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店を閉めてホーチミンに引っ越して、2ヶ月が経った


6月16日の日曜日、わたしは、実家の兵庫県宝塚市から、ベトナムはホーチミンシティに引っ越した。

距離にして3,885km。約8時間。

大きいスーツケースが2つと、段ボールがひとつ。

これがすごく遠いのか、すごく大変なのかはわからない。たとえば兵庫から北海道に引っ越すのと変わらないんじゃ、と思うけれど、やはり海を越えて国が変わることは大きい。

32年間の人生で10回以上は引っ越しをしてきたけれど、最も大がかりな移動なことはまちがいない。

5月末に、3年と8ヶ月のあいだ暮らした三浦市を出た。初めての独立、初めての開業。週末3日間だけとはいえ、3年間ひとりで飲食店を経営したことは誇らしい。たくさんの支えと愛情をもらい、感謝してもしきれない。

わたしを自立させてくれた町。大事なことに気付かせ、自信をもたせ、次のステージに必要な下地をつくってくれたような場所。

またいつか振り返るとして…… 転出したあとは2週間ばかり実家に帰り、ほとんどの時間を家族と過ごした。祖父母に会いに行ったり、日本を出るまえに行っとくかと、母と妹と伊勢神宮に参ったのもいい時間だった。

ついに念願の海外生活がはじまる。それに、今回はひとりじゃない。パートナーがいる。

これまであまり臆することなく環境を変えてきたけれど、ひとりじゃないってこんなに心が強いのか。そう思わせてくれて、すべて受け入れて準備をしてくれたパートナーには感謝しかない。

きっと、つぎに日本に定住するのはずっと先になる。

実感がわくような、わかないような。でも、おどろくほど寂しさは感じなかった。まるでベトナムへ行くことが当たり前かのような自然な流れに感じていたし、引っ越した今もそれは変わらない。

当日。西宮北口駅の関西空港行きバス乗り場まで母に見送られ、いつものようにハグをして、ありがとうの手紙を渡し、行ってきますをした。

 *

昼の14時ごろ、タンソンニャット空港に到着。

「最近イミグレーションめっちゃ混んでるから!」と、入国優先レーン(?)で入れるように手配しておいてくれたおかげで、少しの待ち時間ですんなり入ることができた。男前なパートナー、ありがとう!

パスポートといっしょに、人生で初めて申請した e-visa のコピーをドキドキしながら見せる。空港ってすこし緊張するのはなんでだろう。

ベトナムでは、空港の警備員や警官がすこし高圧的に感じる。社会主義国だからか、職業柄のマウントなのか、俺らの言うことを聞きやがれ的なオーラが滲み出ている。入国トラブルがなくホッとし、カートを押して空港を出ると、パートナーが出迎えてくれた。

手にはTigerビールがいつものお迎えスタイル。男前で紳士、わたしの好きな長髪、すごくやさしい。しかし、(職業柄もあり)アル中、ヘビースモーカー、お口がたいへんに悪い。自慢のパートナー。

そんなこんなで、わたしのホーチミン生活
 a.k.a 初めての海外生活
 a.k.a ほとんど専業主婦生活
がはじまり、69日が経った。

買い出しに畑道をバイクで飛ばし、パソコンにかじりつき、店でひとり深夜まで洗い物をする。片道2時間かけてたまに東京に行く。そんな慌ただしい生活から180度反転、静かな生活。

ただひとつ言えることは、わたしは今、とても幸せだ。

しかし。

ここ最近、もやもやとする時間が増えた。文字通り、もやもやと、正体がわかるようでわからず、もどかしくうまく説明ができない。

考えてみると、わたしには今話し相手がいない。男前だけど口が悪いパートナーしかいない。つまり発散の機会が圧倒的に少ない!!!

本読んだり映画観たり、ラジオ聴いたり、できるかぎり距離をとらなきゃなーと思ってるSNSをチラ見といいつつどっぷり見てしまったり。つまりはインプットしかしていない。

家族や友だちと連絡を取っていないわけではないが、連絡頻度は少なくなり、わたしからもあまり連絡をしなくなった。これは自然な流れな気がしていて、これでいいと思っている。ホーチミンで新しい友だちを作りたい! 人と交流したい! という気も今はそこまで起こっていない。

よし、発散がてら、日記を書こう。誰かにしゃべるように、話を聞いてもらうように、毎日のことを綴ろう。

32歳。夢だった結婚が9日後に控えている。

書き物をして生きていきたいと思いながら、自意識や得体の知れないなにかに苦しめられてはいるけれど、ただ、家族や周りの人を大切に、女性としていつまでも愉しく美しく生きていきたい、ただのひとりの日本人の日記。

軽い気持ちで書くので、軽い気持ちで読んでもらえたら。あわよくば楽しんでもらえたら嬉しい!

まずは始めよう。

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