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らせんを昇るステップは続いていくから、


100年分の恋心が弾け飛んだ。
大都会のたくさんのイルミネーションが光る夜空に真っ白いミルクをぶちまけたのなら、それは綺麗に混ざり合うのだろうか、なんてファンタジーな思考を本気で巡らせた夜にわたしはまた一つ歳を重ねた。


心の中で湧き上がってきた行きたい場所に行ってみたのなら何を想うのか知りたくなった。
知ったところで永遠がないことも、あれもこれも望まないからせめてこれだけと想うものが叶わないことも、知り尽くしていて、ならば、もういっそ何一つ望まないと決めてみたりして、でもそういえば誰かの優しさを知ってしまったなあとか、優しさという愛を知ったあの日のあの瞬間を久しぶりに記憶の最果てから引っ張り出して思い出したりして、そんな時に頭の中で伊藤由奈のEndless storyが鳴り響いて、「そばにいて欲しいよ強がることに疲れたの」なんて、「たとえば誰かのためじゃなくあなたのために」だなんて。あなた、は今何を思っているのかも知らないけれど、きっとあなたも100年分の恋心を爆発させたりした?そうだとしたらわたし達きっと見えないけれど運命だね、なんて。

あなたと、自分の誕生日を一緒に過ごすのは人生で二度目でした。
過ごすとは大袈裟で、自分の誕生日にあなたを舞台を見に行くというプレゼントを自分のために用意した、それだけです。
「行けなかった舞台が再演するよ」とお友達から手紙のようなLINEが来て、なんとなく、本当になんとなく行かなきゃと思った。
ここ数年趣味らしいことも何一つしておらず、仕事と年齢に応じた普通に生きるためのプライベートに翻弄していたら2年ほどなんて特急電車のようにすぐ過ぎていった。楽しみにしていた夏の野外ライブもコロナの再拡大で自分の判断で行くことを諦めた。

もう今更、あなたの演技が素晴らしいことや、あなたの声質が好きなことや、あなたの笑顔や優しさが好きなことを書き綴るつもりもなくて。ただただ、あなたがそこに在って、いつまでもわたしの中で輝く人でいて欲しいと思った。

直感で申し込んだ舞台、自分の誕生日、2列目ドセンターの素晴らしい席。
二時間ずっと、あなたの演技に惹きつけられてとても美しい時間だった。

 「誕生日おめでとう」よりも「生まれてきてくれてありがとう」よりも、「ここまで生きてこれたこと、ごくろうさま」と言われたい。

舞台のあとは、4年ぶりに仕事終わりの彼女と新橋で合流した。
その焼き鳥屋もわたしがずっと覚えていた場所だった。あの夏の日、みんなでコンサート帰りに立ち寄った居酒屋。

趣味を通して出会った彼女とは一緒に名古屋に行って泊まったり連日味噌煮込みうどんを食べ続けたり、わたしが東京に行った時にたまに会ったりしていた。
たしか一番はじめに会ったのはわたしが25歳くらいで彼女が22歳くらいだったし、彼女は金髪のサラサラロングヘアでわたしはその髪の毛に憧れていた。そのかわいい容姿と彼女が自分で選んだあだ名がかわいくて、わたしはひっそり気に入っていた。その界隈ではわたしもあだ名で呼ばれていて、わたしであるけれど、わたしでなくて、浮世離れの感覚を味わっていたのかも。「みいちゃん」はわたしだけどわたしでなかったのかもしれない、と。
そのあと、就職をして働くからと髪の毛を黒くした時はなんだかわたしが悲しかった。彼女のトレードマークの金髪は彼女だからこそ似合うとても特別なものだと信じていたから。


4年間の出来事を埋めるように話し続けた。
そこには昔みたいに趣味の話は一切なく、アラサーとして人生についての話ばかりだった。
みんなと同じように生きて馴染みたいと思うからこそ、破天荒な展開や解決策は思いつくのに、やっぱり自分の心が追いつかなくて踏み込めない。覚悟をどれだけ持てたとしても、未来が見えるわけではなくて、誰かの特別になるってことは自分にとっても特別になるってことで、わたしにはそれがやっぱり怖いのかもしれない。そんな存在になれるはずがない、と。

東京が羨ましくなった。
わたしのことを誰も知らないから、
どんな仕事をしているかも、
何歳なのかも、
好きな人や彼氏がいるのかも、結婚の有無も、
なにもかも、誰も知らなくて、知らないところに沈む自分は居心地が良かった。


たくさん飲んでとってもいい気分になって彼女とバイバイをしてホテルまでの帰り道、全く悲しくなんてないのに、気づいた時には涙が一筋こぼれ落ちていた。よくここまで生き延びてこれたなあ、と消えたくて死にたくて仕方ないと願った心が割れる夜を超えてこれたなあ、とまるで自分を讃えるための涙だった気がする。
東京の夜はたくさんの人がいて、心地良かった。誰も気づいてない、良かった。あの日、山手線が人身事故でホテルまでの帰り道は東海道本線を使ったこともなんとなくだけど、忘れない気がする。


若い頃ならちょっとした寂しさなんか、コリドー街に行ってその夜の飲みの場だけを楽しむこともできたかもしれない。でも、もうそんなことも出来ないし、寂しさはもしかしたら一生かけても埋まらないのかもしれない。
言わないだけで、誰にでもたまらなくどうしようもない夜があることも、もう知っている。

18歳の誕生日、神戸でコンサートがあって友達がアリーナの最前列を当ててくれた。


「お誕生日おめでとう」、あなたはわたしのうちわを見てわたしの目を見てそう言ってくれたことを。生きてきて良かった、と思ったあの日の心を気持ちを思い出しながら今日はあなたと二度目の誕生日を過ごした。


悲しみに似た悲しみと本当の悲しみは、似ても似つかないだろうことを、ふと思い出した。
失恋ソングを聴いてなんとなくセンチメンタルな気持ちになることと、本当に失恋して失恋ソングを聴いてボロボロ泣くことは天と地くらいには違う、そんなことを改めて感じた。


また一つ、思い出してしまう誕生日になった。
もうだいぶと心が凍りついてしまった部分もあるけれど、友達の言葉一つに救われるようなそんな素晴らしい出来事に出会えた。


人生はきっと、どんどん強い人に会うゲーム。
わたしには昔からの地元の友達も、小学校時代からの友達もいないけれど、それがわたしの人生だと思う。
もっと色んな意味で知識が欲しい。
溢れんばかりの知識を手に入れてあらゆる考え方を自分の心の中にたくさん受け入れて選択肢を増やしたい。
もっともっと努力しなければ、誰にも追いつけない。もっともっと。


どんな自分でありたいか、それをひたすらに追求するだけ。


タッキーももしかしたら、そうだったの?
「どんな自分でありたいか」を考えた末なのかもしれない。事情の詳細なんて、そう、誰にも分からない。でもきっと、こんなところで立ち止まるわけにはいかないと、そう感じた末の決断だといいなとそっと願った。


タキツバのYOU&Iはわたしは一番好きな曲です。高校生だったあの頃、あのツアーで、大阪城ホールでこの曲を聞いた時、なぜか少し涙がこぼれたことを思い出しました。あなたの曲はこうやって、いつの日も誰かの心の中で生き続けるんだから、わたしがあの頃友達の付き添いでタキツバのコンサートに行っていたことすらきっと運命だったんだろう。



未来は可動式。
もっともっともっと先へ、らせんを昇るステップは続いていくから。

時代は嫌でも進んでいく。
それぞれに描く未来が違っていても、立ち止まらずに歩いていく、どこまでも。


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