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本質って片方だけじゃ分からないを読んで。

今日職場の子供にこれ読んで〜って渡された一冊の絵本。
タイトル忘れたんだけど、人形の猫の話。
人形の猫が捨て猫を拾って、育ててお父さんになるっていう話なんだけど、本当の親子のようになるが途中で子猫が人間に見つかって保護されて、別の人間の家族のところへ。
しかし途中で抜け出してお父さん(人形の猫)に会いに来るも、そこの他の猫が迎えに来て結局お別れ人形の猫号泣というお話。

今の絵本ってこんな深いの!?って思ったので所感

そこでも子猫はお父さんといたい!って言うんだけど周りが『もうあなたは家族がいるんだからここにいたら心配かけちゃうよ』みたいな一般論ふりかざしてなくなく帰る。 

思ったのは2つ。
①一般論をとるのか自分の気持ちを取るのか。
②子供向けじゃなくて、アボカド6さんなら、n-bunaさんなら、三秋縋さんならどんな結末を書いていたのか。みたいな○○さんならをイメージする

①結局子猫は周りの言う【正しい選択】を選ぶ&人形の猫もそれに従うしかなく我が子のように育てた子と永遠にさようならするわけで。
そもそもここにおいて【正しい選択】なんてなかったと思うし、意思決定が自己ではなく周囲や常識において決められた感強いなって感じた(個人的に)
世間一般的な常識や【正しい選択】ってなんか後悔多そうだなってこれ見て思いました。

そもそもこの場においての【正しい選択】なんてものは存在しないのかもしれない。
もし人形の猫が子猫と暮らしたとしても結局引き取った家族が不幸せになっていたかもしれない。

この正解主義万歳の世の中において【正しい選択】よりも自分の中の秤で選ぶ【まだマシな選択】ベースの方が幸福なんじゃないのかなって思いました。
秤は自分の中にあるから人によって同じ状況でも選択が変わるってのが面白い。

②あとはこの結末を各々の作り手さんならどうやって書いたのだろうかな。
○○さんなら一緒に毒を煽るけど人形の猫は死ねなくて焼身自殺するかもしれない。 

○○さんなら子猫は家族の元へ行って楽しくやってるよ!感を人形の猫に伝えてるけど内面人形の猫との生活が忘れられなくて結局死ぬ。
人形の猫も楽しそうなら良かったお幸せに!って送りながら内面子猫のこと忘れられなくて死ぬかもしれない。

○○さんなら一緒に逃げるけど片方は人形、片方は寿命が10年。その10年を幸せに生きた後焼身自殺するかもしれない

こんな感じで作家さんの内面によって本当に作品そのものが変わるのが面白そうだなって思った。
写真も一緒だね。個性ってすごい。

○○さんは自分の中でその人になりきって書いたつもりだけど、あの人はこんな感じみたいな個性がでる表現力って本当に最強。

その人の表現の仕方(個性)を真似して書くとき、今までただ表面を真似する(完コピ)だけだったけどこの人何考えてたっけ?みたいな【思考】と並列して個性を真似して表現するっていうのを初めてやって書きながらいい経験させてもらった。
自分の頭で考える要素で大きく変わる世界線。
何言ってんの?ってなってた場合は好きな作者さんになりきって何か文を書くときにこの人の背景や性格や内面を意識して完コピすると◎

写真も作りを真似するじゃなくてその人の個性は何を経てどんな思考で作られていったのかみたいなものを集めて自分はこうやって個性を作って出していけばいいんだなって言うのを知っていたからある程度わかったまではいったかな。

完コピする時はその人の思考内面背景までを出来る限り完コピする。
その人になり切るみたいな方法でやってみようかな。
ちゃんちゃん。

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