言ってしまった。
金文字で「愛」
愛情深く、目の不自由な人のために尽くしてきたという、お愛の方。
とっても素敵な御朱印でした。
こうして、そんなに広くはないのですが、じっくり時間をかけて見学し、外に出ました。
宝台院の狭い境内には、お愛の方の墓石だけでなく、
茶人として有名な古田織部が製作し駿府城へ奉納、徳川家康公の侍女・ジュリアおたあが信拝したという灯篭。
中を覗くと
こんな感じ。
入り口に絵馬が置いてました。
宝台院は、静岡駅から徒歩5分くらいのところにあります。
ぜひ一度、足を運ばれてみたらいかがですか?