極道はここに果てるか。『ヤクザと家族 The Family』
ヤクザ。フィクションではお馴染みの存在です。
国内では男気の象徴から時代遅れで滑稽な集団まで、時代とニーズに合わせて活躍。海外に目を向ければ、悪役・切られ役のジャパニーズ・ヤクザはアクション映画の定番です。細身のスーツ、こけた頬、薄いサングラス。ドスにチャカにダイナマイト。屋敷に置いて良し高層ビルに立たせて良し廃墟に転がして良し、ヤクを打ったりキメたり嫌ったり、人を襲って人を守って、警察と揉めて癒着して。サイバーパンクでもクローンでもどんと来い。実に勝手が良い。クラシックな日本のアイコン、サムライやニンジャの現代的な姿としても分かりやすく、雑に使いやすい。
不思議ですね。ヤクザは今も生きているのに。
『ヤクザと家族 The Family』は「120分で楽しく学ぶ現代ヤクザ 2021」です。
※公式サイトは情報を出し過ぎています。本編を見るまで調べないことをおすすめします。
あらすじ
1999年、2005年、2019年。一人のチンピラがヤクザになり、三つの時代を生きる。
『ヤクザと家族 The Family』というタイトルを見て、パッとしないと思ったあなた。正解です。『ヤクザと家族』が描くヤクザはダサく、哀れっぽく、しみったれています。
主人公・山本からして自身をヤクザと規定する根拠が曖昧で、彼を拾う親分は冒頭からすでに老人。野心溢れる若手会長でも時代に置いて行かれてしまう。特に物語の終盤、2019年の組は寂れた観光地の土産物屋並みの閉塞感。生き地獄です。法整備によってヤクザと家族は終わりかけている。
それでいて同情に傾かないことが本作の優れた点です。ヤクザは身内とエゴを守るために暴力を振るう。法を犯し、他者を食い物にし続ける。時代が変わっても悪行を重ねる。だから制裁を受ける。組を抜けても日常生活を制限され、人権がないと言われるほどの制裁を。社会からの嫌悪の目を。パッとしない存在の話なのだから、パッとしないタイトルで正しいわけです。
『ヤクザと家族』は1999年・2005年・2019年の三部で構成されています。連作のデメリットか展開の捻りには乏しいのですが、小気味良い演出が連発され見所は十分。登場人物の変貌ぶり/変わらない部分に現れる本質のようなもの、ただの連絡手段を超えていくスマホの進化、画面の仕掛け、20年間いつの外見でも"らしく"見える綾野剛、動作が重すぎて完全に浮いている舘ひろし。全てが蓄積し気持ちよく利いてくる。社会性はさておき、エンタメとして気軽に楽しめるはずです。
もう一つ、触れておきたいのがロケーションです。物語の舞台は架空の地方都市ですが、撮影が行われたのは静岡県富士市・沼津市周辺。海あり山あり街並みありの良いところです。僕もいわゆる巡礼をしたり、スタンプラリーで歩き回ったりしてきました。
何しろ様々な作品の舞台になってきた土地です。さらに個人的な記憶も加わって、すぐに「見覚えのある工場だな……あ、この海岸線たぶん行ったな……」と懐かしくなりましたが、それでも架空なので、エンドロールまで地名は明言されません。それどころか本作の静岡は明らかに、現実とは異なる場所として撮られています。架空の地方都市を舞台とした架空の物語であることを強調し、ヤクザの世界とこちらの世界は違うと示すように。
安心ですね。家族なんて聞こえの良い言葉を使ったところで、彼らはあくまでもフィクション的存在。一般人からは隔離されていて、こちらの社会が受け入れる必要はない。そしていつか彼らは、打ち切りマンガの登場人物のように、気付けば死に絶えていることでしょう。悪が滅びて悲しむ人も減る。ハッピーエンドです。めでたし、めでたし。法治国家万歳(この段落は皮肉ですよ!)。
そういう作品には違いないので触れましたが、鑑賞にノイズが乗るほどクドくはなかったのでむしろ好感です。新鮮な手法として楽しめました。手際の良いプロの仕事。諸々込みで良し。以上です。
この枠でした。僕の負けです。対戦ありがとうございました。
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