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その「絶好調」は、ただの勘違い?『科学は「ツキ」を証明できるか――「ホットハンド」をめぐる大論争』

シュートが連続で何本も決まる。賭け事で勝ちが続く。名案が次々と浮かんでくる。そんな「ツイている」「波に乗っている」状況は、誰しも身に覚えがあるだろう。

ひとつの成功がさらなる成功を呼び込む。そんな神がかった状態は「ホットハンド」と呼ばれる。この絶好調な感覚が本物であることを、統計的に証明しようとする試みがあった。

ホットハンドは実在するのか。この謎にまつわる人々の物語、研究の動向を「ウォール・ストリート・ジャーナル」でバスケットボール担当記者としてNBA取材の経験も豊富な著者がまとめた一冊である。「ホットハンド」の語源がシュートを立て続けに決める姿に由来するように、この研究分野は昔からバスケットの世界に大きな関心を寄せてきた。

ホットハンド研究の嚆矢にして大論争を巻き起こした1985年の論文がある。NBA選手や大学生を対象に何千本ものシュートを調査したところ、ホットハンドの存在を裏づける証拠が何も出てこなかったのだ。「ホットハンドは存在しない」とする主張に、学術界のみならずスポーツ界からもすさまじい反論が寄せられた。直感に反するこの結果はいったい何なのか。

「人間はランダム性を理解できない」。この観点こそ、上記の研究を読み解くカギである。著者が引き合いに出すのが、かつて音楽配信のスポティファイを悩ませた「シャッフル再生がランダムになっていないのはなぜか」というクレームだ。一見わけがわからない苦情に思えるが、不満の背景には「同じアーティストの曲が続きすぎる」ことへの違和感があった。

スティーブ・ジョブズも、iPodシャッフル発表後の時期に「ランダムということは、同じアーティストの曲が2曲続くこともある」と同じ問題に触れている。ここに引っかかるのも、リスナー心理として分からなくはない。結局、あえてランダム性を「減らす」工夫をアルゴリズムにくわえることで騒動は解決に向かった。「ランダム」の本当の意味を理解する難しさが伝わってくるエピソードである。

ランダム性にまつわる誤解は「意思決定のプロフェッショナル」にとっても無縁ではない。メジャーリーグの審判の判定を数百万球にわたり分析したところ、2回連続でストライクが入った後の3球目はそれ以外の局面に比べて、際どいストライクがボールと判定される確率が高いことがわかった。同じ結果がここまで続くはずはないだろうと、無意識のうちにバランスをとってしまうのだ。

さらに取り返しのつかない「誤審」をあぶり出した研究も存在する。357人の移民裁判官が下した15万件以上の判決を分析したところ、驚くべきことに「ひとつ前の裁判で申請を通した直後には、その次の申請を認定することが少ない」傾向が明らかになったのだ。人の一生を左右する場面である。審査される側からすればたまったものではない。物事をフェアに見ることは、これほどまでに難しいものなのか。

「ギャンブラーの誤謬」の話だと思い当たった人もいるかもしれない。ルーレットで同じ色が何度も続くと、次のターンで別の色が出る可能性を実際の確率より低く見積もってしまう心理現象だ。対して本書では、シュートが連続で成功すると次のシュートも入ると思ってしまう心理のことを「ホットハンドの誤謬」と呼んでいる。

どちらの光景も世の中のいたるところに見出せるが、根っこはつながっている。通底するのは、過去の結果が未来に影響を与えないケースでも「そこに解読すべきパターンがある」と信じ込んでしまう心理だ。ギャンブラーの誤謬を信じやすい人は、ホットハンドの誤謬も信じやすいという。こうしたランダム性にまつわるバイアスへの理解は、ホットハンドを考える上で欠かせない。

肝心のホットハンド研究に話を戻そう。実は1985年の論文、物議を醸したわりに、その主張を完全に覆す研究がなかなか現れなかった。風向きが変わったのは、2000年代以降の話だ。きっかけは「マネー・ボール革命」に代表される新時代のデータ分析メソッドの台頭である。すでに触れたメジャーリーグの審判の研究も、新たな分析ツールと評価手法の産物だ。

NBAの年間の全シュートを1本残らず調べられるようになった。ついには調査対象を8万本クラスにまで拡大した研究も登場する。もちろんそれ相応のリソースが必要にはなるが、重要なのは、ひとつひとつのシュートの難易度を精緻に測れるようになったことだ。シュートの成否だけでなく、その1本が「期待値」をどれほど上回ったかを数値化することが可能になった。

史上初めて「選手がどの程度好調か」を数値で解明できるようになったのだ。本数としては同じ5本連続のシュート成功も、それがレイアップ5本なのか、スリーポイント5本なのかを厳密に考慮することが可能になった(以前はそれすらできていなかった)。1985年の論文に新たなアプローチで挑む人々を描いた本書終盤は、ページをめくる手にも熱が入る。

果たしてホットハンドは証明できたのか? 結論は実際に読んで確かめていただきたい。その結果以上に驚かされたのが、研究を行う過程で判明した衝撃の事実である。従来のホットハンド研究が見落としてきた、ある重大な盲点が見つかったのだ。統計のプロも含めて、このシンプルだが決定的な落とし穴に気づく者は誰もいなかった。

わたしたちはいかに、物事をありのまま見ることができないか。本書が突きつけるものはこの点に集約されるだろう。上述したホットハンド研究の「盲点」にもこのポイントは深く関わってくる。研究内容それ自体よりも、その解明プロセスを通して浮かび上がる、私たちの奥底にひそむバイアスの根深さこそ、著者が最も伝えたいポイントなのかもしれない。

その狙いは、統計の話題になじみのない人も飽きさせまいとする工夫の数々からもうかがえる。スポーツ、科学、アート、金融、ギャンブルなどトピックは幅広い。

歴史に名を残すクリエイターの作品遍歴をたどると特定の時期に傑作が集中しているケースが多い理由や、「ツキ」を当てにしない運用を徹底することで成果を上げた投資家の話など、ホットハンド的な要素をさまざまな分野に見出そうとする姿勢が一貫している。ホットハンドが持つ、多様なジャンルへの応用性と、物語を生みやすいエンタメ性をフル活用して読み手の興味をかき立てる手腕は見事だ。

ホットハンドに翻弄される人、味方につける人、そもそも信じていない人。魅力的な人物描写とストーリー展開にのせて、私たちに内包された思考のクセを多彩な角度から浮き彫りにする本書は、小難しい話題が苦手な人にこそおすすめしたい。統計がらみの話につきまとう「とっつきにくい」イメージが、実はバイアスに過ぎないと気づかせてくれる好著だ。



ホットハンド研究の進展にも少なからぬ影響を与えた名作。