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嫌いだった本は人類の叡智だった

みなさんは本が好きですか?
僕は昔、本を読むのが本当に嫌いでした。

ところが、今では本屋に行けばビジネス書や技術書を見て衝動買いし、休みの日にカフェへ行って本を読む人間になりました。今日はそんな読書嫌いマンの変遷を書いてみようと思います。


読書ヤダヤダ期

僕がどれくらい読書を嫌っていたのか、振り返ってみます。

小学校
夏休みの宿題で出た読書感想文はできるだけ最後にやっていました。ネットで本の内容を検索して書くという発想がなかったので渋々読んでましたが、スマホや生成AIがある現代だと感想文は自分で書いてないでしょう。

中学〜高専
テストでは国語/現代文が一番嫌いでした。長々とした文章を読んで「筆者の考えは?」みたいな問題に悪戦苦闘。読むスピードが遅く、頭に入ってこないので何度も読み返し、いつも時間ギリギリまで問題を解いていました。

大学院
論文を書くために参考文献を読むのが大変でした。ググるのは得意なのでそれっぽい文献を見つけてくるのは楽勝でしたが、内容を読んで自分の研究に当てはめる作業にめちゃくちゃ時間がかかっていました。さらに、じっと読んでると眠くなるので、1ページ読むたびに5分寝てました。

なぜ嫌いだった?

読むのが周りの人よりも遅いからです。
これが原因で国語のテストだけが他の教科より20点くらい低く、ちょっとコンプレックスになってました。

読むスピードの遅さは僕の読書生活に結構な影響を与えています。

僕は知的好奇心をそれなりに持っているし、物語も大好きなので、本の内容自体には興味があります。しかし、なかなか読み進められないので途中で飽きたり、ググってサマリやネタバレを読んで満足する、といったことを続けていました。

漫画も同じように読むのが遅いのですが、漫画は好きな絵をまじまじと見るのが好きで、長い時間がかかっても苦じゃありません。デスノートは文章がめちゃくちゃ多いのに、小畑健さんの細かくて上手い絵が好きで食い入るように読んでました。

訪れる転機

社会人1〜2年目のころ。ソフトウェアエンジニアとして働きはじめた僕は、技術ブログがメインの読み物でした。エンジニアの仕事を真っ当にするにはキャッチアップは欠かせないので、文量が少ないブログは頑張って読んでいました。

ブログは読んでいたものの、この頃は分厚い技術書なんて手に取ろうとさえしませんでした。

「本が好きな人が技術書を読めばいい。僕は技術書を読んだ人が書いたブログを読むよ。それで似た情報が得られるでしょ。」

とか思っていました。

ある日、職場でチームの仕事について話し合っていた時、「この仕事、誰がやる?」という話題が出て、モヤモヤした気持ちになりました。僕目線では誰もその仕事を取りたがらないように見え、「なぜチームの仕事なのに誰もやろうとしないのか。無責任だ!」と憤っていました。

その日の夜、あまりにイライラして落ち着かなかった僕は突然、普段全くやらないことをやって気を沈めようと考えました。そこで、当時社内で流行っていた「エンジニアリング組織論への招待」という本をKindleで買って読んでみることにしました。

たまたま選んだこの本には、こんなことが書いてありました。

ゼロイチ思考
白か黒か、敵か味方かのように2分法で物事を捉え、間のグラデーションを認識できずに捉えてしまうという認知の歪みです。 たとえば、「あの人はいつもそうだ」「これがダメなら全部ご破算だ」といったように、「常に」「全部」「決して」といったようなフレーズで事実を認知してしまい、思い込みから抜け出せていないというのもゼロイチ思考による認知の歪みです。

広木 大地. エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング (p. 38). (Function). Kindle Edition.

明らかに僕のことを言っていました。この時の僕は「なぜチームの仕事なのに誰もやろうとしないのか。無責任だ!」とチームの人間を批判していましたが、「チームの仕事を誰もやろうとしない」が事実だとして、そこから「無責任」に繋げるのはまさにグラデーションがないゼロイチ思考です。

そして、この著者はゼロイチ思考が人間がついやってしまう「認知の歪み」だと言っていました。個人の性格や癖というレベルではなく、学術的に議論された上での定説だというのです。

他にも認知学の観点からさまざまな説が引用されていましたが、どれもイライラしていた当時の自分を第三者的、論理的に分析したかのような内容がたくさん書いてありました。その上で感情を抑えて建設的な議論をする術まで書いてありました。

僕は衝撃を受けました。何十年も前から研究されている人間の認知の話と、その特性を利用したコミュニケーション法について読み耽りました。イライラはいつの間にか消えていました。僕はずっと嫌いだった本という物に助けられました。

本は人類の叡智である

当たり前なんですが、(小説などの物語を除いた)本は世界のどこかに居る誰かが知り得た知識、経験、思想が書いてある情報の塊です。そして本は大昔から存在しているので、過去から現在に引き継がれた本は、誰かが考えを再度付け足して次の本になります。つまり、本は大勢の頭の良い人たちが考えた知識を読むだけで得られます。

僕は上記の体験をしてから、より良い仕事をしたいなら、どんどん本を読んでどんどん参考にしたほうが得だ、と考えるようになりました。本を嫌っている場合じゃない。

とりわけ、僕がエンジニアとして読んでいる技術書に関して言うと、技術書で得られる知識は、技術ブログで得られる知識よりも長く汎用的に使えると思います。とあるライブラリの細かい挙動やTipsよりも、プロダクト開発におけるテストの活かし方や、不確実性との向き合い方のほうが長い間使いそうです。

とはいえ読むのは遅い

はい。人類の叡智は読むのに時間がかかります。しっかりした知識ほど情報量は多いので時間がかかります。

僕は本を無理に全部読まなくていいやと思うことにしました。読むスピードを上げるトレーニングをするのも良いですが、(まあ、面倒くさいので)読まないよりはちょっとでも良いから読むと言うのを心がけています。興味がないところは読み飛ばしたっていいんだぞ。

そういえば、国語のテストは全員が端から端まで全部読み込んで問題を解いているわけではないぞ。要領の良い人は問題に関係あるところだけ読んでいるんだよ昔の僕。。。

僕の本を読むスピードはこれからも変わらず遅いと思いますが、もう本を嫌いになることはないでしょう。

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