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noteに書き落とした言葉は、人前にいる自分より、よっぽど自分らしいとおもってた。それは今まで誰にも言えないことだったから。 書くまでは辛い。でも一度白日に晒してしまえば、硬く握った手がふっと緩んだ。想いを手放した身軽さは、たまらなかった。書いた文字を何度も読み返せば、そうかそうかとまだ握ってしまう何かをそこに見つけた。そして昔の自分の苦さをこうして懐かしめる今が、嬉しいとおもった。 それを何回か繰り返すと、今度は、書きさえすれば消化する、そんな気になった。 さら
文章の闇がどうたら 同じものしか出ないたら ウンタラカンタラ寝言をほざいていたなと 目が覚めた。 このnoteを始めてから もう100以上書いた気がしていたが、 実際は30いくつだったことに さきほど驚愕した。 なんてこった。 70近くの記事たちは どこにいってしまったのだ。 というか、なぜ書いたと思い込んだ。 言葉はわたしの生き様から生まれていて、 それらの事実の連なりの中には どうってことない どこにでもある だれかが経験してる 瑣末でもないが、まあまあ