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産まれる場所は選べない②【ブッとんだ父は筋金入り】

まずは私に"アルコール依存症"という置き土産をくれた父親。5人兄弟の末っ子で、祖母は小針の先生。家柄もよく何度か行った事のある家は大きくて立派だった。

結婚2回、内縁関係2回。父のこどもは私を含めて3人いる。最初の結婚で授かった兄は父の一番上の姉が養子として育てていた。父が亡くなった時に一度だけ会ったことがある。父を反面教師として生きたのか、とても真面目だったそうだ。だから私には腹違いのその兄ともう一人姉がいる事になる。姉は会ったことも見たこともないが同じ名前らしい。父はどういうつもりで同じ名前を付けたのか…そんなブッとんだ人。

色々な家庭はあると思うけど、世間一般の父親像は、仕事へ行き、休日には一緒に出かけたり公園で遊んだり、そんなもんなんだと思う。だけど私の中の父の記憶は、朝から晩まで呑んだくれていて、機嫌が悪くなると当たり散らし、気に入らないことがあればドラマのワンシーンのように机ををひっくり返しているただのおじさん。もちろん片付けるのは母。母は呆れた顔で淡々と片付ける。呑みに出かけたかと思えばケンカして頭から血をながしフラフラしながら帰ってくることもあった。

それが日常茶飯事。

あぁ、後、話の前後は思い出せないけど、父は「釣りに行きたい」と言えば夜中だろうがなんだろうが幼い私を起こして釣りに行くし、「ラーメン食べに行こう」と言えば地元の博多まで下道4時間半かけて連れて行かれる事も度々あった。けして裕福ではないのにいきなり電子ピアノが届き「弾け」と言われたこともあったな。もちろん習ったことなんてない。転んで泣いていても「泣くな!これからの時代、女も強くないとダメだ」と教えられてきた。

きっとアルコール依存症だけではなかったんだろう。

それでも少なからず父親であった部分もある。本当に記憶がなく、幼なじみから聞く話だけれど幼稚園の行事は必ず来てくれていたらしい。ただ、常に片手にはアサヒの銀。どこに行くにもなにをするにも酒は手放せなかったようだ。

徐々に父の気分の波は激しくなり、私は段々と顔色をうかがうようになった。

父のエピソードは多分数えきれないほどある。おぼえているのはそのぐらい。

うっすら記憶に残っているのは、真夜中に包丁を振り回した件。母が兄に私をおぶって逃げろと言ったのはなんとなく覚えてる。きっかけは母との些細な言い合いだったんだろう。

「地獄をみたければアルコール依存症患者のいる家庭をみよ」なんて笑えない言葉があるけれど本当に笑えない。そんな穏やかではない小学低学年を過ごした。

そんな父は、肝硬変を患っていた。だからうちは母親が稼ぎ頭で朝から晩までいなかったの。父は、入退院を繰り返し吐血もしばしばしていた。入院中に呑んでは強制退院させられ風呂の桶一杯の血を吐いても酒を呑む。筋金入りだ。

当時「酒を買ってきてくれ」と近所の酒屋によくお使いを頼まれたりしていたが、買って帰ると機嫌がよくなり褒美にお駄賃をくれる。それが幼い私にとって唯一の父との関わりだった。そう、そこにはなんの悪意もない。

けれども、父の体はその度に病魔に襲われていたのだろう。

そんな日常から目に見えてもわかる程弱ってくるのである。そして、恐らく母が一番後悔しているだろう事が起きる…

つづく







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