禁じられた遊び-1
10代前半、夜な夜な、1人遊びに更けていた。中学生くらいまで。あ、残念ながらこれは読む人によっては少し怖い、本当にあった話です。
そもそも小学生の後半頃に、簡単には眠れなくなっていた。自然な眠りとは何なのか、よくわからないまま大人になった。(入眠困難という言葉は最近知った)
深夜まで本を読んでいれば、朝は当然起きれない。
親からいい加減にしなさいと怒られ、主電源を切られてしまうと部屋は真っ暗になった。
死にそうにつまらない夜中の暇をなんとか潰そうと、10代前半の子が出来た最後の悪あがき。それがこの、ひとり遊びだった。
柔らかな西川の毛布と肌の間に温かな空気の層が生まれる。肌と空気が馴染んだ闇の頃、その遊びを試みた。
この秘密の遊びが、成功するかどうかは、実は布団に入る前から予感がある。
闇の中に伸びた腕、足から、少しずつ力が抜けていく。というか、軽くなっていく。
抜け。抜けろ。いけ。
天井が、近い。
呼吸がはね返りそうに近い天井には、砂模様がざらついて見える。ああ知らない天井。とどこかで思っている。天井を思い出せない、というのはいい兆候だ。
知らないところへ。ここから上。さらに、上。
何が抜けたのかわからない。急に目玉だけの存在になってしまったような感覚になる。
おお、これなら今日は成功する。
さあ、空を飛ぶんだ。夢の世界へ。
もう空を飛びたい。
今の全てを捨て、どこかへ飛んでしまえよ。わたし。
大きくなってから、何人もから同じ願望を聞いた。
夢の中でとの条件さえ付けず、終電の終わった酒の席でそう語る人もいた。酒が飲めるなら空なんて飛ばなくても楽しいじゃんと、その願望に漂う現実臭を払い飛ばすように笑ったりした。
酒の味も知らない、居場所も無ければ金も無い、非力で年端もいかない子どもが自力でたどり着ける自由な場所なんて、夢の中にしかない。
それに布団の中でできる1番センセーショナルな遊びだったし。
意識的に夢の中で空を飛ぶ。それは、今でこそ明晰夢と呼ぶのだと知っているけど、当時は遊びという感覚しかなかったので、そりゃもう熱心だった。
最初に飛ぶ場所として選びうまくいったのは、砂漠の岩と岩の隙間や夜の真っ暗な海の上だった。
たまに飛行高度が落ちて真っ暗な海面とぶつかることはあったけど、恐らくプールの経験を現実の記憶として持っているからか、また波の飛沫とすれすれの高度に上がってこれた。
同じ理屈で岩の壁に激突しなかったのは、そんな風に岩に激突した経験がないからだろうとおもう。
昼間何があっても、夜になれば赤い岩壁のクレパスのような裂け目に落ち、僅かに突起した足場を頼りに壁に張り付き、空を見上げることができる。
細い空からも隠れてひとりきり、本当の空気を吸う。わたしのためだけに充てがわれた空気。
ああここでは死にそうなのに死なない。
でもいつでも底の見えない穴の中へ落ちてしまえる。わたしがこの穴の底で体がバラバラになっても、だれも見つけられない。
生つばを飲みたくなるうれしさが、こみ上げた。
夢の中では自分の命が自分の管理下にあって、いつでもどうとでも出来るものだと思い直せる。
この命はわたしのもの。勘違いしちゃいけない。
握りしめた事実に堪らなく安心した。
本人さえも何をしているのか自覚がない。この誰も知らない夜遊びは、当然、エスカレートした。