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私と精神科②自傷

これは、私が7年前に精神的不調に陥り、そこから現在に至るまでの記録です。診断名はついておらず、おそらくいろんなもののグレーゾーンだったんだと思うのですが、結局何だったのか分からないままです。だから、たぶん地味な記録になると思います。現在も服薬を続けていますが、安定した生活を送っています。

途中、自傷行為や自殺企図に関する表現があります。
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自傷行為がエスカレートするのはあっという間だった。
6月になる頃には、常にカッターナイフを持ち歩くようになっていた。
大学に行くための勇気を振り絞るために切る。
人とうまく話せない自分への罰として切る。
しゃがみ込んで叫び出したいほどの恐怖感を和らげるために切る。
どうしようもない気持ちのやり場を、私は全部自傷に求めた。
世界がみんな怖くても、腕を切ればひとりでやり過ごすことができた。
カッターを当てている時のギギギ、という音や、滲み出す血や、キリキリとした鋭い痛みが私を私に戻してくれた。

私が自分を傷つけるのは、これが初めてではなかった。今回は、私の子ども時代の自傷行為について書こうと思う。


最初の最初は、多分、小学5年生頃。
消えたい気持ちになったとき、ボールペンの先やはさみを力いっぱい押し当てることで、気持ちを紛らわせていた。図工の授業で使うためのカッターナイフを近くの文具店で購入してからは、それが私の自傷の定番になった。

今でもはっきり覚えている。山吹色の細いカッターナイフだ。私の一番好きな色。

当時はまだ「リストカット」なんて言葉は知らなかったから、左手の甲を切っていた。なんとなく、血管が見えるからという理由だったと思う。

カッターで切るのはやっぱり怖くて、引っかき傷程度のものだったが、手の甲に傷があれば当然目立つ。小学校の友人に「どうしたの?」と聞かれるたび、「公園の猫に引っかかれた」と嘘をついていた。毎週引っかかれたことになっていたから、友人も怪しんでいたんじゃないかと思う。それでも毎回「大丈夫?」と言ってくれていたのは、優しさだったのかもしれない。

小学6年生。
その友人から無視されるようになった。
きっかけは些細なことで、「イジり」の行きすぎた友人に対し、私が怒ったことだった。休み時間、友人が私の机にのりを塗り広げ始めたので、私が「やめて、いい加減にして」と言ったのだ。
今だったら分かるが、私は舐められていたんだと思う。
友人は、「もういいよ」と言ってその場を立ち去り、それが私と友人の最後の会話になった。

唯一とも言えた友人がいなくなった私は、クラスでひとりぼっちになってしまったが、学校を休みたいとは親に言えなかった。家にいるのも同じくらいしんどかったからだ。
母は、よく私達を罵倒した。「達」には、兄2人が入っている。
何が原因だったのかは忘れてしまった。ただ、「死ね」「被害者ぶるな」はよく聞いた記憶がある。「友達に嫌われるよ」「生まれてこなきゃよかったね」も強く残っている。面と向かって言われることもあれば、階下から罵声が聞こえてくることもあった。
私は、気配を消すことに全力を注いだ。足音を立ててはいけない。母に話しかけたり、笑ったりしてはいけない。
それはだんだん、何も感じないための努力に変わっていった。
楽しいとか、うれしいとか感じても、それはいつか悲しい気持ちに塗り替えられてしまう。それなら、いっそ何も感じないほうが楽だ。
私は、「自分は空気だ」と言い聞かせて生活するようになった。
だけど、感じないことは結構難しかった。なかなか、言い聞かせるだけではどうにもならない。そんなとき、痛みがあると、感情を飛ばすことができた。
私にとって、自傷は心の鎮痛剤だった。

クラスでひとりになった私は、もっと強い鎮痛剤を求めた。
ちょうどその頃、ティーンズ向けの雑誌でリストカットの存在を知り、切る場所は手の甲から手首に移っていった。カッターを強く押し当てるようになり、引っかき傷ではおさまらない、ただの切り傷ができるようになった。頻度はそれほど増えず、週に1回程度のままだったが、定期的に傷つけ続けていないと自分が壊れてしまうような気がしていた。

私を無視した友人は、私立の中学校に進学した。
後から、人づてに、私と仲良くしていると内申に響くと彼女が言っていたと聞いた。

地元の公立中学校に入った私は、テニス部に入った。運動はあまり得意ではなかったが、賑やかな雰囲気は楽しく、新しい友人もできた。
春は長袖のジャージを着て練習していたから、手首の傷は見えなかったが、半袖になったときに傷が残っていたら嫌だなと思うようになった。それに、部活で帰宅時間が遅くなり、家にいる時間が少なくなったことで、自傷したい気分になることも減った。

ちょうどその頃、自傷が母親にばれた。家の中で無意識に袖をまくってしまい、傷が見えたのだ。
母は何も言わずに泣いた。私も何も言わなかった。切りづらくなっちゃったなと思ったが、どうしても必要ではなくなっていたため、まあそれならやめるか、と軽い気持ちで自傷をやめることにした。


実は、大学生で自傷が再発するまで、私は過去の自傷を忘れていた。
切り始めてから、そういえば過去にも同じようなことをしていたことを思い出し、前回書いた「体の輪郭が滲んで外に溶け出していくような感じ」も、その頃によくあった感覚だったと思い出した。
私は、記憶をたどるように繰り返し腕を切り、過去の感情や感覚との答え合わせをした。
もし子どもの頃に、自傷したくなる気持ちに対して、きちんとしたケアを受けていたら、大学生で再発することはなかったのかもしれない。きっと、自傷は、ある時突然発生するものではなくて、根っこにもともとあった脆弱な部分が形になって現れたものなのだと思う。だから、再発させず生きていくために、ちゃんと治療をする必要がある。

次回は、私が受け始めた学内のカウンセリングのことを書く予定である。

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