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徒然なるままに、タロット 〜正義と力〜


こんにちは、宝杖美季です。

9月も下旬に入ったというのに、まだまだ暑いですね。
(この下書きを書いている間に涼しくなってきました〜笑)

さて、今回は、十一番目のアルカナである「正義」と八番目のアルカナである「力」をまとめて取り上げてみようと思います。

まず、なぜこの2枚なのか。
そして、なぜ十一番目の「正義」が先なのか。

タロットカードに馴染みのある方は、すぐに「ああ、はいはい、わかりますよ」とピンとくるのではないかと思いますが・・・。

実は、この2枚のカード、時々、入れ替わるんです!

なーんて、リーディング中に、ささっと動くわけではないですよ。笑
ただ、デッキによっては、「正義」が八番目で「力」が十一番目に収まる・・・という風に入れ替わります。

写真を見ていただくとわかるように、初期の頃のヴィスコンティ版やマルセイユ版(向かって左側の二組)は「正義=剣と天秤を持った女性)」が八番目で「力=ライオンが描かれている)」が十一番目でしたが、ウェイト版では、それが逆さになっているんです。
なぜって、デッキのタイトルにもなっているA.E.ウェイトさんがこの順序の入れ替えを行なった張本人だからです。(と言われています)

ということで、本来は八番目のアルカナであった、「正義」について。
これは、デッキによって解釈を変えた方が良さそうな話ですが、タロットカードが作られた当初(正確にいつとは言えず、詳細を語り始めたらとんでもなく時間がかかるので、興味のある方は歴史の本を読んでください)、要は中世末期からルネッサンスへの過渡期の頃ですが、まだ法律ってさほどしっかりできていないんですよね。
真っ当な警察組織もなく、善悪の判定は教皇や国王、選帝侯、領主などが彼らの基準、あるいは気分で決める世界だったわけです。
なので、八番目の「正義」のカードで善し悪しの判定をくだしている女性は、法律家ではなく魂の裁定を行う女神テーミスで、裁かれるのも、外的要素というより、あくまでも個人の価値=魂の清らかさと解釈するべきではないかと。
もっともヴィスコンティ版に描かれているのは、ミラノ公フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの娘であるビアンカの内面的徳性を描いたという説もあるそうで、あくまでも権力者の美徳による「正義」ということになるのでしょうか。
それを、リーディングでどう解釈しろってのかしらねえ・・・笑

それに対し、十一番目に昇格したウェイト版の頃には、すでにある程度の法的秩序が整い、人々は公に外的要素に対する善悪を問える世の中になっていて、ただし、その正義を司るのは、あくまでも神の領域に触れることのできる存在であることが、背後の二本の柱と青い剣によって表されているそうです。
二本の柱は、先に触れた二人の聖職者、二番目のアルカナの「女教皇」と五番目のアルカナである「司祭」の背後にも描かれていますね。
そのことからして、二本の柱は神の領域に近い人のアトリビュートであり、ここで裁かれるものは神聖不可侵である必要がある。つまり、決して個人の欲得で裁いていいものではない。
そんなストイックな緊張感が、ウェイト版の「正義」にはあると思います。

一方、本来は十一番目のアルカナであった「力」について。
やはりデッキの作られた当時、イタリアではライオンは結構近所の岩山の洞穴などに棲息していたそうで、道を歩いていて遭遇する機会はあったみたいなんです。怖っ。
ライオン狩りとかって、勇者の証明として実際に行われていたんでしょうね。
つまり外的に制圧する存在と考えてよく、特にその感じが顕著な絵柄であるヴィスコンティ版(向かって左)は、現在、「力」のリーディングで主流となっている内面的葛藤、理性が本能を制圧する、自分への勝利・・・的な解釈は少し違ってくるように思います。
マルセイユ版は、一応女性がライオンを手懐けている構図だからウェイト版と似た解釈でいいんでしょうけど、やっぱり、言っても十一番目だからなあ。
一桁の数字で個人的成長を遂げた人が、運命の輪の回転を経て、社会の中で己のポジションを築いていく位上昇の二桁と考えると、やっぱりここで手懐けているライオンは外的存在という感じがしなくもない。
ちなみにウェイト版の作られた十九世紀のイギリスでは、ライオンは滅多に見られるものではなく、見られても檻の中にいるライオンであるから、描かれているライオンはむしろ本能の象徴としてのライオンということになるわけです。
もちろん、リーディングにおいて「強大な敵を倒す」とか「ライバルに打ち勝つ」という解釈もするので、最終的にはスプレッドにおける他のカードとの兼ね合いで判断することになるのでしょうけど、例えば、一枚引きのようなことをしたり、全体のテーマやキーカードとして見る場合は、そのカードがどちらの番号を担っているかを視野に入れるのもアリではないかという気がします。

天秤のバランスにしろ、ライオンとのバランスにしろ、どちらも均衡という点で親和性のある二枚であれば、やはり数の低い方が内面的バランスのことを指していて、十一番目に入るカードが外的要因とのバランスと見るのが良いように思うのは、私だけ?

てな感じで、歴史的な意味合いもリーディングの解釈に含めると、さらに奥が深くなるタロットは、やっぱり面白いなと思います。

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