インシデンツ(4)
テスラの運転席にはだれも座っていなかった。街灯の光が本来人を収めているはずのシートだけを照らしている。無人の車内空間。空虚。〈他者〉の不在。ラカン。
「え、なんか、すごいんですけど」と思わず口調が乱れた。ぼくは張本さんの顔を見た。にやけた表情がそこにはあった。いたずらが上手くいったときの少し照れた顔だ。
「自動運転です」と張本さんは言った。「オフィスの地下駐車場からここまでアプリで呼べるんです。宛先を設定したらハンドルを握らなくても自動で連れていってくれるので便利ですよ」
「すごいですね。ニュースでは見たことありますけど、実物ははじめてみました」
「でも、いまの日本で大丈夫なんでしたっけ、自動運転」とぼくは質問した。
「まだ公式には認められていないですね。でも、どんなものにも抜け穴があります。テスラの車には、どのタイプにも自動運転の機能が備わっています。これは特別な方法でその機能をアクティベイトしています」
抜け穴。特別な方法。
「それって違法じゃないんですか?」
張本さんは質問に答えない。彼が手元のiPhoneを操作すると停車しているテスラのドア・ロックが解除され、ガス・スプリングが伸びていく高い音をともなって自動的にドアが開いた。どこまでも未来的な車だ。なかから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のクリストファー・ロイドが降りてきそうだった。ヘイ、ドク。まだ、車が空を飛ぶ未来はやってきていないけど、自動運転はだいぶ進んできているよ。
「乗ってください、家まで送りますよ。ただ、運転しながら少し仕事の電話をさせてもらうかもしれない」
「張本さん、お酒飲んでますよね。大丈夫ですか?」
「あのね、野原さん。運転するのはぼくじゃない」。
張本さんの語気が少しずつ強くなっていった。
「運転するのはAIです。ぼくはこの車にもう半年以上自動運転をさせてますけど、人間が運転するよりもずっと安全ですよ。人間の視覚や聴覚なんかより、この車のセンサーのほうがずっと感度が良い。
たしかにぼくはさっきまで酒を飲んでましたけどね。ビールを一杯に、カルフォルニアのなんとかバレーのワインを二杯、なんとかっていうカクテルも飲みましたよ。それからスパークリングワインも。検査されたら確実に飲酒運転やと言われるでしょね。でもね、野原さん。見つからなければ良いんとちがいますか?
幸いね、捕まらないための機能もこの車には装備されているんです」
「特別な方法、ですか?」
「や、そんな特別とちがいますよ。ネットっていろんな情報が更新されてるやないですか。検問の情報を投稿してる有志もたくさんいてるんですよ。その情報をAIが捉えて検問がないルートを自動で選んでくれるんです」
「テスラの車ってそんなことまでできるんですか」
「さすがにそれは標準ちゃいますけどね。ただ、テスラは自分らの製品をコントロールするためのソフトウェアについてオープンにしとるんですよ。自己責任で、ってことですけど、世界中のエンジニアが追加機能を開発してくれとるわけです。アメリカっぽいでしょ」
「どうします? 乗ってかれますか?」と張本さんが訊ねた。
結果として好奇心が勝った。この機会を逃したら、テスラの自動運転車に乗るなんて一〇年、二〇年先の話になるかもしれない。自宅まで帰るには大江戸線にのって何度か乗り換えなくてはいけない。終電にはまだ少し余裕があったが、大江戸線のプラットフォームの深さまで降りていくのが億劫に思えるほどには酒を飲んでいた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ってぼくはワインレッドの車体へと体を滑り込ませた。テスラのシートは、背骨に張り付くような曲線でデザインされていた。スポーツ・タイプの車両に採用されているエルゴノミクスの意匠だ。座り慣れていないからそれが少し窮屈に感じる。車内は適度に暖房が効いていた。
「これに住所を入力してもらって良いです?」
張本さんに手渡されたiPhoneのアプリに自宅の住所を入力すると、いくつかのルート候補が提示された。ここまでは普通の地図アプリと一緒だ。
「地図のうえにパトランプのマークが表示されてるでしょ。それが検問のマーク」
付近に大使館が多いせいか周辺にはパトランプのマークが複数表示されていた。表示されているルートは、たしかにそのマークを避けて設定されている。張本さんにiPhoneを返すと、彼は画面を少し操作してからダッシュボード上にあるスマートフォンのホルダーに置いた。
右ウインカーが点滅する。モーターの音が静かに足元から聞こえ、タイヤが路上の細かい砂粒を噛む。少し車が前に出る。後ろから一台、緑色のタクシーが接近してきていた。テスラはそれを正確に見送ってから、車道に進んだ。張本さんはハンドルに手をかけているが、タイヤの動きとハンドルは連動していない。
「自動運転だともうハンドルすら動かないんですね」
「これも設定で変えられるんですよね。はじめは面白いから連動させてたけど、形だけならいらないからオフにしちゃった」
ダッシュボードには大きなタブレット状の画面がついていて、車の現在地から自宅までのルートが表示されている。途中にはところどころ病変のある血管のように赤黒い箇所がある。渋滞の目印だ。金色のピンが地図上に示されたルートの末端に刺さっている。ぼくの家だ。渋谷から首都高に乗り、東名川崎で下道に出るルートでおよそ五〇分かかるらしい。
「ぼくの家、遠くないですか?」とぼくは念を押す。「張本さんのご自宅って、このへんなんですよね。ご自宅に帰られる頃にはかなり遅い時間になっちゃいますよ。まだ電車もありますし、ぼく、ひとりで帰れますよ」
「大丈夫、明日はとくに予定もないですし、運転は自動だし。それにこの車で夜中の都内を走るのが息抜きみたいなものなんで。このままいっちゃいましょう」
テスラは信号や歩行者を判断し、なめらかに走っていく。AIの運転かどうかは助手席に乗っていてまったく判別がつかない。要人を乗せたハイヤーの運転手みたいに慎重な運転で渋谷から高速にはいる。
「ちょっとだけ手動で運転しますね」と言って張本さんは、合流の前にハンドルについているボタンを押した。「オートパイロットをオフにしました」。人間の声にしか聞こえない機械音声が車内に響く。沈黙していたハンドルにパワーステアリングの力がかかり、左右にほんの少し動く。張本さんはハンドルを握り直し、アクセルを思いきり踏み込んだ。ロード・ノイズが急に大きくなって静かに流れていた音楽が聞こえなくなる。上半身を強く後ろから引っ張られるようなGがかかる。デジタル表示のスピード・メーターの数字が急激に上昇し、一瞬で時速一六〇キロメートルに到達した。髪の毛穴が開き、驚きで汗がにじむ。合流地点で後ろを走っていた車があっという間に見えなくなる。
「モーター駆動だからトルクがすごいでしょ」と張本さんは大声を張り上げた。ロード・ノイズで声が聞こえにくいのだ。その表情は車内の暗さではっきりと見えなかったが、きっとまたいたずらっぽくにやけていたはずだ。運転を自動に切り替えると、車がゆるやかに減速していく。再び音楽が聞こえるようになった。時速九〇キロメートルを保ったまま、テスラは走っていく。
予告していたとおり、張本さんはiPhoneの音声アシスタントに話しかけ、何本か仕事の電話をかけていた。電話の相手はみんな部下の営業マンらしい。相手の音声はテスラの車載スピーカーに接続されていて、張本さんの質問に対する回答がぼくにも聞こえた。訓練された兵隊のような受け答えだった。張本さんはそのやりとりをぼくに聞かせてもかまわないと思っているらしい。「こないだ相談してきた案件って今どんな?」、「や、それ、ちゃうやん」、「だから、普通に考えたらそういう結果になるやろ?」部下に話しかける張本さんの口調は厳しく詰問する調子だった。横で聞いているこっちの胃が痛くなりそうだった。関西弁のせいで言葉が強く聞こえる。日付が変わる直前だった。こんな時間まで神経を尖らせて働いている張本さんの部下が少し気の毒だ。
電話の邪魔にならないようにぼくは黙っていた。車窓から見える灯りが移動していく様子やダッシュボードに表示されたナビゲーション上のポイントが一定のスピードで進んでいくのを眺めていた。張本さんのiPhoneに入っている音楽がランダムで流れていた。電話が終わるとスピーカーの音声が音楽にスムーズに切り替わる。音楽に興味がない、と言っていたのを証明するような雑多な選曲だ。ポリシーや趣味が感じられない。洋楽・邦楽を問わず、コマーシャルやSNSで話題になっている日本の流行歌もあったし、アメリカのR&B歌手のヒット曲や、子供向けアニメの主題歌も混じっていた。アニメの主題歌は、張本さんの子供が聴いているものだろう。ぼくも自分の息子と一緒に観ているアニメの曲が含まれている。
何本目かの電話が終わり(同じ部下に複数回電話をしていたと思う)、また、スピーカーから流れる音声が電話から音楽に切り替わる。『ポケットモンスター』のアニメのエンディングで使われている曲が、電話で中断されたところから再生された。タイトルは覚えていないが、歌手の名前は覚えている。岡崎体育。ダブ調の楽曲だ。はじめに耳にしたときには、子供向けのアニメでダブか、進んでるな、と感心したものだった。楽曲は最後、ポケモンの名前を連呼する歌とリヴァーブが深くかけられたリズム・ギターだけが残されて終わる。エンディング曲らしい、少し寂しい気持ちになるアレンジだ。
次に再生された曲のイントロにも聞き覚えがあった。キャロル・キングのようにソウルに影響を受けたピアノの力強いバッキングに導かれるようにして、スティール・ギターがメロディを奏で、さらに日本語のヴォーカルが歌い出す。テディ金山とハワイアン・ウェイブスが一九七五年に発表した「ダイアモンド・ヘッドのために泣かないで」だ。R&Bとハワイアン・ミュージックを融合したサウンドは、七〇年代半ばにあって当時相当な下火にあった日本におけるハワイアン復権の兆しになるかと期待されたらしい。しかし、結局はこのグループがリリースした楽曲はこの曲のシングル一枚だけで終わった。戦前・戦後一世を風靡したハワイアン・ミュージックだったが、その後、ロカビリー、エレキ、GS、フォーク……と次々に登場する新しい若者音楽の流れに押され、すっかり流行遅れの音楽の烙印を押されていた。七五年といえばすでに「日本語ロック」という新たなムーブメントが雪だるま式に大きくなっていく途中であり(この年、キャロルが解散している。キャロル・キングではない)、R&Bとハワイアンをかけあわせた意欲的な取り組みも単なるイロモノとして受け取られたのにも訳が立つ。
サビ部分で、しつこく繰り返される男性コーラスをバックに観光ソングのような歌詞を歌うフロントマン兼スティール・ギター奏者、テディ金山の声はさながらジェイムス・テイラーのようだった。素朴で繊細さが見え隠れするヴォイス。伴奏が細野晴臣のプロデュースならより自然だったかもしれない。ニューヨークのシンガー・ソングライターのアコースティックな世界観。しかし、ここにはもっと粘って跳ねる黒人的なリズムと、スティール・ギターとウクレレによるゆるやかなハワイアンのヴァイブスが同居している。夜の音楽と昼間の音楽がチグハグに組み合わされている。不調和が一周回って調和しているようにも聞こえるし、単なる破綻にも聞こえる。実際、この曲を耳にした日本ハワイアンの大御所であるバッキー白片は「ハワイの太陽が黒人の血で汚されてしまった」と吐き捨てたという。いずれにせよ記憶に残る楽曲だ。一度聞いたらなかなか忘れられるものではないが、普通の人には聞く機会がまずないと言って良い。屋根裏部屋の珍曲だ。
「張本さん、ずいぶん渋いのを聞くんですね」
「この曲、知ってます? さすが、マニアやなあ」
「テディ金山とハワイアン・ウェイブス。珍曲ですよね。山下達郎が何年か前にラジオでかけてましたよ。ってか、これ、サブスクとかで今聴けるんですか? 超レア曲ですけど。昔、渋谷のレコード屋でめちゃくちゃ汚いシングル盤が三万ぐらいで売ってましたよ」
張本さんは音楽にじっと耳を傾けているようだった。曲は三分ちょっとある。アウトロでテディ金山がソロをとり、そのままフェードアウトしていく。音楽が次の曲に切り替わる前の空白で張本さんが口を開いた。
「それ……買うたんですか?」
「まさか。いくらぼくが物好きでもその値段には手を出せませんよ。実は、この曲でベースを弾いているのはぼくのおじさんなんですよ」
これがこの晩の最後の会話らしい会話だった。その後、張本さんはハンドルに手を置いて黙り込み、なにかを考え続けていた。フロントガラスから見える夜景の移り変わりにその視線は固定されていた。
テスラは走り続けた。
車がぼくの住むマンションの前につく。お礼を繰り返しながら言いながら車をおり、張本さんを乗せた車が麻布十番の自宅まで戻るのを見送った。「今日は面白かったです。じゃあ、また」と言って張本さんは帰っていった。時間を確認する。家族はとっくに眠っている時間だ。妻と息子の眠りを妨げないようにリビングへと忍びこみ、緩んだネクタイを外してダイニング・テーブルのうえに置いた。ソファに寝転んで深く息をつくと、シャワーも浴びずにそのまま眠り込んでしまった。
(続く)
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