#22 夢の途中
来生たかおのその曲は、父が好きだった。
映画「セーラー服と機関銃」の主題歌としてのそれは、主演の薬師丸ひろ子が歌っていて、当時中学生だった私にとっては彼女が歌うほうが断然好きだった。若いって、見えない感じられないものが多いってことでもあるよね。
来生たかおか薬師丸ひろ子か、だけではなく歌詞が一部違っていて、父はその箇所が好きだった。
セーラー服と機関銃:夢のいた場所に未練残しても、心寒いだけさ
夢の途中:現在(いま)を嘆いても、胸を痛めても、ほんの夢の途中
今なら、父の好みがよくわかる。
「ほんの夢の途中、っていうのが、いいんだよなぁ」
しみじみと言っていた表情をやんわり覚えている。
年齢と経験がないと感じないのかもしれないし、単に好みなだけかもしれない。ただ、中学生の私には薬師丸ひろ子の声のほうが良かったし、歌詞の違いに至ってはどうでもいいレベルだった。若いって…以下略。
父には呆れるような欠点もあったし、残した書籍や荷物の処分には、亡くなって2年近くたった今でも家族はひぃひぃ言っている。
でも、物事を見る視点には優れたものがあり、洞察力もそれなりにあったと思う。関心がないことには頭でっかちなのが災いすることも多く、お金については管理能力も商才も乏しかった。極端なところがいっぱいあったけれど、私の性格や行動については指摘がとても的を得ていて父の言葉を思い出すたび今でも感謝している。
「なかなかこういう機会もね、多くはないだろうし」と、父から誘われて銀座でふたりで飲んだのは、今思えば本当に良かった。(銀座G-Zone、なくなっちゃったのが残念)
私の2回目の結婚相手をとても気に入って、ワインや日本酒をよく一緒に飲んでは喜んでくれた。
危篤だと病院から電話があったとき、私は出向かなかった。
病院が遠方で、「おそらく着く頃には間に合わないでしょうが、来ていただけたら」という連絡が夜半だったというだけでなく、出向かないことで後日悔やむとしたら、そのほうがいいような気がしたのだ。
行かなかったことを後日悔やむのなら、その後悔こそが父の望むもののような気がした。もし悔やまなかったら、それはそれでいいのだろうと。
亡くなった翌日、弟ふたりと夫や子どもたちと新幹線で向かった。
冷たかった頬の感触も覚えているし、病室で家族で亡骸を囲んだ場面も絵に描けるほど鮮明に記憶がある。
それでも、父が死んだという感じがあまりない。もっと言えば、もう会えない言葉を交わすことができない、そのことがぼやけている。
心のなかにいるとかそういうことではなく、父の死という現実は、きっと私にはあまり必要がないのかもしれない。悲しむ必要も嘆く必然もない。
夢の途中のように、うすぼんやりとしている父の不在は、
とても父らしい気がする。