時代と共に変わるドイツ芸術の在り方
ドイツに住むまでは、芸術鑑賞は敷居が高いものだと思っていた。実際はというと、オペラハウスにカジュアルな服装で来る人も多く、演目によっては20€程度で観れる席もある。街の公園でプロの演奏家のコンサートを無料で聞ける機会もあれば、美術館を無料で鑑賞できる日もあるので誰もが気軽に芸術を楽しめる。日常に芸術が溶け込んでいるといった印象なのだ。
芸術を守るドイツ
私がドイツに引っ越してきた2021年はコロナ禍のロックダウン中だった。もちろんオペラハウスや美術館ギャラリーは閉館せざるを得ず芸術家の活躍の場が激減していたのだが、当時のドイツ政府の手厚い芸術家支援に驚いた。連邦政府が自営業者向けの緊急支援(約500億ユーロ(当時の約6兆円))を芸術・文化にも適用し、各州でも施策が行われて世界から注目を浴びた。
加えて、ドイツには芸術家社会保障(Künstlersozialkasse)という芸術家を援助する社会保障システムがある。芸術家はフリーランスであるため、通常は健康保険料が割高になるのだが、この保障があるので収入の少ない若手芸術家でも自分の活動に集中することができるので、新たな才能ある芸術家が生まれやすい環境にある。
なぜ、こんなにドイツは芸術を守るのか?その理由は大きく2つ。
①ドイツの巨大産業のうちの1つ。
コロナ禍の2020年では、芸術部門にあたる文化創造産業が、自動車産業、機械製造業に続いてドイツ第3位の産業部門で、2021年には第2位となっていた。ドイツには80を超えるオペラハウスがあり、年間8,000程度の公演が行われ、美術館が7,000以上あるので巨大産業であることは想像しやすい。
(Monitoring Monitoringbericht Kultur- und Kreativwirtschaft 調べ)
➁第二次世界大戦のナチス政権下では、芸術がプロパガンダとして利用され、ナチス政権の意向に反する芸術作品が犠牲となった。その過去の反省から連邦政府の権限は限定的となり、代わりに「地域・地方自治体」が文化創造予算の采配を担い、州主権で芸術を管理・支援するようになったのだ。
ナチスと芸術
ナチス政権下では新聞、本、映画、ラジオ、音楽、美術などのメディアがプロパガンダに利用され同政権が掲げた「優生学(アーリア人第一主義)」に反する思想の芸術は排除の対象となり、楽譜や絵画などの多くの作品が容赦なく燃やされた。
音楽では、反ユダヤ主義であったワーグナーのオペラ作品が上映されるなど、ナチスの意向を取り入れた演出で音楽祭が催された。
絵画では、牧歌的な風景画などの古典主義が賞賛され、抽象美術や近代芸術の作品を没収し「退廃芸術」として各地で展覧会を開催し、故意に作品を乱雑に展示させて悪意的な演出(不況下に相応しくない高額な購入価格を提示など)することで鑑賞者を不快にさせ「ナチス政権の思想に反する芸術作品の一掃」を国民の意識に根付かせた。ユダヤ人や共産主義者に限らず、欧州で活躍する芸術家、例えば日本でも有名なチェコ人のミュシャも晩年にはスラブ叙事詩を制作していたのでナチスに逮捕され尋問を受けた。
なお終戦後、ナチスに弾圧されていた近代芸術の名誉挽回として1955年から「ドクメンタ」という大型現代美術展示会が5年おきにドイツで開催されており、今日では大成功を納めている。
画家を目指していたヒトラー
実は、ヒトラーはプロの画家を目指すためオーストリアの美術学校を受験していた。彼の絵は古典主義な作風で建築や景色は美しいバランス描写なのだがどことなく殺風景な印象がある。ヒトラーに加え、ナチ党の最高幹部であったゲーリングも美術好きということもあってか(これは私の憶測であるが)ヒトラー率いるナチス政府は芸術品の剥奪を加速させる。
ナチスのユダヤ人迫害が過激さを増す頃、1938年に「水晶の夜(クリスタルナイト)」と呼ばれるユダヤ人の店が襲撃される事件が起こり、それ以降ユダヤ人の資産収奪として美術作品も対象となった。
学校の音楽室で一度は見たことがあるであろうベートーヴェンの肖像画は当時、ベートーヴェンの故郷ドイツのボンにあるC.F. Petersという音楽出版社の社長が所有していたのだが、ユダヤ人であったため収奪の対象になり、社長はアウシュビッツ収容所に連れて行かれて亡くなった。その後、終戦後にソ連軍に略奪されたのだが、息子のニューヨーク支社長が「*モニュメンツ・マン」となって交渉を重ねた結果、なんとかソ連軍から肖像画を取り戻した。今はベートーヴェンが生まれたドイツのボンのベートーヴェン美術館に寄贈されている。
*「モニュメンツ・マン」とは、第二次世界大戦時にナチスに奪われた文化財・美術品をナチス政権に破壊される前に探し出し、元の所有者に戻すことをミッションとしたアメリカの連合国軍の特殊部隊「Monuments, Fine Arts, and Archivessection(MFAA)」のこと。「ミケランジェロ・プロジェクト(日本語タイトル)」という映画にもなった実話。彼らのおかげで約500万の作品が元の所有者に戻されたが、今でもまだ戻されていない作品がある。
その一部がこちら: List of claims for restitution for Nazi-looted art
歴史は終わっていない。2022年12月13日、日本の保険会社であるSOMPOホールディングスが所有するゴッホ作「ひまわり」がユダヤ人迫害の被害で剥奪された作品としてドイツ系ユダヤ人の銀行家が法的所有権返還を求めて訴訟を起こしている。「商業的に利用して継続的な利益を得ている」と訴えるも、SOMPO側は「1987年の公開オークションで購入している公知の事実があり、それ以来35年以上展示している」と反発。いまだ決着がついていないので、今後どのような展開になるのか注目したい。
※最後に余談話。
「ミケランジェロ・プロジェクト」の他にも「ナチス×芸術」を題材にした「ナチスの愛したフェルメール」という実話に基づいた興味深い映画がある。
オランダのフェルメールをナチス政権に売ったとして「国民の裏切り者」呼ばわれされ逮捕・起訴されたメーヘレン。実は、その作品は「自分の贋作だ」と自白したものの信じてもらえず。拘留中にフェルメールの作品そっくりに描き上げ、本当にメーヘレンの贋作品であることが分かった途端に一躍英雄となった「贋作者メーヘレン」の話。