禁じられた遊び3
その日はいつもより小高い山の崖から飛び降りることにした。もうその頃には、高いビルのフェンスを越え、屋上の90度のコンクリートに足を掛け、次のビルへ飛び移るようになっていた。
崖も簡単だろうと思ったら大間違いで、脆い岩では足の裏に力を入れても思った以上に勢いがつけられず、ある家の裏庭に落下してしまった。仕方なく窓を開けて静かな家の中へ忍び込んだ。
古い見知らぬ家の中は暗いはずなのに、青白く明るい。誰か寝ているか一応警戒はしたけど、やっぱり誰もいない。
屋根上の瓦がカタカタと鳴る。男たちがもうやってきた。居場所を悟られないように、軋みそうな木造の廊下を静かに踏み歩く。どうにかしないといけない。
どうにかして、また屋根に登らなくちゃいけない。
この遊びは屋根から屋根に飛ぶ仕様のみで、地面から屋根に飛び上がるルールは設けていない。ルール違反だからというより、その発想がないことが如何にも私の遊びらしい。
一度設定した約束は守るものだからじゃなく、不変の絶対的なものになってしまうのだった。あの男たちも粛々とルールから逸れず、徹底的に追ってきているだけなのだ。止めてくれない。
恐る恐る開いた二階の部屋も、もちろん誰もいなかった。
大きめの窓に掛かる、ピンク色のカーテンの隙間から外を覗く。あの電柱の影か。向かいの屋根の向こう側か。追っ手が息を潜めてこの家を見つめているのは、間違いない。
追っ手に捕まった後のことは自分でもわからない。逃げなきゃいけない理由なんてない。でも鬼ごっこは逃げ続けなくちゃいけない。
それがこの夢のもう終わりがわからないルール。
恐る恐る、カーテンの隙間から手を差し込み窓が動くことを確かめる。ここから出られそうだ。
さらに目を凝らして暗闇をのぞくと、目線よりやや左下に黒い屋根が見えた。
(あそこへ飛び乗ったら、右手の男が来る前に、今いる部屋の屋根に戻ってこよう。
逆方向へ飛べば、撹乱できるんじゃないか)
この窓が開いてることを知られたら終わりだ。
計画1割で、無風のくせになぜか揺らぐカーテンに飛び込んだ。
予想通り右手には男が潜んでいて、わずかに遅れて捕まえにきた。
そこまでは予想通り。
が、ここで思い違いをしたことに気がつく。
もう一度戻るはずだった屋根の傾斜と向きを、計算に入れていなかったのだ。屋根はわたしが思っていた向きと90度ズレていて、しかもかなり高い。
さすがにあんなに高い屋根までは飛び上がれない。
飛び出てきた窓に、戻る?
いや迷えない。戻るしかない!
瓦をグッと踏みしめると同時に、頭を低く下げた。服の背中を掴もうとする男の腕が、すんでのところで髪にかする。後ろに傾いた重心を使って、思い切り瓦を蹴る。何枚か瓦が落ちた。でもなんとか元の窓に戻り、サッシに足がかかる。
男が振り返るのがスローで見える。次の着地先を。
あ、15mほど先。
フェンスに囲まれた大きな病院。
あの病院には一度のジャンプじゃ届かない。けど、前のフェンスにならギリギリ届きそうだ。
間に合うかわからない。でも捕まるわけにはいかないと、思い切って病院の駐車場を囲うフェンスを目掛けて飛びあがった、そのときだ。
右の目の片隅が違和感を捉えた。
なにか、赤いものが。動いている。
(え。火?)
この世界にわたしの想定の範囲外で動く何かなんて、存在するわけがない。
なのに火がある。黒い煙がもうもうと上がる。
違和感の元は、さらにその下。
その、下がおかしい。下が。
(アレは、なに)
蠢くような煙の下に、ひとりの老人の男がいる。
白いタンクトップと、ステテコのようなものを身に付けた老人は一斗缶の中で木のようなものが燃えるのを後ろ手に眺めていた。
まさかなんでここに、と思うより先に悟った。
(ひとに、見せてしまった)
フェンスは消えた。あの男たちも。屋根も。全ての景色が目の前から消えた。世界を消してしまったあの老人によって、自分が大きな大きな誤解をしていたことを知った。
(この世界には、別の生き物が、いる)
目を開けても普通の朝だとわかるまで時間がかかった。まだ夜が続いているような、起きたのにまだ夢の中にいる感覚があまりにも残り、茫然とした。
本当に寝ていたかどうか自分でわからない。境い目が見当たらない。それを怖いと思うのは初めてだった。
寝起きですぐにベッド横の窓を開ける。
さっき見たあの場所。火を焚いた跡を確認した。
もちろん、誰もいない。居るわけがない、なのに
(人がいたんだ、あそこ。
わたしだけの遊び場だと思い違いをしていたのか)
夢うつつのまま朝ごはんを食べに階段を降りながら、そんなことを考えた。
あの世界を保つ力を、あの老人は燃やしてしまった。あそこがわたしだけの場所であるよう、かけたおまじないの札は取り払われ黒煙に化けたのか。
そんなバカなことがあるだろうか。夢をコントロールするはずが囚われるなんて。あの夢の輪郭線はぼやけ、どこからが自分なのかわからない。どこからもなにも、全部が頭の中だけで
変だ。夢に囚われまいとすると余計に、映像が頭の中をぐるぐると回る。あの、人。
(焼いていたのは、なんだったの?)
黒い煙は火の勢いよりも激しく、盆の送り火の松明のように、脂の混じる燃え方をした。
あの瞬間、遊びを取り上げられてしまい目が覚めた。戻る気なんてなかったのに。
(あれ?あの缶の中にあった長細い肌色のモノ。
本当に、木、だった?)
あの脂はどこから湧いたのだろう。
朝食を食べている途中もまだあの光景がはっきり思い出された。
(あのひと、笑ってた)
立ち上がる黒煙は老人の何倍もの太さで、生木を燃やしているのか赤い炎が一斗缶からはみ出ていた。
(あの人には、ぜんぶ丸見えだった)
急に恥ずかしくなった。遊びに熱心で我が物のようにしていたわたしの、隠していた人との関わりへの怯えを指摘されているようで気持ちが悪くなった。
それからぱったり、空を飛ぶ気が失せてしまった。いつのまにか飛び方も忘れた。
ただ今思い出せるのは、あの無人の世界で遊んだ子どもの自分。
あの妄想の世界はとても気持ちがいい。頭の中で点を編み続け、点から点を繋げどこまでも夢は広がった。悪夢にもなる。悪くおもえば悪くしか見えない。人を焼いたと思えば人にしか見えない。
たかが夢、されど夢。
もうずいぶん時間が経ち、自分の子があの頃のわたしと年が近くなり、夢で遊んだ日々を思い出した。
妄想で自分を鼓舞して生きる。人を鼓舞して生きてる実感を得る。どちらもやってきたとおもう。生きていけるなら何でもいい。
なんとか生を凌げる方法を選んで、10代のわたしは夢の中で遊んだ。
何にも慰めが得られないとなれば、自分で作り出すしかなく、あの時はそれが夢だった。人からの反応で自分を癒すわけではないので、結果をコントロールしやすかった。夢のラビリンスへ飛んでいた。
野生的で本能的なお花畑を自分の内部に作り出し、自分の野生を慰める毎夜の習慣。子どもらしく他者との関わりに盲目だったからこそ、世界観は爆発した。
あの頃、本当に反抗したかったのは親や環境ではなく、世界に踏み出せず内面にこもるしかない、子どもという無力さだったとおもう。自分の年齢を超えられる唯一の武器は勉強しかなく、夢の次に熱心だった。
自由になりたい欲求と、不自由な現実とのギャップが苦しいのでなく、欲求を現実化できる方法が何もないことが苦しかった。
10代前半は、驚くほど自分で環境を変える方法がない。知っていることも少ない。
だけど生きるしかなくて、生きるのは死ぬより大変なんだと、真剣に思った。
死んでしまえば楽だとわかっていた。どうしたって生きるのをやめることができず、黙ることなく「生きたい!」と叫ぶ自分の野性に逆らえなくて、ついぞ頭の中で遊んでしまった。(まあ、めちゃくちゃ楽しかったです)
こういう頭の中の遊びを毒のある花だとも思う。中毒性があるから。
合理的で野蛮で快楽的で本能的な、じぶん遊び。
目の前のことから法則性を見つけるのは、とても楽しい1人遊びなのだった。
憐憫というふざけたタグのついた酒の仕業で、都合よく世界を見てしまうことがある。悲しんでいる方がつじつまが合う、見ている過去と。
じゃあさ、見える過去が毒だとしたらどうするの?毒を薬に変えなきゃいけないの?
いや、別にどうだっていい。と今ならおもう。
わざとキョトンという顔をして、開き直ってしまう技だって身につけちゃった。
わたしの一見、身もふたもない野生は、たまたま日本で生まれた。社会保証も手厚くて、医学も科学も楽しい。だけど窮屈だなと感じると途端にこころが叫んでしまう。
あ、生きてりゃいいです。
ひとまず生きてますんで。
ちょっと良さげだとおもうことは、だいたいやってみます。
誰にも本当は心の中までバレてなんてない。それに、案外バレバレで知らないのは自分だけと言われても、えそんなことない。たぶんわからないんじゃない?って開き直る。
わたしが何であっても、どうでもいいよ。
けっこう本当はどうでもいいんだとおもうわ。
身勝手に人を好きだとおもうのが、好きなだけで。