『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』に二度ぶちのめされた話
2019年1月4日から全国劇場上映されている『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』非常に面白い映画でした。
テレビアニメの劇場版である本作は観客に多大な前提知識を要求する(冒頭のおさらいコーナーとかもない)完全に既存ファン向けの作品なので、読者諸氏に対して一律に紹介・おすすめするというのは筆者の手に余ります。無理は分かっているんですが、ちょっとだけ書きます。
なぜか。『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』には、前提知識の有無やアニメ映画に慣れているかなどという個人の事情を超越して全ての観客をぶちのめす要素があるからだ。
本稿はそれについて語る。つまりお前が目にしているものは極めてじゃあくで危険なレビューだ。本稿は映画本編の物語には触れないが、筆者をぶちのめしたその要素を提示しなければ意味がないので、ネタバレを回避することができない。
だからお前が既にほんの少しでも本作に興味があるのなら、さっさと離脱して劇場に行こう。最低限の知識は下記公式サイトとかから調べられる。そしてお前も俺と同じようにぶちのめされるがいい……。
ここからネタバレ
『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』が俺をぶちのめし、お前をもぶちのめすかもしれない瞬間は上映中に二か所ある。それは「フォトセッション」と「完璧なエンドロール」だ。
「フォトセッション」
照明が落ち、鑑賞中の諸注意と何本かの予告編が終わり、いよいよ映画本編開始かというとき、スクリーンに現れた本編の登場人物……を二頭身にデフォルメした存在が高らかに宣言した。
「これよりフォトセッションを始める。スマホを出せ。カメラをつけろ」(要約であり実物はもっと可愛い)
『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』は「フォトセッション」から始まります。写真撮影です。
上映中の劇場で観客にスクリーンを撮影させる。それがどうしたと思う人もいるでしょう。あるいは筆者が無知なだけで、既にほかの作品でも実施されている演出なのかもしれません。ここはマジでわからない。確かなのは、上映開始からものの数秒で『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』が筆者の中のタブーを打ち砕いたということです。
上映中に携帯電話を使用しないことは基本的なマナーです。しかしもし映画側が許可すれば? 筆者はこの時初めて気づきました。この時間、この劇場空間のルールを決めるのは観客でも劇場でもない。映画だ。映画こそが主役であり、観客はその示すものをただ受け入れるしかない哀れな弱者だったのだ。
掟破り、いや違う、俺は掟を決めるのが誰なのかを理解していなかった。源平合戦における義経の逆落とし、あるいは『ダークナイト』におけるジョーカーの凶行……。いまや『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』は劇場の支配者としての神性を取り戻した。俺はその事実を思い出し、思い知り、暗闇の中でただ無様に嗤った。ヤバいところに来てしまった……俺はまるで生まれて初めて映画を観る子どものように圧倒されていた。
「フォトセッション」ナンデ?:制作側の狙いは撮影した画像をSNSで拡散させるという観客参加型の宣伝で、これは明確に推奨もされています。なお「フォトセッション」に登場するキャラクターは公開時期ごとに変更され、また本作の主要登場人物は9人です。これをキャラクターを人質にファンのリピート鑑賞を強いる阿漕と取るか、進んでリピート鑑賞に臨むファンへのせめてものサービスと取るか、という問題は各自で解消してください。
「フォトセッション」の終了後には、すみやかにカメラを仕舞うようアナウンスが流れました。
「完璧なエンドロール入り」
もう一つの衝撃は最終盤、本編のクライマックス、物語が一気に収束されていくライブシーンの終わりに訪れる。エンドロールへの入り方だ。
それまでの物語:強烈な個性をもった少女たちがきれいな作画と素晴らしい楽曲によって生き、歌い、踊り、紡いでいく、友情とは、新たな一歩を踏み出す勇気とは……というような物語。舞台である静岡県沼津の開放感と孤立感を持ち合わせた景色と街並みも美しく、本当に面白かったのだが、本稿では割愛される。
美しいアニメーションと心地よく高まる楽曲、スクリーンには生き生きとしたアイドルたち、楽し気な観客、静岡県沼津の景観、最高潮の盛り上がり、そして良く晴れた青空が映る。ああ、もしここで終わったら――筆者がそう直感した瞬間、エンドロールが流れ始めた。
完璧だ。俺は心の中で拳を突き上げ立ち上がり叫んだ。ベスト・エンドロール入り・オブ・ジ・イヤーの更新だ。(それまでの首位『太秦ライムライト』もいい作品です)
ハリウッド大作とかでよくある登場人物の総括的な語りとかはない。もはや語られるべき感情の推移など残っていない。全て完璧に描き切られている。だから観客の気持ちが最も高まった瞬間、ほんの一瞬の間を置いてエンドロールに入ることができる。その潔さもさることながら、このほんの一瞬の間、青空で止まる画面が完璧だ。
ライブシーンの盛り上がりから唐突に情報量を激減させることで、観客それぞれが「終わってしまう/終わってほしくない/終わるなら今だ」と考えてしまう余裕を作り、次の瞬間にその予感を実現させる。そのための、長すぎず短すぎない完璧に計算された静止だった。義経は去り、ジョーカーは捕らえられた。理性の勝利だ。
「映画鑑賞の常識を叩き潰す冒頭」と「娯楽映画として理想的な終わり方」の両立、それは映画というものを深く理解しているからこそ実現できるものだ。『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』……本作は間違いなくプロ中のプロ、真の男の手によるものだった。
以上です
書きたいことは書きました。もし、いまからでも本作に興味がわいたのであれば、ある程度調べたうえで劇場に行くべきです。心地よい沼津の海風とアニメらしく弾けた価値観の混沌があなたを待っています。
残念ながら「冒頭」に関しては、本稿の情報を得てしまった時点で筆者と同じようにぶちのめされることは難しいと思います。しかし「終わり方」に関してはむしろ実際に体験してみないと意味がないはずです。マジで完璧なんだ。
ある意味で単館上映作品以上に鑑賞の敷居が高い映画でしょう。それでも『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』が描く一秒足らずの青空には、その困難を乗り越える価値があると思うのです。
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