深夜のボヤキ
もう飽きている。
こんな言葉しか出せない自分が
ほんとうのことを話せる日が
くるのかと疑っている。
書くことは裸になることに近い。
しかもマジックミラーハウスなどでなく
看板を掲げ身にまとうものなく
渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に立つような心境だ。
クラクションを鳴らされ
遠巻きの通行人が指差し笑い戸惑う。
それでも、見てもらえるなら本望だ。
でも実際は、こんな羞恥に耐えているのに
目にも入れてもらえず
素通りされることがほとんどだ。
裸になる必要なんてないのではないかと感じ
徐々に看板を持つ手が下がり
秘部を隠したくなるが
そこを何度か食い止める。
出せ。と頭の中で声がする。
出し惜しみすることなく、今あるすべてを出さなければ、新しいものが入らない。
欠乏し、すっからかんになってしまえ。
だけど、出したところで、
何度読み返しても同じ事しか言っていない。
同じことしか出せない。
その色がもう、わかって、もう変えたいと本心では思っているのに、その出し方に依存してきたから、簡単に変えられない。
いや、変えられない、と思い込んで怖がっている。
恥ずかしいんじゃない。
その、同じものしか出せない自分の姿が突きつけられてツライのだ。
変えられるかどうかもわからない。
この言葉を紡ぐことさえ苦しい。
出したところで、などと、おこがましくも何を守ろうとしてるのか。
もう新しいものが欲しい。
新しいものを感じて生きたい。
これまでと違う感じ方をして生きていきたい。
それが次の言葉になる、その言葉が欲しい。
きっとまた人の中に入っていく日がくる。
だから、それまで、ひたすらに潜るだけの日が続くのだ。