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徒然なるままに、タロット Short Short 1 「吊るし人の物語」

「よお、犬養」
「やあ、どうも.・・・えっと、大野だっけ?」
 覚束無げな僕に対し、大野が気を悪くしたように「そう」と応じ、「ていうか」と文句を言った。
「『えっと』と『だっけ?』は余計だろう。相変わらず、人の顔を覚えないやつだな。そんなんで、将来、社長業とか務まるのか?」
「さあ、どうかな?」
 至って真面目に首をかしげた僕は、「それはそうと」と話題を変えた。
「鈴木、見なかった?」
 今日は高校の同窓会で、五つ星ホテルのバンケットルームを借りて行われているこの場には、大勢の見知らぬ男たちーー単に僕が顔を覚えていないだけだがーーが、ひしめいている。    
 色々と面倒くさいしパスしてもよかったのだが、直前に、もとクラスメートの一人から会う約束を取り付けられてしまい、来ざるを得なくなってしまったのだ。
 大野が、目をすがめて確認する。
「鈴木ってどの鈴木? うちの学年に鈴木は五人いるんだけど」
「淳史だよ。鈴木淳史」
「ああ、あいつか。あいつなら、前方の入り口付近にいたよ。誰かを待っているみたいだったけど、なるほど、君を待っていたのか」
 そこで含み笑いを漏らした大野が、わずかにこちらに顔を寄せ、囁くように忠告してくる。
「なんの用かは知らないが、気をつけろよ。あいつの船からはネズミが一斉に逃げ出しているからな。間違っても、乗船するな」
 そこに見え隠れする愉悦と悪意。
 あまり感じのいいものではない口調に、僕は「ああ、うん、ありがとう」と愛想よく応じ、彼のそばを離れた。
 言われなくても、当然、その噂は聞いている。
 鈴木淳史は、横浜で三代続くパン屋の息子で、一時期は異業種の事業にまで手を広げていたが、このところの物価高で本業が大打撃を受けた上に、広げすぎた事業もあちこちで焦げつき、その立て直しに四苦八苦しているとのことだった。
 てっきりそのことで相談があるのかと思っていたが、どうもそうではないらしく、なんとか鈴木を見つけて丸テーブルの一つに陣取ると、彼は前置きも世間話もすっ飛ばして言い出した。
「業務短縮に役立つアプリがあるんだけど、君のところもぜひ使ってみないか?」
「ーー業務短縮に役立つアプリ?」
 またふわっとした説明である。
 軽く眉をひそめた僕に、彼は口早に説明し始める。
「もとはMITの教授が作ったアプリで、それを日本経済に合わせて仕様をいじったものだけど、最大の利点は、他社との競合に勝つために会員制となっていて、会員の紹介なしには導入できない仕組みになっているんだ。当然、僕も信頼できる人からの紹介で導入を決めた」
 説明の途中からそわそわし始めた僕は、話の途切れたところで質問する。
「それってもしや、紹介者にはそれなりのキックバックがある?」
「まあね」
 鈴木がしらっと答え、僕は続く相槌に困ってしまう。
 合法なのか非合法なのかはさておくとしても、これが明るい未来につながる話とは到底思えない。
 そんなこともわからないようでは、事業の立て直しなど無理だろう。
 でも、考えてみたら、彼の父親は職人気質でパン作り一筋の人であり、彼もその血を受け継いでいる。だからこそ、かつては行列ができるほど人気があったわけで、その分、親子ともども、少々世辞に疎いところがあった。少なくとも、息子の淳史は、いまだに新聞もあまり読まないのではないか。
(なるほど)
 僕は、ちょっと皮肉に考える。
(沈みかけた船には、ネズミもどきがウヨウヨしているってわけだ。ーーさて、どうしたもんか)
 悩んだ末に、僕は言う。
「なあ、鈴木。悪いことは言わないから、一度冷静になって、君を取り囲む状況を分析してみたらどうだい?」
「どういう意味だ?」
「だから、急逝したお父さんのことは残念だったし、君の代で店を潰したくないという気持ちはよくわかるよ。ただ、今は苦しくても余計なことに手を染めないで、本業を盛り返すことに集中するべきなんじゃないか? ーー今後の事業計画次第では、僕もいくばくかの資金援助ができると思うし」
 とたん。
「バカ言うな!」
 テーブルを叩いて怒鳴った鈴木が、「せっかく」と続ける。
「君にチャンスをやろうとしたってのに、それを無駄にするなんて、なんて愚かなんだ。先見の明がない」
 頬を紅潮させて吐き捨てた鈴木は、そのまま僕の前から立ち去った。
 どうやら、プライドをひどく傷つけてしまったらしい。
 いつだって、そう。
 善意のつもりでしたことが、結果的に相手を怒らせてしまう。
「なんでだろうな・・・」
 つぶやいた僕が下を向いてため息をついていると、今し方まで鈴木が立っていた場所に一枚のカードが落ちているのが目に入る。
(・・・トランプ?)
 拾い上げると、やはりトランプみたいに裏に柄のあるカードで、ひっくり返したところには、なんとも不気味な絵が描かれていた。
 木の上に片足立ちしている男の絵ーー。
 ぱっと見にはそう思えたが、よく見たら文字やローマ数字が逆さまだ。
「あ、逆か」
 そこで、カードの上下をひっくり返す。
 すると、ふいに近くでしゃがれた声がした。
「ダメだよ、そんな勝手にひっくり返しちゃ」
 言葉と同時に、手からカードが奪い取られる。続けて、その人物が落胆したように言った。
「ああ、ほら、おじゃんだ。呪いは解かれちまった」
「・・・呪い?」
 繰り返した僕は、突然目の前に現れた老齢の女性に、「それ」とカードを指差しながら確認する。
「タロットカードですよね?」
「そうだよ」
「しかも、十二番目のアルカナである『吊るし人』」
「へえ。・・・・お前さん、タロットカードに詳しいようだね」
「ええ、まあ。知り合いに、カードリーダーがいますから」
「ほお」
 面白そうに応じた女性が、「ちなみに、これは」と教えてくれる。
「特殊なカードで、十六世紀に作られた『呪いのタロット』と呼ばれるデッキなんだ」
「呪いのタロット?」
 それはまた、おどろおどろしい。
 思いながらも、僕は興味津々で女性の話を聞く。
「この吊るされた男は、魔法使いとして処刑された実在の男をモデルにしていると言われていてね。その恨みを写し取ったものだから、人を呪う力がある。故に、このカードに取り憑かれた人間は自ら破滅の道を突き進むはずだったのに・・・。それを、こうも易々と引き剥がしちまうなんて、お前さん、いったいどんな力を持っているんだい?」
「Nothing」
 とっさに英語で答えてから、僕は日本語で言い換える。
「なんの力も、持っていません」
「だとしたら、そばに星の力を自在に扱える存在がいるはずだ」
「星の力・・・?」
 それには若干心当たりのあった僕が黙り込むと、「ほら、ご覧」と勝ち誇ったように言った女性が、「まあ、仕方ないね」と諦めたように続ける。
「解かれてしまったからには、この呪いは、かけた本人のところに戻すまでだ」
「かけた本人?」
 訊き返した直後、誰かに呼ばれた僕がちょっと目を離した隙に、その女性は消えていた。
 考えてみたら、男子校の同窓会に、なんであんな老齢の女性が紛れ込んでいたのか。
 もしかして、部屋を間違えていたとか?
 でもって、どこかの集まりの余興に来ていた占い師だったのかもしれない。
 わからないが、二度とお目にかかることはない気がした。

 半年後。
 鈴木から連絡を受けて、僕は久しぶりに彼の店に顔を出した。小さい頃は、よくこのパン屋でパンを買って食べたものである。焼きたてパンの香りには、人を幸せな気持ちにさせるなにかがあった。
「店、持ち直したようで、よかったな。思い出がたくさんある場所だし、僕も嬉しいよ」
 僕が言うと、鈴木ははにかんだ笑みを浮かべて礼を言った。
「ありがとう。君には、本当に感謝しているんだ」
「僕?」
 思い当たる節のなかった僕に、鈴木が「なにせ」と説明する。
「あのまま無謀なことを続けていたら、僕はどうなっていたか、考えるだに恐ろしい」
「ああ、そういうこと」
「そうだよ。それに、そういう意味では、半年前、君と同窓会で別れたあと、階段を転げ落ちて怪我をしたのもラッキーだった」
「そうだったね。あれには、僕も驚いた」
 あの時、僕が誰かに呼ばれたのは、鈴木が怪我をしたことを教えるための伝令で、その場は大騒ぎになった。
 余談だが、僕は、付き添いとして一緒に救急車に乗せられてしまったのだ。
「でもさ」と鈴木が続ける。
「入院して身動きが取れなくなって、絶対に自分は焦ると思ったんだけど、手術から戻って病室で寝ていたら、なんか急に憑き物が取れたみたいにすっきりしてきて、その時に、君に言われた言葉とか、その後、お見舞いに来てくれた常連さんの励ましとかがスッと体に浸透して、『あ、退院したらパンを焼こう。昔みたいに、ひたすらパンを焼けばいいや』って思ったんだ」
「大正解だったね」
 僕は言い、「でも、そういえば」と訊く。
「君の快進撃とは裏腹に、大野のところが経営破綻したって、聞いたか?」
「聞いたよ」
 どこか複雑そうな表情を浮かべた鈴木が、「人のことは言えないけど」と前置きしてから話し出す。
「実は彼、結構ヤバいことに手を出していたみたいで、今後、刑事告訴されるかもしれないって」
「らしいな」
 重々しくうなずいた僕は、その時、ふと「呪いのタロット」のことやあの時の女性の言葉を思い出し、鈴木に確認してみた。
「そういえば、君と大野って、在学中、F女学院の生徒をめぐってライバル関係になかったっけ?」
 すると、片眉を上げた鈴木が、意外そうに応じた。
「そうだけど、そんなこと、よく覚えていたね」
「うんまあ。ーー実は忘れていたけど、急に思い出して」
 曖昧に応じた僕に、鈴木が「実は」と告白する。
「その時の彼女が、今の奥さんなんだ」
「へえ」
 知らなかった僕は感心すると同時に、ちょっとやるせなくなった。
 もちろん、真相は闇の中だろうが、「げに、男の嫉妬は恐ろしく、人を呪わば、穴二つ」ということなのかもしれない。
 ちなみに、僕の名前は、犬飼星彦。
 星に守られた男、、と、勝手に思っている。


 〜Fin〜

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