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「嫌な記憶よ,さようなら」の補足的説明

背景

心理学ミュージアムの記事がバズった

めんたさんのポストをキッカケに小林が作成した心理学ミュージアムの「嫌な記憶よ,さようなら」というコンテンツが多くの方に関心を持っていただけたようです。ありがとうございます。
この心理学ミュージアムという企画は日本心理学会がオンライン上で心理学に関する知見を一般の方向けに紹介するために行っているもの(のはず)です。日本の博物館で心理学の常設展示を行っているところはない(はずです)ので,せめてオンラインでということかと思います。
ちなみに,ロンドンにある科学博物館には心理学の常設展示があり,非常に楽しい&素晴らしいので,ロンドンに行かれた際にはぜひ訪れてみてください。入場料はかかりません(無料)。

なぜこのnoteを書いたのか

心理学ミュージアムにはスライド枚数の制限があり,重要な部分だけを記載したため,説明が十分できていない点があります。そのため,「もう少し詳しく知りたい」というご意見や「よくわからない」というご意見はもっともだと思います。そこで,このnoteを使って,いくつかの説明不足な点や疑問に思われた点について説明したいと思います。
なお,現時点での研究知見をまとめたものですので,今後の研究の進展によっては異なる研究結果が得られるかもしれません。また,現時点では,あくまでも基礎研究の段階であって,精神疾患の治療を目的とした介入や応用研究はこれから行われるかもしれないという段階です。現時点では今回紹介した手法はうつ病や不安症(PTSD含む)の治療法としての利用は難しいと思います。以上の限界点についてご理解の上でお読みください。

Q&A

1. 「具体的なやり方がわからない」

多く見られたご指摘の1つは「具体的な方法について書いてない」というものでした。これはおっしゃる通りでして,スライド枚数の制限があったため,この点は説明できていませんでした。申し訳ありません。
今回ご紹介した記憶の意図的抑制は,専門的には検索抑制(retrieval suppression; Anderson & Green, 2001)と呼ばれる現象です。検索は心理学の専門用語で「思い出すこと」を意味します。したがって「検索抑制≒思い出すことを抑えること」とご理解ください。
検索抑制に関するレビューやメタ分析では,抑制方略についても調べられています(e.g., Stramaccia, Meyer, Rischer, Fawcett, & Benoit, 2020; 西山・齊藤, 2022)。レビューやメタ分析というのは,様々な個別の研究知見をまとめた論文や知見をまとめて分析することです。ざっくりと言ってしまえば,いわゆる「まとめ記事」のようなものですね。これらの研究によると,抑制の成功に繋がる効果的な方略として1.直接抑制と2.間接抑制(または代替思考)の2つが代表的です。実際にこれらの方略を用いた場合に抑制が成功することが報告されています。

  1. 直接抑制
    直接抑制とは「抑制したい記憶を思い出させる手がかりに直面した際に,その記憶を頭から追い出すように試みる」という方法です。はい・・・,これだけだとわかりにくいですよね?そう思います。補足説明をします。我々の記憶は様々な手がかりと結びついており,手がかりに出合うと手がかりに結びついた記憶が(自動的に)心に浮かんでくることがあります。例えば,「美味しい」という単語を見ると,なんとなく最近食べた美味しい食事の記憶を思い出しませんか?このような手がかりに出合った際に,手がかりから思い浮かんだ記憶を頭から追い出すよう(考えないよう)にすることが直接抑制です。
    なお,心理学について詳しい方は「考えないようにすると逆に考えてしまう」という現象である思考抑制(Wegner, Schneider, Carter, & White, 1987)をご存じかもしれません(シロクマ効果としても有名です)。直接抑制と思考抑制は矛盾しているように見えます。少し前までは「思考の抑制は逆効果」だと考えられていました。しかしながら,最近の研究(e.g., Wang, Hagger, & Chatzisarantis, 2020)によって,常に思考抑制が逆効果とはいえない(思考の抑制が成功する場合も多い)ことが明らかになっています。ただし,認知資源(心のエネルギー)が十分な場合(心に余裕があるなど)に限って,思考の抑制が成功することも示されています。そのため,ネガティブ気分やストレス負荷が高い場合などで認知資源が枯渇してた時は思考はうまく抑制(制御)できないと考えられています。

  2. 間接抑制
    もう1つの間接抑制(代替思考)は,名前の通りに忘れたい記憶とは別の事柄を考えるという方法です。直接抑制よりも,こちらの間接抑制の方が納得しやすい方が多いのではないかと思います。では,別の事柄であれば何を考えても抑制はうまくいくのでしょうか?やはり,「なに」を考えるかは抑制の成功には関わると考えられています。成功に繋がる思考内容は,忘れたい記憶とある程度関連する事柄だと考えられています。言い換えると,忘れたい記憶と競合する事柄が適しています。例えば,「車」を見ると「交通事故」を思い出してしまうという場合には「車」を見た時に「車で出掛けた楽しい思い出」を考えるなどですね。

    (以下の説明はマニアックな話なので飛ばしてもらってかまいません)
    間接抑制がなぜ有効についても少しだけ説明します。間接抑制のメカニズムは,検索誘導性忘却(retrieval-induced forgetting; Anderson, Bjork, & Bjork, 1994))という現象のメカニズムと類似していると考えられています。検索誘導性忘却とは,ある記憶を思い出すと別の関連する記憶を思い出しにくくなるという現象です。例えば,「present」という英単語の1つの意味は「現在」ですが,「現在」という意味を思い出すと「贈り物」や「提示する」といった別の意味が思い出しくくなります。これは検索誘導性忘却が生じていることが原因の1つです。他にも,日常場面で経験する「喉まで出かかっている現象」,英語だと「tip of tongue」とも言われる現象とも関わっています。思い出したいことが喉まで出かかっている時に,思い出したいこととは別のことを誤って思い出してしまうとますます思い出しにくくなるという経験はありませんか?これは,まさに検索誘導性忘却(誤って思い出したことが思い出したいことを抑制する)です。この検索誘導性忘却と「思い出した記憶と別の関連する事柄を考える」という間接抑制はほぼ同一の過程です。以上のような背景から,間接抑制の抑制のメカニズムとして検索誘導性忘却と類似したメカニズムが想定されています。

2. タイトルは「いやな気分よ,さようなら」と関係がある?

バーンズ先生の名著である「いやな気分よ,さようなら」のオマージュとしてタイトルをつけさせていただきました。

3. 忘れてはいけない記憶もある

おっしゃる通りです。心理学ミュージアムのコンテンツでは「嫌な記憶」と表現していますが,どちらかというと「望まない記憶(unwanted memory)」と書く方が適切だったかもしれません。望まない記憶は,ネガティブな出来事であるかどうかに関わらず,不要な記憶(覚えておく必要のない記憶や思い出したくない記憶)という意味になります。

4. 思い出さないようにすることは思い出さないことはトートロジーでは?

今回ご紹介した方法は,「忘れたい(思い出したくない)記憶を思い出させる手がかりに出合った際に,その記憶を思い出さないように試みる」ことを繰り返すという方法です。走っていて赤信号になったら止まるのようなイメージです。単純に思い出さないようにするわけではなく,「手がかりに出合った際」という限定された状況で行うことがポイントとなります。

5. やってみたけど,うまくできない

なかなかうまくいかないというのは,実験参加者の方からもよくお聞きします。実は,侵入すること(思い出したくないのに思い出してしまうこと)が多いほど,後の検索抑制が成功するという研究があります(Levy & Anderson, 2011)。つい思い出してしまうけれども,頑張って繰り返し思い出さないように試みるとうまくいくようになるということですね。(思い出さないように)繰り返す回数が多いほど,抑制の成功に繋がると考えられています。
ただし,すべての記憶がうまく抑制できるとまでは言えないと思います。研究では,単語や画像だけでなく,人生の出来事(自伝的記憶)も抑制できることが明らかになっていますが,効果の大きさとしてはあまり大きくありません。また,抑制が逆効果(抑制しようとしたら逆に思い出しやすくなった)という結果を示した研究はほとんどありません。(自己責任でお願いしたいとは思いますが),記憶の抑制を試してみても損はないのではないとは思います。これらの研究知見の意義としては,人間が不要な記憶を抑制できる機能を持っていることを明らかにしたという点にあると思います。

最後に

記憶の研究は非常に面白いので,色んな方に興味・関心を持って頂ける機会になれば幸いです。
反響やご質問などがあれば,追加でなにか書くかも知れません。

引用文献

Anderson, M. C., Bjork, R. A., & Bjork, E. L. (1994). Remembering Can Cause Forgetting: Retrieval Dynamics in Long-Term Memory. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 20, 1063–1087.
Anderson, M. C., & Green, C. (2001). Suppressing unwanted memories by executive control. Nature, 410, 366–369.
Levy, B. J., & Anderson, M. C. (2012). Purging of memories from conscious awareness tracked in the human brain. The Journal of neuroscience : the official journal of the Society for Neuroscience, 32, 16785–16794. 
西山慧・齊藤智 (2022). 検索の意図的な制止による能動的忘却:Think/No-Thinkパラダイムの20年 認知心理学研究, 20, 21–41.
Stramaccia, D. F., Meyer, A.-K., Rischer, K. M., Fawcett, J. M., & Benoit, R. G. (2020). Memory suppression and its deficiency in psychological disorders: A focused meta-analysis. Journal of Experimental Psychology: General, 150, 828-850.
Wang, D., Hagger, M. S., & Chatzisarantis, N. L. D. (2020). Ironic Effects of Thought Suppression: A Meta-Analysis. Perspectives on Psychological Science, 15, 778–793.
Wegner, D. M., Schneider, D. J., Carter, S. R., & White, T. L. (1987). Paradoxical effects of thought suppression. Journal of Personality and Social Psychology, 53, 5.


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