基礎資料 かしものかりもの
教祖の側近者の記録
梅谷四郎兵衛
神様は、すべてのものはかしものである、と仰せられる。家財、田地、蔵(高弟列伝第六編 梅谷四郎兵衛傳 P13)
高井猶吉
教祖から聞かせて頂いた話でも、わしは何回でも同じ話をする。何回話しても一字一句違わんように話しする。自分の考えや、勝手な言い回しは一言も入っていない…
身上があるで、くふものはじめ、万事いりようである。み上があるで、田地、田畑、金銭をも、ほしいといふのやろう。そこで、ばんぶつは、身上につきそえてかしたるものと仰有る…
(正文遺韻 P319)
仲田儀三郎(左衛門)
世界は一つ、世界は天からの貸しもの 田地も、屋敷も、金銀も、人間も、食物も、立毛も ……
(仲田儀三郎口述記 明治15年頃)
加見兵四郎
天理とは、身の内、世界、万物は借物、息から知恵まで借物の理であることを心に納めて、自由自在はみな神様がさして下さる…
諸井政一
にんげん身内は、神のかしもの、めいめいは月日さまより、借り受けて、自由自在、心の思う通りに、使わして頂く事ができます 身の内さえも、かりものなれば、よろづ一切、みな借りもの…
(正文遺韻P173)
増野鼓雪
身上が神の貸物なれば、身上以外のものは有形たると無形たると問わず一切借り物である …
(増野鼓雪全集15巻P15)
おさしづ
身の内かりものなら、何か一切かりもの 明治32年6月1日
別席
人間身上はみな親神様よりのかりものにして、心の働き一つの理より外に自分のものはありません。心通り善悪共に身に現われ、家にあらわれるのでありますから、心の外に自分のたよりはありません
おふでさき
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ 第三号40
にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら 第三号41
芹澤茂氏は、このおふでさきの解釈に関して、「人間が使うものはみな神からの借り物である」(芹澤茂著「風の心P60)と説明され、
さらに同書P230では「人間は心だけが自分のもので、あとの一切は親神様からの貸しものであり借り物である」…と説明された
中山大亮様
私はこれまでの「かりものかりもの」のイメージは、「この体はかりもの、それに感謝して、ご恩報じをさせていただく」というものでした。と言いますか、そこで終わっていたのであります。しかし「心一つが我がのもの」ということから考えると、体をはじめ周りの人や物、また立場や環境、これらすべてが親神様からのかりものだといえると思うのです。三つのポイントに分けるとすると、一つ目に「この体は親神様からのかりもの」二つ目は「周りのもの一切も親神様からのかりもの」、三つ目に「自分の心がかりものに心通りに映っている」という事ではないかと思います…中山大亮
(立教183年、一月二十六日 陽気ホール 青年会一月例会)
芹澤茂氏の見解
おや様の語った言葉を、そのまま記録したものは、ごく少ない。しかし弟子とみられる人た ちが伝えている教理や教理説明が、ほとんど「おやさま」に由来することは疑えないと思う。そのような初期の信者の教話の記録を読むとき、このような結論に至らざるを得ない…芹澤茂「風の心」
衣食住は、神が人間のために用意してくれたもの。これもみな貸し物である…芹澤茂『風の心』p68
神さんが言われるように、からだもこの世の様々なものもみな使って、人間は生活している。その人間の使うものはみな、神からの借り物である。これは、よく理解しなければいけません…芹澤茂『風の心』p60
立派な知恵があっても、それはみな借り物 立派な建物を持っていても、それも借り物 一切が借り物と思えば、我欲を去る事ができる、無我になれる そこには欲望はありません …芹澤茂「風の心」
人間は、”かしもの・かりもの”であって、体のみならず、体の一部である頭の中に詰め込んでいる知識さえも、さらに人間生活に必要な一切の衣食住も、借りものである。」…芹澤茂 G-Ten
その他
安井幹夫「おふでさきを学習する」P179
かしもの・かりものの教理理解は人間身体だけにとどまらず、もっと大きな広がりをもつものといってよいだろう…
諸井慶一郎(本部員)
この世のすべては、神のかしもの。自分のものは一切なく、必要なものは授かってくる…
天理教辞典
この教理をいかに理解し、いかに悟るかについては、さまざまな見解がある…
佐藤浩司 お道の常識 P28
お道の教えの根本は、生命の営みをはじめ、この世ありとあらゆるものはすべて神のものである。というところにあります。人間は、神様からその働きやものを借りて存在しているのです…
天理教布教部ホームページ 路傍講演用フリップの第二面
かりものというのはこの肉体のみでなく、妻・夫・親・子供も地位財産 、それから空気・水・太陽の光、 これらの自然の恵み全てが神様からのかりものなのであります。 https://fukyo.tenrikyo.or.jp/top/wp-content/uploads/2020/05/%E8%B7%AF%E5%82%8D%E8%AC%9B%E6%BC%94%E7%94%A8%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%9A%E8%BA%AB%E4%BD%93%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%82%E3%81%AE.pdf
天理教教祖伝逸話編 泉田藤吉
稿本天理教教祖伝逸話篇一一四 よう苦労して来た
泉田藤吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かりものの理であった。それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。
余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてしもうたのであった。そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着し、教祖(おやさま)にお目通りすると、教祖(おやさま)は、「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」
と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。