#15 なにかの欠片

22歳で渡仏したとき、私はほんとうになーんにも考えてなかった。考えてないということに気づかないどころか、友人たちの間では自分が一番考えていると思っていた。おめでたすぎる…。

客観性という言葉をあの日の自分に教えたい。

ばか、という形容詞以外思い浮かばない。

でもそのばかさを若さというエネルギーはカバーできるのかも。
挨拶もロクにできないような言語力で暮らすとか、ないよなと思う。
でも若い頃にそういうアホな経緯でなんとかしたという妙な自信があるので、今後もやらかさないとは言えない。これはもはや個性というよりしょうもない性格だと思う。

高校生の長男長女に「もうちょっと計画性を持って」とか「準備やスケジュール管理ということに意識を向けて」とかしょっちゅう言っているのだけれど、言っているだけだ。
内心は「ぜったい伝わらないだろうな」と思っている。
言わないよりは言っておいたほうがいいかな?くらいのレベル。

だって私がそういうことの意識を持って、多少できるようになってきたのは本当に最近。50歳過ぎてから。
そんな母親のこどもで、思春期からできると思うはずがない。
そもそも、計画性や管理能力というものが身につくようには育ててない。

ただ、年齢を重ねたゆえにしみじみと「こういう部分が大事なんだねぇ」と感じていることも事実なので、とりあえず一生懸命伝えようと思ってはいる。今のかあちゃんはこういうことを大事に思っている、という部分だけでも。なにかの欠片でも手渡せればいいなと。

伝えようとすることで、見える何かもあるしね。お互いにね。


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