死ぬまでに伝えたいオヤジの小言 「教育編②考える力」
こんにちは。子供に「サンタクロースの正体はお父さんでしょ!」と急に言われて、おもいっきり顔に出てしまったオヤジです。。
さて今日は教育②「考える力」に関して。
前回にもお伝えしましたが、
以前の記事 教育①
考えなくても毎日過ごせてしまうってものすごく怖いことだなと。
文科省では、教育改革によって「プログラミング」のスキルを身につけるように働きかけているけれど、正直私はあまりそうは思っていない。
もちろん必須なスキルだけど、正直短年で学べるものなんて言い換えればすぐに代替えできてしまう陳腐なものだと思っている。
時代のバズワードであって、本質的ではないように感じる。
それよりも深くアートを考えたり、ディベートやアクティブラーニングのように答えのない問題に対して意見をぶつけ合う方がとても人間らしく、自分自身を掘り下げることができるような気がする。
もちろん基礎学力や見識が少ないとそんなことすらできないから簡単な議題からスタートするのだけれども。そう考えると公立の小学校の先生は大変だなと思う。収拾つかなくなりそう(笑)
でもそれでいいと思うんだけどね。収拾なんてつけなくても。
うちの子どもにも考えることを習慣づけるように、ディベート。
お風呂に入りながら、息子との会話
オヤジ「お父さんと激うまカレーと超うまボロネーゼどちらかしか食べれないとしたらどっちが良い?」
息子「え~~。どっちも食べたい!」
オヤジ「・・・(超ほくそ笑む!私)」
オヤジ「ダメ!どちらか選んで。そしてその理由を教えて。」
息子「・・・・・・ん~好きなのカレーだけど、ボロネーゼかな。」
オヤジ「なんで?」
息子「インド人がやっているお店は沢山あるでしょ。」(実際はネパール人がほとんどですけどね(笑)
息子「だけどイタリア人がやっているお店見たことないから。」
息子「だからボロネーゼ。」
オヤジ「素晴らしい論理だね!」
オヤジ「素晴らしい答えのご褒美に両方作っちゃう!」
息子「やったーー!!」
オヤジ「・・・(超絶ほくそ笑む!私)」
といったことを定期的行っている。
すべての出来事に理由があり、こうした毎日の日常の選択にも考えをめぐらす習慣をつくる。
もちろん「感覚」も大切だけど、この感覚も「経験」に基づくもので偶然ではない(理由がある)と思っている。
日々のルーティンで子供の「考える力」が育っていると感じる場面が多くなってきた。
でもために痛い目に合う。
息子「お父さんは良く裸でいるけどその理由は僕はわかった。」
オヤジ「ほう!教えてごらん。」
息子「理由は③つある。」
「一つ目は、運動していいつも身体が熱いから。」
「二つ目は、体を鍛えているからそれを人に見せたいから。」
「三つ目は、へんたいだから(笑)」
子どもは良く見ています。皆さんもお気をつけ下さい。。(笑)
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