世の中厳しくて
世の中厳しくて
ちょっと突っ込むと人権問題とか権利問題とか、
言われちゃうの知ってて、
その流れもわかるんだけどさ。
目の前のテーブルに出てない死角の意見を出したら大反発されちゃったり
敵意むけられちゃったりさ。
終了時間までにとか、制約があるからとから、
具体策はどこに落ち着くとか。
このワードは使ってはいけない。
この禁止用語はどうだとか。
そんなことばっかり気にしてて、
本当にクリティカルに行き着くための時間の先延ばしはどっちだろうと思うときもある。
どんなにその場に意味なく見えようが
関係ない立場の話に聞こえようが
生臭いドス黒さとか出てようが
それを拾ったアンテナが自分の物でない以上、
その素を拾い出して考えてみることが
コミニュケーションだとおもう。
人がその場で感じることなんてその人のものでしかない。
その場で解決を導けない出来事の本質を
見極める力があるひとでも
その闇を感じる事ができない人もいる。
なんでも、どんな言葉でもいいじゃん。
すごく素敵だなと尊み深いよ。
良いところしか見えない。光ってるとこしか見えない。その前の闇なんて屁でもない。
●には×するな、とか、定型なことが当てはまらないことは往々にしてある。
正しさ、善悪、のオブラードにエゴを包んで自分を何から守ってるんだろうって、
立ち止まってみるのは
楽しいできごとでしかない。