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大阪京都旅回顧録第三夜
19時過ぎ。新大阪を歩く男2人。吹田、茨木、高槻、長岡京、向日。この5つの市を歩ききれば京都に着くことができる。そして、長岡京はいつも使う深夜バスの終着地でもあったため、長岡京に着けばもうほぼ京都。そう思っていた。そう。思っていただけだった。
最初のうちは軽やかだった。いつもと違い大阪までは車に乗るだけだし、名古屋で一泊したし。しかし吹田市に入ってからしばらくして、異変に気付く。
「これ、市1つ1つデカい…」
そしてもう1つ、重大なミスを僕は犯していた。革靴で歩いていたのだ。このミスが後に大きなアクシデントを巻き起こす。
楽しかったはずの旅は急に過酷なものとなる。本来求めていたものをヒッチではなく歩くという基本動作で得るとはね。
会話はどんどん減っていく。茨木市に入ったころ、足の痛みが出てきた。それでも歩く。大地は相変わらずテクテク歩く。高槻に入ってからはますます大地との差が開き、地図を見る僕は進度にメンタルをやられていく。夜23時。インスタで近況報告する余裕すらなくなっていた。
しかし、歩くしかない。道沿いにマックを見つけたので入り、少し休憩と暖をとる。ここで僕は1回目の寝落ちをする。記憶がフッと飛ぶ感覚。
居座ると出発の足が重くなるので再スタートは早かった。
少し歩くと、見覚えのある町の名前が出てきた。「京都府 大山崎」
京都行きの深夜バス終着地、西山天王山。安心感はあったが、この時すでに僕の足は限界に達していた。
「一回休むか。」
疲労と痛みとで大地に対しての苛立ちもあったし、そんな自分に対しての苛立ちもあり、天王山のコンビニで泣き崩れた。
こうしているうちに日は顔を出そうとしていた。
道は覚えていない。ただ"歩く"という行為をしていた。京都に入ってからも道は長かった。まだ知る京都は見えてこない。しかし、足がバカになるとはこのことで、痛みになれるフェーズがここできた。桂川を渡り、京都市へ。
無心で歩いて、歩いて歩いて。
西京極へ着いた。自分の知っている京都に、着いた。
朝8時すぎ。とりあえずファミレスに向かう。
ファミレスまでの1キロもしんどい。ジョイフルで朝ごはん、とはいかず、着いてからしばらく記憶がない。座ってすぐ死んだように落ちていた。目を覚ますと大地が朝ごはんを食べていた。僕も食べようと頼んでいる間、今度は大地が落ちた。そんなそぶりはなかったけど、彼もかなり堪えていた。
スマホでホステルを探し、今日は早いところチェックインしたかったが時間があったため、カフェや神社を巡った。こういう疲労感のある中でも楽しめるものを本当に「好き」というんだと思う。
ホステルについてからは再び死んだように寝た。僕は少し寝て、晩御飯を買いにスーパーへ。うどんとほうれん草のおひたしを作った。大地は寝ていたので結局食べれていない。
ヒッチハイクよりも過酷なこの「大阪京都ウォーク」は達成感など噛みしめるまもなく気がついたら終わっていた。
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翌朝。大地とは別行動、自由時間を個々にとることにした。
私は京都へ来たら毎回立ち寄っている岡崎の蔦屋書店や目をつけていたサウナの梅湯でチルアウトしにいった。
疲労で頭がぼーっとしている中で好きなことをしていると、何かがキマっているような感覚になる。(キメたことはない)京都での自由時間はあっという間に終わった。大地は鉄道博物館に行ったらしい。
大地とどこで待ち合わせ、深夜バスが来るまで何をしていたかは、覚えていない。でも17時、深夜バスが来て安心感を得たのは覚えている。
今回の旅は他の人から見ればあまりにバカらしく、無謀で、無意味と思われるかも知れない。しかしここではかなりたくさんの学びを体験できたと思っている。
ヒッチでは「人の温かみ」「情」「やってみなければわからないことがある」ということ。大阪から京都までの歩き旅では「自分の小ささ」「基本動作もきわめれば大きなことを成し遂げられる」「疲労との付き合い方」etc......
しばらくやりたいとは思えないけど、いい体験ができた。こうやって後になって綴れるくらいなのだから。
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