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84°33でつながってたい。

たまらなくなって、あわててパソコンを開いた。うれしい。
前回の更新から約3ヶ月ぶりでしょうか。
お久しぶりです。元気にしています。お元気ですか?
元気でなくてもいいんです。生きていてくれれば。


あれから仕事を始めました。
心配していた夏休み、家事の分担、子どものメンタル、7月に抱えていた問題は夫と子どもとの話合いと試行錯誤を重ね合いながら、9月からは週4と求人票通りに働いています。

いまにして思えば、主婦+介護+子育て+自身の凸凹と、わたしについているタグは、よくある家庭問題としても、先端がいくつもに割れた糸のようです。ま、今も。
くんずほぐれずな時もあれば、各々が勝手に動き出す時もあり、どれもがこの人生の不具合、いやいやそう言いたくなる自分もいるので消しませんが、というより正確には、日々はつねに不具合との遭遇でした。
同時に、夫の日々も子どもの日々も、職場の誰もが、わたしという糸と遭遇し、同じように頭を抱えながらも、ひとまず今より見える先へ一緒に紡ごうとしています。
日々を紡ぐことを主観的に見つめると、糸口を探すためには自ら工夫を生み出すしかなかったのでしょう。あの7月までの日々は、視線が一方向だけから差していた時間だったように思います。心についた目で、前だけ見て生きていたよう。


夫と子どもが今わたしと同じように考えているかどうか、その本当の気持ちはわたしにはわからないし、もしかしたら違うことを考えているかもしれない。だけどわたしの目線からすれば、この3ヶ月、わたしは大切にされたとおもう。とても。互いの視線の先を、互いに見せあっていました。

今はみんなの視線を交えて、かぞくという構造物を紡いでいます。

だから、わたしは今働くこともできるし、家族でキャンプにも行けるようになったし、夫は有給を取るようになり、新しく加わるだろう妹の家族を迎え、各々がこの3人家族の先にある人へ視線を伸ばせている。
この家族の構造式には、新たな式が加わったように感じています。

それはまるで日本式双晶のようです。夫婦水晶とも呼ばれ、珍しくて美しい、しかも日本で最初に発見された水晶で、奇石博物館のHPでわかりやすく紹介しています。


1人の視線(思考)がまっすぐに伸びていく隣で、もう1人の視線がまっすぐに伸びていくように育っています。彼らはそれぞれ独立した石たちですが、2つの視線や思考の方向性は根本でしか交わりません。この石たちは互いに関係を持っています。

同じ構造式を持つもの同士だからいいのでしょうか。うまいこと彼らの根本は合致し「厚み」を合意します。そこからは好きなように伸びていくことができる状態ですが、分かれ目の角度はどの双晶も同じ「84°33」。なぜか不変です。理由はわかっていないそうです。わけわかんないけど居心地がいい、それは1点のどうしようもなくゆるがすことのできない点、なのでしょう。十分じゃないですか。

この水晶を見つけたとき、これはわたしのことだ、とおもいました。

わたしはこの状態を自分の家族に望んでいたし、自分にも望んでいたのだと思います。望んでいる、んだとおもいます。

願わくば、ただお互いの存在をよりどころに、生きていきたいって。あなたをわたしの根本で感じていたい。
そういうことを「支え合う」というのだと、思っているのだと思います。
わたしのよく見失う、なかなか見つけられないわたしは。