『旅のつばくろ』道中だけが旅じゃない
二週間前はまだ連休だったことが信じられない。どこにも出かけないGWはあまりにも一瞬すぎて、何をしていたのか早くも記憶がなくなっている。巣ごもり生活にもすっかり慣れ、むしろ快適に感じるくらいだ。これから自粛が解かれていったとしても、しばらくは遠出なしで平気だとけっこう本気で思っている。
本書を読んで、そんな気持ちが変わってきた。日頃の外出は減るとしても、やっぱりたまには遠くまで足を伸ばしたいと今は思う。「外出できない時は家で旅気分を」みたいな話はあまり響かなかった人も、この本には「旅欲」をかきたてられるかもしれない。
JR東日本が発行する新幹線車内誌「トランヴェール」で連載中の旅行エッセイから、四十一編を選りすぐって収録した一冊だ。東北新幹線や北陸新幹線に乗る機会があれば、目にしたことがあるかもしれない。年に二度の帰省に加え、一時期は仕事で東北に通うこともあったので、熱心な「沢木ファン」ではない自分にとっても車中の小さな楽しみだった。書籍化を知った時には迷わず手に取り、何の不安もなく遠出ができた頃を懐かしみながら読んだ。
著者初の「国内旅エッセイ」だという。たしかに海外を旅する印象が強すぎて、日本各地をまわっている姿はイメージしづらい。実際、国内となると仕事や用事もなしに遠出することはあまりなく、用が片付づいたらとんぼ帰りすることも少なくなかったという。
東北や北陸、北海道、さらには都内を巡る回もあるが、ひとつ軸になっているのは、十六歳にして単独で実行した「東北一周旅行」の軌跡を確かめ直す旅だ。
著者は盛岡へ向かう道すがら、あえて北上駅で途中下車する。日本現代詩歌文学館に立ち寄る目的とは別に、そこには特別な理由があった。
かつての東北一周旅行では、資金節約のため三晩は駅で夜を明かしたという。とりわけ深夜の北上駅の待合室は、著者の心に深く刻まれている。五十数年ぶりに現地を訪れて思い起こすのは、その夜にたまたま居合わせたホームレス風の男性の姿だ。彼に受けたある親切が、旅における「性善説」の信奉者となる決め手だったと振り返る。
20代前半の駆け出しライター時代、奥羽本線の車内で永六輔にインタビューした時の話も書かれている。話を訊けるのは、秋田駅から大館駅への移動中だけ。そんな条件にも臆せず編集部を強引に説得して現地へ向かうと、「本当に来たんだね」と少し嬉しそうな表情で出迎えられた。多忙さだけでなく、取材者の熱意を問う意味も込めての厳しい条件だったのだ。インタビューは当初の予定を超え、青森へ向かう列車の中でも続けられたという。
旅先の様子やエピソードよりも、旅を通じて呼び起こされる記憶や、過去の旅の回想が内容の核になっている。巻頭の一編にはこんな記述がある。
旅というと、行ったことのない場所を訪れるワクワク感を思い浮かべることが多い。そんな「空間の旅」に対して、本書から伝わってくるのは「時間の旅」の魅力だ。
もともとが予定調和な旅とは無縁な著者のことだから、単に思い出を回収するような展開にはならない。東北一周の旅では怖気づいて足を伸ばせなかったという青森・龍飛崎。50年以上の歳月を経て念願の地にたどり着いたものの、「いくら立ち尽くしても、少年のときの思いを甦らせることはできなかった」ことが率直に書かれている。
それでも、ふと立ち寄った青森県立美術館で廊下の壁にかかっていたポスターを目にした瞬間、駆け出しライター時代の記憶が思いがけずフラッシュバックする。寺山修司主催の劇団による1970年の公演ポスターだった。当時23歳だった著者は偶然にも、その公演をリアルタイムで見ていたのだ。
こうした旅の「余白」とでも呼べるような部分に、全体を通してピントが当てられている。旅先で撮った写真や手に入れたパンフレットを整理したり、人に話をしたりすることで、あらたに「旅をしなおす」。旅先を決めて下調べをする中で、その土地と自分との思いがけない縁を知る。「帰ったところから新たに始まる旅」もあれば、「旅に出る前から始まる旅」もある。
「余白」の味わい深さに目が向くと、旅に行きたい気持ちも不思議と湧いてくる。自分がいかに旅の「道中」ばかりに気をとられてきたか。読みながら何度もそう思わされた。旅路がいくつものセンテンスの集まりだとしたら、その「行間」にあるものを味わう。明言はされていないけれど、そんな感覚が全体を貫いている気がする。
この数ヶ月、外に出なくても意外と平気な自分に気づいた人も少なくないはずだ。家にいながらにして別世界にトリップできるような娯楽は豊富にある。旅なんて、お金も時間もエネルギーもたくさん消費する。「移動」そのものの必要性を見直す動きも、これからますます加速するだろう。
それでも、旅ほど時間も空間も超えてさまざまな味わい方ができるものはない。そう教えてくれる本書は、単なる旅行記には収まらない存在感をまとっている。さらりと書かれたように見えて、読む人の「旅観」を揺さぶる力があるのだ。「空間の旅」を前面に出した旅の本にはあまり惹かれない人こそ、ぜひ一度手にとってほしい。自分の過去の旅を思い浮かべながら読むとより楽しめる。
そもそも旅は過去を振り返る起点になりやすい。二十歳の自分はどんな感じだったのか急に思い出すのは難しくても、旅の記憶を手がかりにすれば、当時の心境までなんとなく思い浮かべられる。そんな感覚はないだろうか。旅を重ねるほど、タイムスリップできる行先が自分の中に蓄えられていく。そう考えるだけでも、やっぱりたまには遠くへ足を伸ばしたいと思えてくるのだ。
まだまだ連載は続いている。気兼ねなく遠出ができるようになり、車内で続きを読める時が来るのが待ち遠しい。ひさしぶりに北へ向かう新幹線に乗った日のことは、時が経ってからも折にふれて思い出しそうだ。