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牧野裕美子のプロフィール

ご覧いただきありがとうございます。
牧野裕美子の生い立ち・経歴についてご紹介いたします。
共通する思いや事柄が少しでもあればとても嬉しいです。

私は、自身の子育ての経験から「今しかないこの瞬間」を大切に、
モンテッソーリ講師としてモンテッソーリ講座や親子イベントやワークショップを行っております。

▼略歴

モンテッソーリ講師 /
大分県生まれ。大学卒業後、大手人材派遣会社に入社。親子で使えるオーガニック素材にこだわった出産祝い・ギフトショップの運営や「今しかないこの瞬間」を大切にした親子ワークショップや、親子イベント等を展開。
「人生まるっとお役に立ちたい」という思いから、大手人材派遣会社で1000人以上を担当した経験を活かし、人材・キャリア支援、営業支援、不動産、イベントキャスティング、子育て支援など幅広く従事する。
地域の力を借りて子どもを育てている経験から、ベビーカフェのオープン、地域全体で子育てができる街づくりのために奔走中。     (265文字)

モンテッソーリ講師 / 大分県生まれ。大学卒業後、大手人材派遣会社に入社。モンテ講座や「今しかないこの瞬間」を大切にした親子ワークショップや、親子イベント等を展開。
「人生まるっとお役に立ちたい」という思いから人材・キャリア支援、営業支援、不動産、イベントキャスティング、子育て支援など幅広く従事する。 
                             (149文字)

ここからは、詳しくご紹介していきたいと思います。


生まれ落ちた大地、そこは大分

自然豊かな大分県

両親が大分県出身ということもあり、この世に生を受けたのは自然豊かな大分県の片田舎。サラリーマンの父親と専業主婦の母親との間に長女として産声をあげました。
見渡す限りの山と田んぼ、少しいけば海にも行き着くというとても素敵な場所です。

「出身地どこ?」

という問いが3大困る質問の1つでした。
生まれたのは大分県だし、うどんは関西だしが当たり前、大分県の両親の元に育っているので大分弁も染み付いています。転勤族ということもあり、横浜や大阪でも幼少期を過ごし、一番長く住んでいるのはなんだかんだ東京になりました。
これは東京が出身地ではないかという説もありますが、自分が出身地と思うところが出身地ではないかと思うのでいつも大分県と伝えてます。
ただ、同郷の方にお会いしてもほとんど話についていきません・・
大分愛は強いのでいつも気持ちでカバーしています。

大分県は大好きな街で、空気も水もご飯も美味しい。
夏休みになると祖父母の家にほぼ丸々帰っていました。
従兄弟が祖父母の家の近くに住んでいたこともあり、夏休みは裏山に入ってカブトムシを捕まえたり、セミやトンボで遊んだり、畑の上で野球をしたり、屋根に登ったり蔵に隠れたり、男勝りな遊びを自然とともにたっぷりとしてきました。

今思えば、自然と触れる原体験を沢山させていただいていたのだと、親に感謝しております。だからこそ、これだけ自由な(現在の)私が生まれたのかも知れません。

転勤族の幼少期に培った力 3選

大阪といえば・・

①適応能力

パッと仲良くなっていく力。空気を読んで何も言わない力。
子どもながらに全体を見て判断していく力がついたと感じます。

大きな出来事は小学3年生の時。
大阪から東京への転勤でした。社宅では同じように少し前に大阪から東京に来ていた1つ上の友達がいて、関西弁は忘れたほうがいい!いじめられるで!と言われて、即忘れました。
今思うととても惜しい・・関西弁かわいいのになと思ってます。
今話すと完全にエセです。

転校先では、いろんなクラスから転校生である私も見に来る人が多かったこと。当時の歌で「君はきっと、関西人〜♪」と言われたのを今でも覚えています。
とにかく、幼いながらに新しい場所に馴染むのに必死でした。

②共感力

これも、転校を通して身につけた力の1つです。
1対マスという中で、誰がどういう人なのか、一気に覚える必要があります。
生きていくために見極める力が本能的に身についたのかしれませんが、
出会いや別れ、嬉しいことや悔しいこと、沢山の経験の中で、
自分の心や、相手の中に感じているだろう想いを自分のことのように感じられるようになってきました。

本が好きだったことも大きいかもしれません。
映画では必ず泣きます!感情移入は得意です。

このように、体験を通して成長を感じることが多いです。
だからこそ今でも「体験欲」がとても強いのかもしれません。

③継続力

大変ありがたいことに、先生や友人に恵まれることが多くありました。

小学校2年生の転校時から文通を続け、今でも仲が良い友達がいます。
その子の「筆まめ」さには脱帽です。
おかげで今でもご縁があり、大変感謝しています。

小学校2年生。
そう、年齢バレちゃいますが、当時は携帯電話がありません。
もちろんポケベルも。
連絡手段は固定電話と手紙のみ。
年に1度の年賀状を、毎年毎年出し続けてくれました。
私はズボラなので出し忘れることもありましたが、
決まってその翌年もその友達は出し続けてくれました。

そうこうしているうちに、携帯やラインを伝えられる年齢となり、今です。
当時小学校2年生だった彼女の継続力に大尊敬ですが、
継続して返信し続けた私にも信念が貯まりました。

毎年年賀状を出し合う中で、
「継続する」が大きな成果を生むことを肌で体感したのです。

坊主をかけて闘った期末テスト

小さな頃から目標を設定して、競い合うことは好きだったかもしれないです。自分一人では頑張れないタイプというか・・友達とゲーム感覚でやる。男性には負けたくない!という想いでやってきたように思います。

当時も髪は長かったので、その髪をかけて闘うなんて、今は絶対にやりたく無いですが、なぜか当時の私はその誘いにのっていました。
そして私が勝ったら相手が何をするかは、全く覚えていません。

とにかく苦手な分野で、親に聞いても分からず何度も怒っていたように思います。最終手段は対戦相手の男友達に聞きまくる戦法へ。

相手の時間を沢山使いながら、結果は 「私の勝利!!」
なにくそ根性や、やりきれば出来ること、根拠のない自信はきっとこうやって身についていきました。

怖いもの知らずの高校生

高校を選んだポイントはエアコンが完備されているかどうか。
わざわざ越境をして掴み取った高校生活はとても楽しかったです。
なんでも出来る!と妙に確信を持っていた時代でした。
まずやってみる。飛び込んでみる。おかげで色んな世界を知りました。

同時に味わったのは、トップではない世界。
進学校でもあったため、周りには東大に行く子や学生起業をするような優秀な子がザラにいました。今までなんだかんだ遊びながら取ってきた成績もあえなく脱落・・
制服もない自由な学校だったので、まさに激しい二極化が生まれました。

失敗からの這い上がりーお前の目は・・・ー

世界は縦糸と横糸でつながっている

調子に乗っていたので、大学受験は思いっきり桜散りました。
勉強していないので当たり前の結果なのですが、自信過剰だった自分にとって電話越しに聞く、電子音での通知は非常に悲しいものがありました。

進学校の高校のおかげで、予備校には特待生としていくことができました。
そこで言われた世界史の先生の言葉が衝撃的でした。
「お前の目は、⚪︎んでいる」
今も昔もこれ以上の言葉を言われたことはないと思います。

社会の不条理さを感じていた高校時代。
見た目ではなく真っ直ぐ「私そのもの」を見てくれた先生に感謝しています。
その先生は社会人経験のある先生でした。
人との出会いで人は変わる。
先生になるなら社会経験を得てからにしよう!と思えるきっかけになった人です。

先生の授業は覚えること優先ではなく、世界を縦糸横糸で出来事を繋げて教えてくれたので、世界を知ること、歴史を学ぶことの大切さを学びました。

基礎基本を学んだ社会人生活

時間外の業務はたくさんあるが、目の前の人の喜びのために頑張れる!まさにそんな与える精神の人が集まった素敵な会社でした。先輩も同期も後輩も、誇りに思う方が多いです。

1年目から大手をチーム長と担当させていただいたので、かなりの力がつきました。「クレーム対応からが勝負である」ことを身をもって体験させていただいたと思います。
やはり人に恵まれていること、心から感謝です。

出会いが人生を変える

そんなにステキな会社でしたが、人生のライフプランを考えた時にこのままで良いのか、悶々としていました。
それ以上に忙しかったので考える暇がなかったのが正直なところですが、
人との出会いで全てが変わりました。
それが会社の取引先の方との出会いです。

無いなら創り出そう!

立場が変わると見える視点が変わる。子どもが産まれたことで見える視野が変わりました。今まで何も感じなかったことが急に不自由に感じることがあったり、人の優しさに触れて新たに気付くこともありました。

「添加物はないか、子どもの肌に触れても安全か。」
「駅のエレベーター移動は遠い上に、エレベーターのない駅があるのか。」
「まだ椅子に座れないくらいの子どもがゆっくり出来る場所が少ないな。」
「こんな小さい子どもが席を譲ってくれるんだ。」

小さな子どもを抱えたママパパがゆっくり癒される場所が欲しい!
ママパパが交流できるベビーカフェを作ろうと思ったのが始まりです。

ちょうどコロナ禍でベビーカフェどころではなかったのですが、
駅前の物件が空いたのでまずは第1ステップとして出産祝い・ギフトショップを夫婦でオープンしました。

街全体で子育てをする世の中へ

両国という街柄、子どもを地域の方々と育てている感覚があります。地域と繋がり、社会との繋がりを感じながら子育てができることはとても有り難いことだと思います。いろんな「初めて」に出会う子育てにおいて、「一人ではない」と感じられることはとても大切な財産です。幸せを感じられるママやパパが増えることが、子どもの幸せへ繋がる。子どもが身近に感じる大人が、自己実現をして人生を楽しんでいる。そんな世の中にしていきたい!それが私のビジョンです。

おわりに

長文にお読みいただきありがとうございました。
語り尽くせない1つ1つのエピソードについては、別途noteの記事にてご紹介していけたらと思います。

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