【書籍レビュー】歴史マニア必見!物部氏に関する新事実!
こんにちはーっ!無意識の住人、ゴロウです
今回は物部氏ですよ、物部氏!
「あー蘇我ちゃんに負けちゃった人ね」で、お馴染みのMONONOBE死!
歴史の教科書ではかなりのチョイ役だが、実は相当な実力者やった可能性が浮上しております!
これを読めば、物部様に対する眼差しが変わります☆
紹介する本
「物部氏の正体」関裕二(著) 新潮文庫
*本書は2010年出版のため、最新の研究史実とは異なる場合もあります
こんな人に読んでほしい!
・歴史は好きなんだけど、古代史はあんまり…
・古代史をもう少し深めたい!
・関裕二ファン
物部氏に関する新事実!
正史=「正確な史実」ではない
歴史ビギナーの方にも、あらかじめ理解してほしいのは、
正史=「歴史の勝者が自分の正当性を証明するための史実」であります!
要は、今伝わっている歴史は、権力者が都合のいいように書き換えている可能性が高いってこと
古代史研究は、古事記や日本書紀(以下記紀)といった歴史古文書をもとにしていますが、その多くは時の権力者藤原氏が創作したものといわれてます
とはいえ、都合がよすぎると、対立氏族の末裔から
「俺達の祖先を馬鹿にするな!」と批判を食らいかねないので、ある程度は事実とも言われています
考古学や伝承研究も交えて、その歴史のねじ曲がりを紐解くのが古代史の面白み( *´艸`)
物部氏が影の支配者?
天皇よりも神道LOVE過ぎる物部氏
ときは580年ごろ、仏教導入でもめていた時に疫病がはやります
蘇我系の用明天皇もご病気に
用明天皇「お坊さんになろうと思うから、あとはみんなで決めてくれ」
蘇我氏「仏教導入して、帝をお助けすべし!」
ということで、仏教推進が加速していきます
もちろん、物部氏は猛反対なわけですが、天皇おかしくないか?
自分の祖先を頼らずに、異国の神様を頼るのか??
むしろ、物部氏が神道LOVE過ぎてアレ?みたいな
天皇家よりも先にヤマトにいた
記紀では、天皇家は南九州からヤマト(奈良県)に来たことになってます
しかし、その前からヤマトに天皇みたいな存在がいたのです
その名は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)!
えっと、物部氏の祖先です、義兄のナガスネヒコノミコトが地元の豪族
天磐船(あまのいわふね)に乗ってやってきたらしい
たぶん、UFOか隕石みたいなもん
“ヤマト”っていう地名の名付け親
天皇家の神事は物部氏流?
ニギハヤヒの息子が、正月行事とかもろもろの儀式を教えたらしいよ
日本の伝統的な行事ごとは全部、もしかしたら物部氏流かも('Д')
天皇家にあっさり明け渡す物部氏
初代天皇の神武天皇がヤマトに来て、ナガスネヒコノミコトと戦うんだが、あっさり神武完敗(弱)
和歌山の山道を突き進んで、再チャレンジ☆
今度は上手くいって、ナガスネノアニキを追い詰めるんだけど、
ニギハヤヒ「あいつは、性格がぐれるからダメ」
と言って、兄を裏切って殺したのち、神武天皇に忠誠を誓うのです
関さんは言います
「ナガスネに負けるくらい神武は弱いのに、なぜ饒速日は兄を裏切った??」
その後、王位をあっさり譲り渡すところも不可解です
一旦まとめ
なんだか複雑になってきた…(+_+)
ニギハヤヒ含む物部氏は、政治の実権を神武に渡して、その後はおそらく行事ごとに参加したりして目立たないように裏方にいたって感じですね
現代でいえば、首相=神武天皇、天皇=物部氏ってところでしょうか
裏組織感の強い物部氏の凄み(´゚д゚`)
物部氏は岡山出身?
一説に、物部氏は北九州出身説もありますが、
「物部氏は岡山出身じゃないか!?」と、関さんは言います
記紀からの視点
日本で最初にできた島は淡路島、イザナギとイザナミがグルグルかきまぜた話は有名です
八つ島ができたらしいんだが、吉備子洲(きびのこしま)といものもあります
児島ジーンズで有名な現在の岡山県倉敷市児島地区ですね
吉備地方に関する記述はほかにもチョコチョコあるものの少ないです。日本の始まりの島に数えられるのはとても重要な意味があるのかもしれません
考古学からの視点
奈良の纏向(まきむく)遺跡
纏向遺跡は馬鹿でかい面積なのと、宗教や政治のためだけに造られた街であることが分かっています
考古学的には、ここがヤマト王朝の始まりと考えられています
そして、数は少ないものの吉備地方の土器が出土しています
しかも、宗教色の強い特殊な土器ばかりで、吉備地方の特殊性を感じます
前方後円墳円の原型が岡山に?
岡山県倉敷市の楯築(たてつき)墳丘墓は前方後円墳の原型ではないか?と言われています
円を中心に前後に方形の丘がくっついています
ゴロちゃんは実際に行きました('ω')ノ
閑静な住宅街のただの丘、まさかここが?ってかんじです
総社市宮山古墳の宮山型特殊器台も奈良の箸中山古墳などで見つかっているそうです
国内No.4の大きさの古墳が岡山にある
No.1…大山古墳468メートル(大阪府堺市)
No.2…誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳425メートル(大阪府羽曳野市)
No.3…石津ヶ丘古墳360メートル(大阪府堺市)
No.4…造山古墳350メートル(岡山県総社市)
大山古墳と誉田御廟山古墳は少し後の時代らしく、当時はTOPを争ってたみたい
ちなみに同じく総社市の作山古墳はNo.10です
岡山って丘かと思ったら、古墳なんてざらにあります
だからか分からんが、丘山(おかやま)なのかな~
地政学的視点
吉備地方は海上交通の要所
目の前の瀬戸内海には大小の島々が乱立し、潮の満ち引きで潮の流れが加速するそうな
そこを通るには航海技術もいるし、物資の輸送をしようもんなら海賊もいるしで、かなりの難所
その分貿易商とかで儲かってそうなイメージがわきますね
富が蓄えられる下地がありそう
岡山は“倉”のつく地名が多くて、貯蔵する文化が昔からあったかもしれませんね
伝承研究の視点
瀬戸内海のドン・物部氏
瀬戸内海の各地、広島や愛媛などにも物部氏ゆかりの一族や神社が点在しているといいます
村上水軍の祖先ともかかわりがあったらしいです
石上布都魂(いそのかみふつたま)神社
奈良県の石上神宮は物部氏を祀ってきたが、その本家と言われているのが岡山県赤磐市の石上布都魂神社です(岡山県サイドの意見)
岡山のほうからご神体の宝物を奈良のほうに移したとかなんとか…
まとめ
書籍のレビューというより、後半は岡山の宣伝みたくなりましたが、
古代史や物部氏の見方が変わってきました?関さんは地理的要因や朝鮮との鉄貿易の視点からも、物部氏のヤマト王朝に占める重要性を語っています。邪馬台国との関係もしかり…
物部氏が影の支配者だったのか、物部と岡山の関係性などは諸説ありですので、いろいろと調べてくださいませ!
関さんの本はシリーズ化されていて、読めば読むほど関さんの考察が面白い!
事実はそうなのかも…と歴史のロマンに思いを馳せあそばせ!
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