心の葛藤は、人それぞれ
スピリチュアルカウンセラーの真壁です。
先日、お友達主催の瞑想会で『心の葛藤』が話題になりました。
差はあれど、みんなの中にあるのではないでしょうか?
前述を専門用語では『インナーチャイルド』と例えることが多いですね。ただし、傷ついた幼少期の自分を指すことも多いので、今日は『幼心のわたし』と例えておきたいと思います。
『幼心のわたし』は、一般常識で抑えすぎると、存在がわからなくなることがあり、「あれ?わたしってなんだっけ?」「わたしの好きなことってどれだろう。。。」となることが多いようです。自分に目を向けた時(内観)に、一番に目につく存在でもあり、『幼心のわたし』の意見を聞こうとする時、「それはわがまますぎじゃないか?」「人と比べたら、馬鹿っぽい」など、どうしても『常識』と比べてしまいます。
後述の『常識的な大人のわたし』は、超簡潔に言うならば、両親(及び両親に相当する存在)に躾られたわたしなのでは?と考えます。
『幼心のわたし』がいくら嫌!と言っても、TPOに合わせた行動が必要とされる時があります。
真壁の場合は、「おしゃべりしすぎないで!」とかなり注意されたので、自分の意見を飲んでしまう癖がいまだにあります。
この葛藤について意見交換した時、葛藤と言っても形式は様々だ!と驚きました。
ちなみにわたしは
中心に『幼心のわたし』が居て、世界を感じているわけだけど、それに対し、後ろから『バカヤロー!』という大声をだして、感じることを阻止してくるんですねー。なので『常識的な大人のわたし』はどこにいるのかわからないんです🤔
ちょっと、面白いよね!
それから、この現象は、一見すると、『常識的な大人のわたし』との戦いに見えますが、バランス、距離感が心地良ければそれでいいのだと思うのです🤔
もしも『幼心のわたし』だけになったら、それはそれで生きづらい。
この葛藤って、一生続くものなのでは?と思ったんですね🤔
だからわたしは、葛藤あってよし!そのバランスに注意してみていたいと思いました。