リリルの樹
『リリル リリル』
『リリル 来ル 来タ』
『オシゴトット?』
『オトシゴッコ?』
『近ク 行ク』
『ツツイテミルル』
『ゴアイサツ』
『サツゴァイ・・・』
ここは森の中。人の手を知らない青と獣たち、己のまま恒久にありつづける"新しい森"──。
朝日が木の葉をくぐり抜けて降り注ぐ森の中はほの明るく気が休まる。どこかから聞こえてくる湧き水の流れる音や小動物たちの話し声も合わさって心地が良かった。親元を離れたばかりの若鹿が首を伸ばして下枝についた若芽を食んでいる。澄んだ水も木の実もあるここ一帯は獣たちの憩いの場でもあった。
地表面を覆う鮮やかな青苔に蹄やかぎ爪の跡が残っている。蹄は西へ、かぎ爪は北へ向かっていた。そしてどの獣とも違う、果たして進化の先を疑うような二足の足跡が不安定な間隔で残っている。2歩進んだ先で右へ向き、10歩進んだ先では足踏みをしたようだった。その先でも足跡は蛇行し、常に不安と迷いを持って歩いているのがわかる。
『リリル リリル』
『リリルノ足オト』
呟くように唄いながら森の中を浮遊する小さな物体は"緑青王"。森を森たらしめる、森と共にある者たちだ。この森がどこまでも青く豊かであるのは緑青王が森作りの手助けをしているからだった。
今、その緑青王は自分たちの森に訪れた少女を探している。少女の足跡の周りに集まり、やはりぽそぽそ呟きながら分厚い靴底の痕跡を眺めていた。片足の靴跡の7分の1ほどの大きさの緑青王たちは、それぞれ自由に見物する。ある王は地面に降り立って足跡の縁に沿って歩き、ある王は少女の体重で沈んだ苔穴に飛び込み仰向けに寝そべった。
少女の足跡を堪能する緑青王のうちのひとりがおもむろに飛び立つと、他の緑青王も続いて飛んだ。それは風に吹かれて流されるかのようにふわふわと少女のつま先が向いた方角へ・・・・・・。
───親愛なるリリル。緑青王の感情を言葉にするならこうだ。
"リリル"とは不安をそそる足跡を森に残した少女の名前。緑青王が最も大切に想う<プロトポル>2世だ。プロトポルとは、"地球再創生"を担う者の呼び名である。
惑星"セレナ"───神が刷新したこの惑星の名は、元々は地球という名だった。地球には人類と呼ばれる生物がいたが、そのほぼ全てを神という名の創造主が消した。この事象にいつしか誰かが<神の大選別>と、それらしい名称をつけた。選別は、人類の存在価値を人類本人たちも疑い初めていたので必然的な出来事だったのかもしれない。
そこで残った"自然"と呼ばれる事物たち。人類による破壊行動によって壊滅的な状態にあったそれらは自身で再生できるものもいる。しかし、その再生期間は途方もなく長い。広く大きな破壊衝動に駆られ実行してしまうものと、生産と循環を続けるもの、どちらか一方を選べと言われた時これほどわかりやすい選択肢はない。神は自然を愛し続けることに決め、生涯をもって自然を世話する人類のみを残し、それ以外は地球から消滅させた。数にしてたかが数億人。神には造作もない。
そうして神の"情"を受けた人類の末裔が<プロトポル>である。
『リリル リリル』
『リリ ルルル』
切っても切れない関係。それが緑青王とプロトポル。彼女の後ろ姿を見つけた緑青王たちは喜びを飛ぶ速度に変えて彼女に近づいた
『ルルルン ルリリ』
『リリル ドコ行ク?』
『コッチ種イル 樹ノネ種』
『アッチダッテ』
リリルにまとわりつくように漂う緑青王たちは口々にぼやく。王はプロトポルの補助をしたがった。
緑青王たちにつつかれ、腰掛けられている本人は──リリルは、彼らの存在に気付くと立ち止まって目を丸くした。
「何か喋ってる!」
リリルに緑青王たちの会話内容は聞こえていなかった。というのも彼女は未成熟のプロトポルだったのだ。
<プロトポル>はただの人間に神が与えた特別な力。彼女の成長と共に力もまた大きくなり、自身に馴染んでいく。言うなれば彼女はまだ<プロトポル>の素材を持っているだけのただの人間だった。
とはいえ、そこは選ばれし人類。実態がないに近い緑青王の姿でもしっかりと見ることができる。むしろ子どものころから傍にいた存在として愛着さえ持っていた。
「あのね、捜し物をしてるの。これくらいのファイルで、たくさん樹の種が入ってて・・・」
両の人差し指で宙に四角を描き尋ねると、緑青王たちがリリルの指先に集まってきた。まるで釣られているみたいだ。「なんだなんだ」という顔をしている王たちを見てリリルは追加で情報を述べる。
「火の番をしながらファイルを眺めてたらリスが持って行っちゃったんだ」
『アララ』
『タイヘン』
「いろんな種が入ってるからフルコースに見えたのかもしれないよね」
『ゴモットモ』
『モモゴット』
「でもあの"種子庫"、大事なものだからどうしても返してもらわないといけないんだ」
『フーン』
『ダイジ ダイジ』
『ダイジ?』
『種 ダイジ』
『大事ナ 種 ダイジ』
『オシゴトット』
『オシゴト オシゴト』
『リリルノ?』
『リリルノ』
『リリルノ オシゴト』
緑青王たちは顔を見合わせてふんふんと頷くとそれぞれ思う方角へ飛散していった。
「・・・・・・探しにいってくれたのかな?」
王たちが飛んでいった方角を見つめつつ自分はどの方向へ行こうかと悩んでいると、王がひとりぽつんと浮遊していることに気がついた。
「?」
リリルが首をかしげると、半歩先に浮遊している王と目が合う。特に何かアクションを起こす気配もなかったので仲間に置いて行かれただけなのかと思っていると、風に靡かれるようにふらふらと揺れながらリリルの目線まで上昇してきた。何か訴えているようだが残念ながらリリルには彼の声は聞こえない。
「・・・一緒に探してくれるの?」
それが合い言葉だったかのように王はリリルのつま先が向いている方に真っ直ぐふわふわと飛んでいった。視界から消えてしまう寸前で止まり、リリルを振り返る。
───コッチ。
手とおぼしき部位が方角を差したように見えたせいか、声が聞こえたような気がした。それはあまりにも小さく、木の葉がこすれる音にも似ていたから気のせいだったかもしれないとリリルは思った。
「・・・・・・ありがとう」
本人は気付かずとも<プロトポル>の能力は生長している。